
「The Birthday」
ハーフバースデーの記念に、というわけでもないのだけれど、娘を連れて科学館へ出かける。そこでベビープラネタリウムを鑑賞する。このイベントを紹介してくれたのが誰だったのか、忘れてしまった。最近、そういうことが増えた。
二十分近くかけて区の西端にある施設へ向かう。電車内で娘は激しく泣いた。乗客の視線はあまり気にならなかった。窓から見える街路樹がうすく色づき始めている。ようやく秋がやって来た。
入り口でハルさんから呼び止められた。プラネタリウムのことを教えてくれたのって彼女だったっけ。そもそも一緒に行く約束だったのかも。どぎまぎしながら、抱っこ紐に包まれたネモちゃんにも挨拶する。長話をせずに切り上げる。
スタッフが待機していて、やさしく声をかけてくれる。案内に従ってベビーカーを置く。娘を抱いてドームに入る。
アニメのインストらしい楽しげな曲が流れていた。シートはふかふかで気持ちよかった。電車を降りる少し前から娘は寝ている。手のひらが温かい。わたしも眠くなってきた。
席はあまり埋まっていない。それでも少しずつ集まってくる。付き添いは母親ばかりだ。なぜか安堵する。ネモちゃんたちはどこに座っているのか、ここからはよく見えない。
古めかしいブザーの音が鳴る。どこかで赤ちゃんが、ぎゃん、と叫ぶ。音楽のボリュームが抑えられ、プログラムについてアナウンスがある。その声もきんきんしていなくてやわらかい。
「みんながうまれたときのほし」がこのイベントのタイトルらしい。
音楽がクラシックに変わる。聞き覚えはあるけれど曲名がわからない。星空は一月から始まる。なんとなく、四月スタートだと思っていた。
冬の大三角形を中心に二月の空が映し出される。いっかくじゅう、という文字の感じがかわいらしい。娘のほっぺを軽くつまむ。きゅう、と喉の奥を鳴らす音が響いた。
娘が生まれた三月の空に変わる。南にオリオン座が見えた。アナウンスはほとんど流れない。だから赤ちゃんの泣き声が激しくなっても影響はなかった。どこかで誰かしらがぐずっている。それをあやす声も聞こえる。ドーム内が静まり返る瞬間は短く、一人が泣くと連鎖したように続く。
そのうち娘もむずかり始めた。一旦、席を外して、授乳スペースへ向かう。右の乳房が少し張っていた。
授乳室には誰もいなかった。おしっこが溜まっていたのでおむつを替える。三月の星空を見ることができたからもう帰ってもいいかも、という気持ちもある。
とりあえずおっぱいを飲ませてみる。娘は気乗りしない様子で軽く乳首をくわえると、すぐに口を離した。
ドーム内は黒く、真っ暗だった。さっきの席まで戻れそうになくて入口付近に座る。プログラムがどれくらい進んだのか、よくわからない。音楽が止まっている。やたらと静かだ。泣き声もしない。人の気配は感じるのだけれど、周りがよく見えない。
上空が明るく、まぶしく光る。天の川みたいにたくさんの星で埋め尽くされる。静寂の中、一つ一つの輝く点が寄せ集まり、宇宙全体がうねっているようで気持ち悪くなる。さらに明度を増して近づいてくる。星が降ってきたのだ、と思う。強烈な光に瞳を閉じる。ぎゅっと娘を抱く。ロンパース越しに汗の湿り気を感じる。
白く輝き、空はすぐそばまで迫ってきた。まぶた越しでもわかる。今にもそれに飲み込まれそうになる。わたしはたぶん、声をあげた。
気がつくと十二月の夜空が広がっている。おうし座、おおいぬ座、オリオン座にこいぬ座などハイライトを入れる形で順番に紹介される。うす暗く感じるのは、まばゆかった光景が焼きついているからに違いない。
急激な変化に混乱する。クラシックも赤ちゃんたちの泣き声も聞こえる。娘はおとなしく眠り続けている。
ゆっくりと室内全体が明るくなる。それは先ほどのまぶしさとは違う。温かみのある光に包まれる。ざわめきもよりクリアになり、お母さんたちの緊張がほぐれた様子が伝わってくる。あの時間をみんなどう感じていたのだろう。娘を抱きかかえて立ち上がる。足元に気をつけてくださいね。スタッフの言い方はやはり親切でやさしい。
ハルさんと会話するのも気が重く、そのまま建物の出口へ向かう。ばいばい、ありがとう、と女の人が娘に手を振る。
ベビー布団の上に寝かせた途端、娘は目を開いた。手足をばたつかせ、今にも泣きだしそうだ。おっぱいの準備をしていると右手が開く。海外のキャンディみたいな球体が落ちて、シーツの上をころころと転がる。
とても小さな星だった。淡いけれどちゃんと光を帯びている。よく飲み込まなかったな、とまずは安堵する。遅れて、あれって本当にあったんだ、と思う。娘は降ってきた星を手につかんだのだ。でも実感が追いつかない。頭がくらくらする。
母乳を飲ませながら目を閉じる。激しい光の残像がまぶたの裏でちらつく。天の川全部が落ちてくるような光景が浮かぶ。あのときの気持ち悪さがよみがえってくる。
