西林初秋

コピーライターとして広告を作ることから始まり、企画をしたり、映画を作ったり、雑誌を作っ…

西林初秋

コピーライターとして広告を作ることから始まり、企画をしたり、映画を作ったり、雑誌を作ったり、コラムを連載したり、ネットワークを育てたり。だけど基本は「ことば」だと思っています。

マガジン

  • 文庫本とウイスキーをポケットに入れて

    何十年にもわたり取材の旅を繰り返してきました。プライベートでもいろいろなところへでかけました。そんな旅の途中で出会った人や物や風景や出来事をまとめています。時間をみつけて、文庫本とウイスキーをコートのポケットにつっこんででかけた旅のエトセトラ。ゆっくりとお愉しみください。

  • 旅物酒本、ときどき音楽

最近の記事

みちのくの能舞台

黒澤明監督は、自分にとって、芸術のなかで、 見せる芸術のなかで、 最も大切なのは能だと公言していた。 「蜘蛛巣城」や「乱」を持ち出すまでもなく、 黒澤作品にはその影響が多くみられる。 思うように映画が撮れない時期、 黒澤監督は「能の美」という ドキュメンタリーを撮ろうとしていた。 脚本も仕上げ、スタッフも集めて、 実際に撮影も行っている。 しかし次の映画が決まり、 「能の美」は幻となってしまった。 中尊寺で取材撮影中のことだった。 金色堂の横の白山神社に能舞台があった

    • 旅先の古本屋

       旅へでると半端な時間に思案することがよくある。どこかへ行くには時間が足りない。カフェで潰すにはもったいない。そんなとき私はスマートフォンを取り出すのだ。  グーグルマップを立ち上げて「古本」と入力する。徒歩圏内にあればしめたもの。どのような背表紙たちが並んでいるのか。想像するだけで時間が前向きになってくる。思いもよらない本との出会いがあれば、その旅に思わぬギフトをいただいたようでうれしくなる。  青森へ行ったときだった。駅から空港へ向かうバスまで1時間ほど時間が空いた。

      • 老眼鏡にあこがれて。

         口髭に白いものが混じったクリエイティブ・ディレクターは、原稿をチェックするときとかプレゼンの資料に目を通すときには、ゆっくりと老眼鏡をかけてからとりかかった。20代だったわたしにはその姿がなんとも優雅に映った。世のなかには歳はとりたくないと思わせる人がいる一方で、自分もあの人のように早く歳を重ねたいと憧れる人がいる。わたしは極度の近視だから老眼になるのは遅いはずだ。しかしそのCDとの打ち合わせが終わると早く老眼鏡をかけたいと心底思ったものだった。  福井県の鯖江へはめがねの

        • ウイスキーの図書館

           九州で仕事があって、その帰り、時間の都合がつけば博多まで足を運んでいそいそと扉を開ける店がある。赤坂にある「さきと」だった。過去形にしたのは大将が身体の調子を崩してしばらく休むとの連絡があったからだ。   大阪で会社の役員を務めていた友人が無事退社となり、故郷の福岡へ戻ることになった。大阪の飲み屋で会っていた顔が、「さきと」で会うようになった。その彼に教えてもらったバーが「さきと」のすぐ近所、親不孝通りから1本入った小路にある「バー・キッチン」だ。  扉を開けて店内に入ると

        みちのくの能舞台

        マガジン

        • 文庫本とウイスキーをポケットに入れて
          15本
        • 旅物酒本、ときどき音楽
          4本

        記事

          その靴屋の開店時間は朝の8時。

           ヨーロッパでもアメリカでも、エスタブリッシュメント的ポジションにいるビジネスマンはほんとうによく働いている。だからリタイアという発想が生まれるのだろう。  20世紀の日本のビジネスマンもよく働いていた。その昔、新幹線のグリーン車へ乗ってまず感心したことは、乗客のほとんどがスーツ姿で、ずっと仕事をしていることだった。書類に目を通す人、ペンを走らせる人。しかしそれが指定席へ移ると、同じビジネスマンでも居眠りしている人や雑誌を読んでいる人が大半だった。  アメリカのニューヨークに

          その靴屋の開店時間は朝の8時。

          ブルックリン生まれのウイスキー。

           ちょうど2回目となるニューヨークへの旅のまえに、ブルックリンの街中にバーボンの蒸留所があると聞いた。ニューヨークでいちばん古い蒸留所という。  ニューヨークと蒸留所がうまく結びつかなかった。しかしブルックリンへ行けばそのバーボンが手に入るという。ニューヨークのバーボンはどのようなウイスキーなのだろう。興味はつきず、なにがなんでも手にいれて、呑兵衛仲間への土産にしようと考えた。  ニューヨークにいる友人にその蒸留所と販売している酒屋を調べてもらった。製造しているのはキングス・

          ブルックリン生まれのウイスキー。

          旅の相棒としての靴

           J. M. WESTONを「靴のロールスロイス」とたとえたのは松山猛だったと思う。その紹介が引き金になったのかどうかは定かではないけれど、J. M. WESTONのゴルフは編集者に愛された。松浦弥太郎も『日々の100』のなかで、普段履きの革靴として重宝していると書いている。  J. M. WESTONのゴルフを履いて取材へでかけるようになって、もう四半世紀以上になる。どんな厳しい場所でもバシバシ歩ける頑強さと、靴を脱がなくてはならないところでも恥ずかしさを覚えることがないエ

