旅の相棒としての靴
J. M. WESTONを「靴のロールスロイス」とたとえたのは松山猛だったと思う。その紹介が引き金になったのかどうかは定かではないけれど、J. M. WESTONのゴルフは編集者に愛された。松浦弥太郎も『日々の100』のなかで、普段履きの革靴として重宝していると書いている。
J. M. WESTONのゴルフを履いて取材へでかけるようになって、もう四半世紀以上になる。どんな厳しい場所でもバシバシ歩ける頑強さと、靴を脱がなくてはならないところでも恥ずかしさを覚えることがないエレガントさを兼ね備えている。スーツにもデニムにも映える懐の深さも心強い。
たしかに履きこむほどに、革は輝きやハリを失い、傷もつくけれど、それこそいっしょに時間を過ごした証。シワを味わいに変えるのはその靴が持つ質と履く人の愛しみだと思う。
だからこそお手入れだけは怠らないようにしている。汚れを落として、クリームを塗りこんで、ワックスで仕上げる。好きな音楽やラジオを聴きながら30分。何ヵ月に1回の手入れと、数年に1度の踵のラバーの取り替えさえ怠らなければ、10年でも20年でも30年でも履くことができる。
ここ数年の値上がりには、目が点になって、手も足も言葉もでないけれど、長い目でみれば高い買い物ではないと思う。
わたしの靴箱には何十年もまえに買ったJ. M. WESTONの靴が主のお呼びを待っている。黒と茶色のひも靴とローファーとゴルフだ。パリへ行くたびに買い換えようとJ. M. WESTONのウインドーを覗くけれど、視線を自分の足下に落とすとその思いは消えていく。
いっしょに歳を重ねた靴よりもピカピカの新品のほうが貧相に感じる靴も世の中にはあるのだ。