共同体生活のすすめ⑤

ここまで読み進めてくださる中で、読者の皆様の中には共同体に対して少し興味や関心を抱かれた方もいらっしゃるでしょうか。その中にはもしかすると共同体に似たような言葉として「シェアハウス」を思い浮かべた方もいるかもしれません。ではここで、私が推奨する共同体とシェアハウスの違いについて、少し触れてみたいと思います。

私が提唱する共同体の概念の基盤は、文鮮明氏の「ホームチャーチ」という思想に由来しています。もし、統一教会に関わったことがある方であれば、この概念についておおよそ理解できるかと思います。つまり、共同体の背景や思想には文鮮明氏の教えがあり、これが一般的なシェアハウスとの大きな違いです。

ここで疑問に思われるかもしれませんが、「統一教会や現在の家庭連合に所属していないと参加できないのか?」という点について説明します。実際のところ、現在の共同体に関わるほぼ全てのメンバーは、「宗教の時代は終わった」または「自分は宗教から卒業した」と考えています。ですから、宗教色はほとんどなく、表面的には宗教行事も一切ありませんし、それを強制されることもありません。

では、具体的に我々が共同体として目指しているのは何か? その一つの答えは、「人が人間として自由に生きることができる場所」を創り出すことです。共同体は、内的基盤として大きなシェルターのような存在を目指し、それによって我々が知らず知らずのうちに縛られていた様々なしがらみから脱却できる場を提供したいと考えています。これが、共同体に入るために必要なプロセスでもあり、実は宗教自体もそのしがらみの一つとして克服するべきものだったのです。

もちろん、これを無理に強制するわけではありません。もし、宗教的な信条や過去のしがらみが、その人にとって重要なアイデンティティの一部であるならば、すぐにそれを手放さなければならないわけでもないからです。

また一方で、統一教会にゆかりのない方や、今まで文氏の言葉を学んだことのない方は参加できないのか?という疑問に対しては、その答えも「No」です。もちろん、共同体生活を共にする中で、文氏の言葉に興味を持てば、それを学んでみることも良いかもしれません。しかし、それは決して必須ではありません。

なぜなら、そこに集うメンバー一人一人が文氏の言葉を実践し、体現することを目指しているのであって、それを他のメンバーに強制することはもちろん、その言葉をもって相手を裁くことが目的ではないからです。


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