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NIKE問題?について

 NIKEのCMが賛否両論を巻き起こしていると話題なので、私見を述べたい。

 このようなCMがある程度批判を受けるのは常だが、僕が思っている以上にネガティブな捉え方をする人が多いのに驚いた。(Abemaを見る限り…)

 上の議論で表出したこのCMの問題点は主に2つである。

①「いじめた側」に救いがない(→少女がサッカーを通じて自力で這い上がっただけで、「いじめた側」のストーリーがない。)

②「日本人」をくくりすぎ(→日本の至る所で「差別」が行われているような表現は…)

 

 上の2つについて、それぞれ反論をしたい。

①「いじめた側」に救いがない。⇒これは映画ではない。

 2分間のCMで完璧なストーリーを編むのは難しいだろう。このCMはあくまでコマーシャルなものだという前提を抜かしてしまっている。サッカーを通して自力で這い上がるというストーリーは、スポーツメーカーであるがゆえの帰結であろうと思う。ただ一方で、片方から強く否定することが分断を助長するという指摘は一理ある。NETFLIXのドキュメンタリーシリーズを見ていると、面白いと思う反面「リベラルの押し売り」的描写も散見される。メディアリテラシーは必須スキルであるが、多くの人に行き届いていない現状を踏まえれば、ごもっともな指摘であろう。少なくとも、コマーシャルな映像作品であることを踏まえると、反論は成立するだろう。(下記noteは痛快かつ合理的で、支持している。)

②「日本人」をくくりすぎ。⇒ネガティブな時だけ大きな主語を嫌うのは都合がよすぎる。

 例えば、COVIT-19の対応では「日本人は民度が高い」と誇りさえするのに、「日本人は差別意識が跋扈している」という言説を感覚的に否定するのは都合がよすぎるのではないか。事実、そのような問題がはびこっていることは否定できないし、それを一旦受け入れない限り進展はおこらない。俺は違う!と頑なになるのではなく、自分を顧みて「最大多数の最大幸福」的解決方法を議論するほうが建設的ではないだろうか。


 このようなショートパッケージの作品では、限定的な問題提起しかできないというデメリットはありつつも、その手軽さから社会を巻き込んでの議論が誘発されやすい。(今回もそう。)悪名は無名に勝るとは言うが、まずは議論を始めるところが隗である。議論を起こせるような着眼点を持てるようになりたいと思う。

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