「もんにゃーオルタナティブ」
パトロールを終えたわたしは帰宅してシャワーを浴びた。それからコーヒーを二杯飲んだ。一杯はインスタント、もう一杯はドリップで淹れる。どうしてその順番になったのかはわからない。
パソコンを立ち上げて、ディスプレイの前に「わんさかボックス」を置く。このネーミングを変えたいと思ってはいるのだけれど、声に出して誰かに、ねえ、悪いんだけど、わんさかボックス持ってきてくれない? いや、その紙箱なんだけど、うん、わんさかボックス、それ、みたいに頼むこともないから、暫定的な名前で固定されたままだ。そもそも変えようという気持ちになっていないのかもしれない。
それから「星座ダイス」を取り出す。このネーミングについては正直、どうでもいい。
作業の準備を終えて、メモ帳とテンプレートのファイルを開く。
サイコロは六面二つで計十二個、各面に星座が割り振られている。もちろん自作したものだ。最初のバージョンはイラストがあまりに下手過ぎて、何がどの星座か、自分でもわからなかった。今はそんな心配もない。イラストが上達したと言うよりも、ただ慣れただけだ。
赤と緑の二つのサイコロを同時に降った。てんびん座とかに座が出る。メモ帳に一筆書きでだいたいの内容を記していく。
テンプレを利用して、十二月、師走、クリスマス、忘年会、年越しの準備、来年に向けて、みたいな言葉を入れる。当然、月ごと、そして星座ごとにテンプレートは異なる。わたしは大量のストックを寄せ集め、保存している。既存の有名な占いから、雑誌のコーナーにあるようなもの、テレビの星座占い、おみくじだって立派な資料だ。それをテキスト化したり、使いやすそうな言い回しや単語をまとめたり、収集も含めてこのような作業を日ごろから進めておく。
おかげでパソコンからいつでも呼び出せるし、頭の中にもしっかり蓄えてある。それを自分の占い上で組み合わせていく。
そこに足す一つのフレーバー、それが「わんさかボックス」だ。
まずはかに座。箱の中から三枚の紙を引く。「蛍光ペン」「海」「ハートフル」。これを組み合わせて、ラッキーパーソンや、ラッキーアイテムに当てはめる。基本となる文章に交ざり、それなりの内容になる。
「寒い季節が続きますが、ハートの温まる交流があるかもしれません。なつかしい知り合いや予想もしない相手と驚きの再会の暗示が出ています。そういう誘いがあったら、思い切って飛び込んでみて。過去の思い出話を語り合ううちに、自分の進むべき道、そのヒントが浮かんでくるはず。今月は海辺のカフェも幸運を引き寄せそう。いい一年の締めくくりを迎えて、来年からの躍動する展開を心待ちにしてね。ラッキーアイテム 蛍光ペン」
てんびん座では「ぬいぐるみ」「クリームチーズ」「待ちぼうけ」と出る。それも同じやり方で書き進める。気づいたら、急な誘い、というかに座と似たような言葉が出てきてしまい、苦笑しながら、仕事関連での集まり、みたいな方向へ訂正する。
コーヒーをもっと飲みたくなったけれど、我慢する。トイレで用を足し、チョコレートを一片だけ食べる。カップにお湯を注ぐ。それから手を洗いながら、また何か変な順番になってしまったな、と思う。爪の尖ったところが気になってしまうけれど、それは後回しだ。
そういえば、先ほどのパトロール活動の際、ドラッグストアの前で財布を拾った。交番へ届けたのだけれど、無事に落とし主の元に戻っただろうか。今になって、連絡先を教えておけばよかった、と後悔する。手続きの一環で、警官が財布の中身を確認する様子を見届けたのだけれど、十万円以上入っていた。免許証もSuicaも入っていた。
わたしはいい人ぶりたくて、受け取りを拒否してしまった。歳の問題ではないけれど、対応した警官がもう少し老けていたら、一割くらい貰おうと思ったかもしれない。
あとでこの辺のくだりも占いに入れようと思いながら、まだ熱いお湯をゆっくりとすする。
コミュニティタウン情報サイトの占いコーナーを担当するようになって、一年近く経つ。そんなもの誰も読んでいないから気楽に書いていた。けれど、適当とは言え、似たような内容ばかりではこちらも飽きてしまう。
そこで半年くらい前に「わんさかボックス」を生み出した。四人分のホールケーキが入るほどの大きさの紙箱だ。その中にさまざまな単語を書いた紙を入れておく。一枚に一つ。固有名詞は無しで、あまり奇をてらいすぎないようする。日常生活で目についたもの、とにかくランダムにテレビやネットで耳にした単語、雑誌で目についた言葉。できるだけ恣意的にならないように、それらの言葉をメモ用紙に書いた。そのうちに箱はたっぷりの単語だらけになった。
