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人の文章を「添削」する仕事

「添削」はこんな仕事です

私は現在、人が書いた文章を添削するお仕事をしています。

①「私は、ごんはかわいそうだと思いました。だって、ごんって良いことをしてただけなのに、何で撃たれないといけないの?と思いました。だって私だったら撃たないと思うので、兵十の気持ちを考えようと思います」

②「ごんはかわいそうだ。良いことをしただけなのに、なぜ撃たれなければならなかったのだろうか。そのときの兵十の気持ちを掘り下げて考える。」

①と②だと、なんとなく②のほうが整っている感じがしませんか。
このように、文章をちょっと良くするためのお手伝いをしています。

誤字・脱字といった単語のチェックに始まり、正しい日本語を使えているか文法の確認、文脈は適切か・言いたいことが伝わるかといった内容面の熟考まで、じっくりと文章と向き合って精査するお仕事です。

さぞかし文章を書くのが得意な人間かと思われるかもしれません。
が、実は文字書きのセンスは0!
前職で社内報を書く機会があったのですが、先輩方からはこれでもかというほど熱いダメ出しを頂きました。
本を読む習慣もなく、家にあるものといったら漫画の山くらいです。

そんな私がなぜこの仕事に就いたのか。
きっかけとなったのは、前職での雑誌の校正業務でした。

発達障害、「過集中」する仕事に出合う

突然ですが、私は発達障害のグレーゾーンという特性があります。
発達障害にもさまざまなタイプがありますが、私の場合は簡単に言うと「度を越したうっかり屋」です。
何度もケアレスミスを起こしたり、急な話題転換で相手を惑わせたり……。

本人の感覚としては、頭の中にうるさい小人が2~3人住んでいるとイメージしていただくと掴みやすいかと思います。
一度に「あれしろ」「これ考えろ」「それ見ろ」と言ってきて、考えがころころと変わってしまうのです。
ワーキングメモリーは常に小人たちの支離滅裂な要求でいっぱい。
そのため、優先順位をつける・複数のことを同時に行う・ずっと記憶を保持しておくといったことが苦手です。

さて、前職は事務職だったのですが、マルチタスクや臨機応変な対応を要求されるこの仕事は、私の特性とはとても相性が悪かったのです。
「仕事ができない人間見本市」みたいな感じになってしまい、ひっそりと会社に身を置いていました。

そんな私が唯一「できる」仕事だったのが、会社が発行する雑誌の校正でした。
発行前に、原稿を担当者で回し読みしながら間違い探しをしていくのです。

先ほどの小人は、基本的に私の邪魔ばかりしています。
が、私の興味のある分野になったときだけ、なんと全員が同じ方向を向き、一斉に集中しだすのです。
時間や寝食の感覚はすっ飛び、延々と一つのことを続けられます。
(熱中しすぎて、声を掛けられても気付かないといったことも……)

これは「過集中」と呼ばれる現象で、発達障害の傾向がある人がしばしば持っている特性です。

私の場合、昔から『整った日本語』がスキでした。
今考えると、漫画の影響が大きかったのかもしれません。
「今でも覚えているあのキャラの台詞!」みたいなシーンってありませんか?
それだけ印象的な台詞となれば、恐らく生み出すためにかなり神経を使っているのだと思います。
この1コマ、この吹き出しの範囲で、いかに登場人物の心情を滲ませるか。考えに考えられた言葉たちは、とても私の心に響きました。
と同時に、こんな言葉をどうやって生み出すのだろう?と興味を持つようになりました。
整った日本語に出会うと感動しちゃうんですよね……
蛇足ですが、ひかわきょうこさんの『彼方から』とか大好きでした。主人公を中心に、登場人物の考え方が行動や台詞に表れていて、おとぎ話のように優しく人を諭してくれます。
数ページ読むだけで、あっという間に世界観に引き込まれてしまう名作です。

そんな私は、ひとたび校正を始めるとひたすら文字を追うことができました。
その結果、他の人が見逃した間違いに気づくなど、このときだけは有能戦士(当社比)に!
そうして出来上がった間違いのない雑誌を世に送り出し、読者から楽しそうな反応があると、ニマニマとしていました。

初めて読者からの感想を読ませて頂いたときの充実感は今でも忘れられません。
ハガキに「あのコーナー面白かった!」と一言あっただけなのですが、こんな私でも社会に何かを届け、誰かの役に立ったのだ!と実感した日でした。

そうして前職を辞めた時に、私にできることは何か?と振り返り、たどり着けたのが添削業だったのです。

私には書く才能はありませんが、読む根気があったのが功を奏しました。
食べるのが大好きな人が料理上手とは限らないようなものかな?と思っています。
運良く現在の会社に拾っていただき、お仕事に励んでいます。

「添削」の面白さ

小学校での作文や日記、中学校での読書感想文、高校での小論文、大学でのレポートや卒論……などなど、何かと文章を書かされる機会があった方も多いのではないでしょうか。
しかし、この文章の良しあしを先生方がどうやって判断しているのか、私は不思議でした。
小学校低学年のとき、「先生あのね」という日記ノートを提出する宿題がありました。
戻ってきたノートには花丸がついているページとそうでないページがあるのですが、具体的に何が良いとされたのかはわからないまま。
何が良かったの?どう改善すれば良いの?と疑問が増えるばかりでした。

「分かりやすい文章」や「面白い文章」は確かにあるものの、算数や理科のように「こう書けば必ず分かりやすくなる&面白くなる!」という絶対的な正解が見えないのです。
その代わり、いま手元にある文章をどうすれば「分かりやすい文章」や「面白い文章」に近づけられるのかを考えることはできます。そこを分析していくのが添削です。

私は社会に出たとき、ビジネスメールを1通書くのにとても時間が掛かりました。
どう書けば正解なのか、感覚が全くつかめていなかったからです。
私が送るメール1通でさえ、会社の顔になります。どこにも失礼がないか、神経を尖らせなければなりません。
そこで、新入社員のころは、下書きを先輩社員に見てもらってアドバイスを頂き、何度も書き直していました。
そのかいあって、見よう見まねながらも段々と書けるようになりました。
ようはビジネスメールの「書き方」をつかむことができたわけです。

どのようなジャンルの文章にも、一定の「書き方」が存在します。
例えば、ビジネスメールでいえば、クッション言葉(恐れ入りますが、大変恐縮ではございますが……)を用いるのは定石ですね。

同じように、小説なら小説の、論文なら論文の「書き方」があります。
先ほどの「作文」や「読書感想文」もそうです。
私は先輩社員のアドバイス=「添削」によってビジネスメールのコツをつかめたわけですが、このように文章のコツを見つけてもらえた!と実感するときが「添削やってて良かった〜!」と感じる瞬間です。

私の場合、文章を書いても自分の意図と異なる伝わり方をすることが多々あります。
私自身は「この文章はこういう意味を持つ!」と理解したうえで書いているので、「どう伝わりにくいのか?」がわからず、読み直してもどこを直すべきなのか見えないことが多いのです。

そこで、添削するときは「この人は何を伝えたかったのか」を意識して考えるようにしています。
注意深く見ると、あちらこちらにその片鱗があったりするので、それを拾い集めて要点を組み立て、伝えたい話からずれないように改善方法を考えていきます。パズルのような感覚です。


どうすれば手元にある文章を分かりやすく、面白く、説得力のあるものにできるか、と考えていくのはとてもやりがいがあります。
まだ先輩に教わりながらではありますが、このままスキルを磨いて、より文章を書く人に貢献できるようになりたい!と気合を入れる今日この頃です。

#この仕事を選んだわけ

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