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28年

当時親の仕事の都合で山口県に住んでいた。
小学2年生だった。

朝起きると母親が
「大変や!!」
と大騒ぎしていた。
テレビを見ると、街が壊れて燃えている。
まるでウルトラマンやゴジラの映画の様な異様な光景。
テレビの中の街はどうやら兵庫県というらしい。
知らない街だが、聞くと自分自身が産まれた街だと母が言う。
本当にフィクションの様なのに、フィクションではなく、今現実に起きている同じ日本の映像だと幼いながらも理解しようとしたことを思い出す。

母は朝から兵庫の親族に電話をかけるが、不通。
あまりの心配から絶望感を感じ、打ちひしがれていた姿を思い出す。
子供ながらに感じた、恐ろしさと、初めて目にした地震という存在。
阪神淡路大震災から28年が経った。


◇目にした本当の恐怖◇


地震から何日過ぎた日だったか忘れたが、無事にライフラインが復旧し、母は兵庫の親族や友人達と連絡が取れて無事を確認していた。
小学校では今回の大地震のことを先生が丁寧に教えてくれた。
地震が起きた時の行動や、全校生徒で校庭に避難する訓練もこの後始まった様に記憶している。

そして地震から数ヶ月が経過したある日、母が急に、
一緒に兵庫に行こう!今の街を自分の目で見ておきなさい。
と言った。
怖いな、やだな。
と思ったことを覚えているが、おじいちゃんおばあちゃんにも会いたかったので、付いていくことにした。

母と降り立った新神戸駅。
そこから三宮へ。
駅前にそびえ立つ、ビル。
当時の自分からすると物凄く大きく感じたそのビル。
山口県では見たことがない様な大きさのビル。
でも全ての窓が割れて、鉄骨が剥き出しになって傾いている。
今にも倒れてしまいそうなのが幼い僕にも理解出来た。

ゴジラやウルトラマンでも見たことがないくらい衝撃的な映像。
父から渡されたインスタントカメラ持って、震える手でシャッターを押した。
街中にはまだまだ多くの瓦礫が散乱して、へしゃげた信号機や、落ちて棒だけになった看板の屋台骨、倒壊した家屋。
『本当に同じ日本なの?』
っていうくらい衝撃的な映像が自分の目の前にあった。

母の実家でおじいちゃんおばあちゃんに会って、泣いた気がする。
みんなが無事でホッとしたからなのか、その前に見た衝撃的な映像が怖かったからか、今では思い出せないが、声も出さずに泣いた気がする。
同時に早く山口県に帰りたくて仕方なかった。
また地震が来るんじゃないか。
という気持ちがあったからだ。

山口県に戻って、自分が撮った写真を現像した。
小学校の作文でその写真を貼って提出した。
教室で先生から、
実際に被災地を見て来て、どう感じたかみんなに話してみて!」
と言われてみんなの前で話したことを覚えている。
現地で本当に恐怖を感じたこと。
めちゃくちゃデカいビルが簡単にへしゃげて壊れていたこと。
全てを必死に話した記憶がある。
みんな黙って聴いてくれた。


そんな三宮へ


社会人になって1年目の夏、会社からの辞令で神戸に転勤になった。
勤務場所は、三宮
あの日あの時、親と一緒に来た、崩壊していた街。
まさかそこで自分が働く日が来るとは。

赴任後、おぼろげな記憶を基に、あの日歩いた道を歩いたことがある。
復興を遂げた街は、あの日とは当たり前に違って、まさかここで大地震があったなんて全く分からない様相。

あの時家族を亡くされた方。
友人や大切な人を亡くされた方。
28年経っても時間が止まったままだという方。
話を聞くと、こちらまでやり切れない。
ご本人達は、どこにぶつけて良いのか分からない悔しい気持ちだろう。

成人していくに連れて、あの大地震以降、日本の色んな防災が変わったと知った。
耐震基準なんてものも大きく変わり、街中には非常時に備えた設備も少なくない。

自分も子供が産まれ、上の子はあの時の自分と同じ歳である。
ふと長男が、
学校で阪神淡路大震災のこと聞いてん。ちょっとどんなんか見たいからYouTubeで阪神淡路大震災、検索するわ!
と話して来た。
便利な世の中だなぁ
とか、
当時と同じ年齢の自分の子が、こんな大切な事を調べて、知ろうとしてくれているんだ
とか、
何とも言えない感慨深さがあった。

Youtubeに映し出されたのは、あの日僕が見たテレビの映像。
壊れて倒れた街並み、燃えたぎる長田区。
割れて落ちた阪神高速から今にも落ちそうなバス。
裸足で泣き叫び家族を探す人。

幼かった頃の自分の頭が、その後、無意識にあの日の記憶に蓋をしていたことも理解した。思い出さないようにしていたみたいだ。

映像を見た長男は自分なりにその現状を理解しようとし、幼稚園の次男は「怖いから見たくない」と言っていた。

その後、2人と地震について話した。
万が一の集合場所も、平穏な暮らしの有り難さも。
どこまで伝わっているかわからないし、どこまで理解してくれているのかは、彼らにしか分からない。
でもこうして伝えて家族で話をしていくことに意味があるし、戦争体験等と同じで意識して伝えていくことが大切だと思った。

あれから28年。
悲しいけど次から次に大きな災害は生まれている。
その度に過去から順に風化されていく。
せめてこの日くらいは、みんなで過去を振り返る日にしていこうと心に決めた。


◆最後に御礼◆

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