こうすることで何かしらのランダム性が生じる。箱から引くのもおみくじみたいで、いよいよ占いっぽくなったな、と満足する。最初はおひつじ座から順番に書いていったのだけれど、そこも変えて星座ダイスを使うことにした。
やがて占いが当たるという噂が広まり始めた。サイトのそのコーナーだけアクセス数が増えた。もちろん、コミュニティ外の人々もそれを閲覧する。関係ないとは思うけれど、なぜかウルグアイからの集中的なアクセスもあった。わたしはちょっとだけ怖くなった。
わたしのささやかなバイト代は増えなかったけれど、何度か、菓子折りをもらった。依頼主の運営の人もまた、参考にしている、と言った。やっぱり怖くなった。
わたしは地方のカルチャースクールで「なんでも書ける文章講座」を学んでいただけだ。そこからの伝手でこんなインチキを頼まれた。運営の人も、適当でいいから、と言っていた。それなのに「わんさかボックス」によって、変な説得力的なものなのか、ある種の予言性を帯びてしまうようになった。
わたしは少しでも善行を積むことにした。その一つがパトロール活動だった。ただ町を見回るだけだけれど、散歩も兼ねて、周囲の様子に目を凝らす。近所の人たちに挨拶の声をかける。下校する子供たちを温かい目で見守る。ゴミが落ちていればなるべく拾う。
日ごろ、神社やお寺にも寄る。お賽銭は欠かさない。そこで「占いが当たりますように」と願う。馬鹿げていると思ったけれど、わたしこそ、占いから逃れられなくなっていた。
ふたご座とやぎ座、おとめ座とさそり座を同じようなやり方で済ませる。わんさかボックスから紙を引くのはもちろん、そこにドラッグストアとか財布とか交番、それに犬の散歩、公園の砂場、鷺、自転車のパンク、ボルダリング教室みたいな、先ほどのパトロール活動で目にしたものなども盛り込んでいく。
あとはおうし座とうお座を残すだけとなった。わたしはずいぶん調子に乗っていた。かなり順調に書くことができた。やはり落とし物を届けただけのことはある。
最後に残ったうお座はわたしの星座だ。いつも意識しないようにしているのだけれど、それでも少しだけいいように書きたくなる。それは果たせているかよくわからない。今のところ、うお座だけいつもよすぎない? みたいな苦情や意見は届いていない。
乗りに乗ったわたしは箱から三枚の紙を引く。「完璧」「日曜日」「もんにゃー」。
もんにゃー? わたしは二度見してから、紙を一旦たたみ、また開いた。もんにゃー。もんにゃー?
それはわたしの字だ。やわらかいペン先で記した、蒼く太い線の文字。ときどき「わんさかボックス」に単語を足しているし、何かしっくりこないものは取り除いている。新陳代謝はなされているはずだ。
けれど、もんにゃーを入れた記憶はない。ちっとも意味がわからない。わたしはお酒を飲まないので、酔っぱらっている間に何かしたようなこともないはずだ。
完璧、という言葉もあまり気に入らないし、これは排除してもいいかも、と思う案件だけれど、それよりももんにゃーのほうが問題だった。わたしはどこにこれを盛り込めばいいのだろう。カップのお湯を飲み干す。それはすでに冷めていて、食道をゆっくりと伝って胃の中に落ちていく。
「うお座のあなたにとって、常識が揺らぐような激震の一年間だったかもしれません。それでも無事に、そして真面目にあなた自身の課題に取り組んできました。まずはそのことを自分で褒めてあげましょう。そっと小さく、言葉に出してあなたを労わってください。そしてそんな一年を締めくくるべく、十二月はゆっくりと身体と心を休めてあげて。甘やかしこそ今のあなたに必要なことです。祝日や日曜日には家で趣味に没頭するのも、ひたすら眠り続けるのもよし。家族サービスなんかは今だけは後回しにしても大丈夫。デリバリーサービスで楽をするのもいいでしょう。そうしたリラックスの時間に、ちょっとだけでもいいので来年の計画を立てるのもおすすめ。わくわくするような楽しいことだけを思い浮かべてみて。誰に遠慮することもなく、すてきで完璧な一年間をイメージしてみると、新たな道が開けてきっとあなたはもんにゃー」
わたしは手を止める。もんにゃー。気づけば声に出している。そのうち何か呪文のように思えてくる。どこかから紛れ込んだもんにゃーを口の中で転がす。トイレに行きたくなるけれど、しばらく動かず、わたしはもんにゃーと唱えて、その紙を広げてじっと見つめている。
日曜日の夕方、遠くから師走らしい騒がしい物音が聞こえてくる。
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