          旅の相棒としての靴

          富山のガラス

           富山はガラスの街だ。「富山ガラス造詣研究所」には日本屈指の設備と世界からの講師陣がそろっていて、未来のガラス職人たちが研鑽を積んでいる。さらに富山にはガラスの美術館もあれば、ガラス作家の工房も点在。空港には「無限の彼方」というガラスのオブジェも展示されている。  富山は何度も訪れているけれど、その旅取材の目的はガラス作家ピーター・アイビーに会うためだった。  ピーター・アイビーはテキサス州生まれのアメリカ人。もともとアートスクールの講師をしていたが、未知の世界を知りたくて日

          富山のガラス

          ラハイナまで来た理由

           高校生のころ、片岡義男の世界にはまった。  それは〝はまった〟という表現がぴったりで、月初めの夕刊の今月の新刊情報をチェックしては片岡義男の名前を探すほどだった。  きっかけは小説だった。『スローなブギにしてくれ』や『人生は野菜スープ』などはそれまでわたしが読んでいた小説とはまったく違うもので、文壇的呪縛のようなものから自由で新鮮だった。 しかし片岡義男の世界に落ちたのはエッセーからで、『コーヒー もう1杯』はそれこそ擦り切れるほど読み返したものだった。  ハワイを知ったの

          ラハイナまで来た理由

          新宮の原稿用紙

           白浜で仕事があった。その前日の予定がなにもなかったので、いい機会だと考えて朝一の「くろしお」で新宮へ向かった。  わたしにとって新宮は特別な町だ。中上健次が生まれ、育った町。その路地をみてみたい。その濃密な空気を吸ってみたい。  新宮はずっと行きたかった土地だった。  しかしあまりにも遠く、不便で、それ以上に安易な気持ちで踏み込んでは弾き返されそうな、畏怖に近いものも感じていた。  季節は春の入り口で、桜にはまだ早かったけれど南紀は十分に暖かかった。途中、紀伊勝浦駅で降りて

          新宮の原稿用紙

          はじまりとしての法隆寺

           大阪に住んでいてよかったと思うことのひとつは、古都が近くにあることだ。  京都が太陽だとしたら、奈良は月と思う。はなやかさやにぎわいという点では京都にかなわないけれど、奈良には心に凜とひびく凄味のようなものが潜んでいて、歳を重ねるごとに奈良に惹かれる自分がいる。  おおきな仕事、はじめて挑戦する仕事が動きだすまえ、わたしは決まって法隆寺を訪れる。30歳の後半に訪れ、以後、40代に1度、50代に1度、そして60歳になろうとする前に訪れることになった。  法隆寺は飛鳥時代の建造

          はじまりとしての法隆寺

          車窓のツーリストカップ

          「スキットルはないけれどこれはどうだ」  バンブーの露天商のムッシュがガラスケースのなかを探して取り出したのが古いツーリストカップだった。  直径5㎝ほどの皮の円形のケース。蓋をあけると3段の円形のアルミが入っている。もちあげるとカシャカシャという金属のすれる音とともに小さなカップになる。使い終わると皮のケースにいれて、掌で上から押すと折りたたまれてケースにおさまる。旅の道具にこんなものがあるなんて知らなかった。血が騒いで、もちろん購入した。  むかしの人はなんて粋な小道具を

          車窓のツーリストカップ

          室蘭の焼き鳥

           焼き鳥といえば、肉は鶏という思い込みは旅の途中で消えた。  職人をめぐる取材の旅で、その年の最後の場所が北海道だった。氷点下の苫小牧、室蘭、小樽とまわってきた。  途中、室蘭で一泊した。仕事の合間に地元の職人と喋っていたとき、室蘭のソウルフードは焼き鳥で、その肉は豚と教えられた。焼き鳥で、豚?そのときプルーストの『失われた時を求めて』ではないけれど、なつかしい記憶が甦ってきた。北海道出身の友人が、ちいさいときは焼き鳥といえば豚だったと話してくれたことがあったのだ。  その昔

          室蘭の焼き鳥

          香港の万年筆

           万年筆を使うようになったのは30代前半からだ。  昭和の作家は原稿用紙のマス目に彫刻するように字を埋めていた。自筆原稿などをみるとたいていが万年筆だ。池波正太郎は「男の武器」といい、開高健は「手の指の一本になってしまっている」と書いた。まだ頬に蒼い影が残る文学青年には憧れの文具、それが万年筆だった。  コピーライターの修業をして、独立をし、よちよちした足取りで歩きだしたとき、自分もあの作家のような文章が書けますようにと願い、書きますと誓う意味で万年筆を買った。  はじめて買

          香港の万年筆

          野球場のNew York Stats On My Mind

          「野球をみにいこう」  はじめてニューヨークへいったとき、連れのひとりがそういった。仲間といく旅のいいところは、ひとり旅では絶対に選択しない場所を経験できること。さっそく段取り上手がチケットの確保に動いた。数時間後、わたしたちのテーブルのうえには、翌日のシティ・フィールドでのニューヨーク・メッツ対ロサンジェルス・ドジャーズ戦のチケットが並んでいた。  晴天にめぐまれた日曜日の午後だった。はじめての海外の野球場は、施設も人も雰囲気も日本とはまるで違っていた。球場は美しく、人は明

          野球場のNew York Stats On My Mind

          蒸留所の名がないウイスキー

           フランスにおいしいウイスキーもあるのですよ。そう告げるとちょっと驚いた様子のあとで、フランスのウイスキーかねと猜疑の影が目の隅に浮かぶ人を何人もみてきた。 「ミッシェル・クーブレイ」。ベルギーの出身だけれど、フランスのブルゴーニュ地方に本拠地を置くワイン商。しかし彼はウイスキーの魔力に取り憑かれてしまった。しかもスコットランド人ではないので、本場の伝統や慣習から自由だった。だからこそウイスキーの味わいを決定づけるのは蒸留所ではなく樽そのものだという信念を実行に移せたのだ。

          蒸留所の名がないウイスキー