強く乳首を噛まれ、声が出た。痛みにかっとなり、思わず手が出そうだった。最近、娘は遊び飲みを覚えてちゃんと吸ってくれない。生後すぐに乳腺炎になったのだけれど、そのころの苦しさが舞い戻ってきたようだ。
おっぱいとミルクの混合で育てたかった。それもバランスよく飲ませてあげたい。わたしのエゴと胸の張りという身体的な状況、それらの要素がシームレスに交わり、いちいち囚われてしまう。痛みが加わるとさらに感情がかき乱される。
もし父親がいたらこんな気持ちにならなかったのだろうか。夫婦で育てていたら、もっと精神的な余裕を持てたのだろうか。
一人で産む、と決めたときから、支えてくれた人たちがいなければ、出産前以上に、それ以降の生活は地獄だったかもしれない。
産後のほうが圧倒的に鬱はきつかった。不安が身体の内側にうずまき、口を開くだけで混濁したどろどろの感情を嘔吐してしまいそうだった。号泣もしたし、声を押し殺して泣き続けた夜もあった。三時間ごとの授乳に追われ、それを前提としたスケジュールで動かされているような感覚も辛かった。膝が痛くてたまらない。朝、目を覚ますとばね指になっている。ぎゅん、と血管を強く握られたような頭痛もお決まりだった。そんな痛みなんて出産するまで一度も感じたことがなかった。
自分の身体ではないみたいだった。微熱が続く。悪露が止まらない。その言葉の響きも字面も嫌いだった。何かいけないものでも産んだというのか。そんな考えが浮かび、ひどく悲しくなった。
それでも娘はかわいかった。何ものにも代えがたいと心から思える。目を離したらすぐに死んでしまうのだ、という儚さそのものに感動する。くしゃくしゃで宇宙人みたいな顔なのに、どうしてずっと見ていられるのだろう、という新鮮な驚きもあった。
そうした愛情の隙間をぬって重苦しい気持ちが染み出てくる。不安定な感情がさらに揺れる。
おむつからおしっこが漏れることもよくあった。服もシーツも濡れ、あっという間に冷えていく。真夜中に一人、洗面台で洗っていると涙が止まらなくなった。
母には事後報告しただけで、まともなリアクションはなかった。離婚に関する際のごたごたは実家にも及んだ。そのせいで、元々危うかった家族の縁がいよいよ切れつつあった。
それでもヘルパーさんが月に数回来てくれる。また、父方の伯母さんが近くに住んでいることがわかった。ぎりぎりの状況に追い詰められたとき、その一家が手を差し伸べてくれた。けれど、何度も好意に頼れるような雰囲気ではなくなってきた。
娘のためにやって来るのは女の人ばかりだ。シングルマザーに対する区の援助の一環として、無料でニューボーンフォトを撮ってもらった。生後、二週間ほど過ぎたころだった。
背が高くて快活なカメラ担当の人と保育士さんが派遣される。白いシーツをクッションに敷く。そこに娘を寝かせてお手製のファーストクラウンを被せてくれた。凛とした名前にきっとよく合うと言って、藤色の花を隣に添える。飾りつけの合間もカメラの女の人はずっとにこにこ笑ってくれる。退院して以来、はじめてやさしくされたような気持ちになった。
フレームつきでプリントした写真を何枚かもらう。デジタルデータとしてほかの画像も眺めることができる。オムツやベビー服を入れる水色の棚の上にクラウンと写真立てを置いた。
娘と視線が合う。にこりと笑う。寝起き直後はぼんやりしていて機嫌がいい。そのうちにまた泣き始めるのだけれど、この穏やかなひと時に癒される。わたしは思わず星を見やる。娘の首にぐいと力が入り、ブリッジのような体勢になる。
寝返りの瞬間をまだ一度しか確認していない。あるいはわたしの見ていないところでひっくり返り、また元に戻る、そんなアクティブさを発揮しているのかもしれない。六か月くらいで寝返りするようになる、ということは育児サイトやそこでのコメント欄でもよく見かける。ほかの赤ちゃんと比べても意味がないことはわかっているけれど、もっと頻繁にころんとしてくれると安心なのにな、と思う。でもそうなったらそうなったで、きっと目が離せなくなるのだろう。
娘は寝返り寸前の状態で留まり、頭だけを動かして星を見る。たぶん、見えているはずだ。あるいはアクロバティックな体勢で反対側のフォトフレームへ視線を向けているのかもしれない。そこに映る生まれたての赤ちゃんは過去の自分自身だ。娘にはそれがどのように見えているのだろうか。
漆黒だった空が突然、たくさんの光であふれた、あの瞬間がよみがえる。宇宙の始まりはあんな感じだったのかもしれない。
星空のことは何もわからないけれど、キリスト教について少しだけ知っている。一応、ミッション系の大学に通っていた。大学時代、講義の合間にあったチャペルアワーを思い出す。最後に讃美歌を歌う。そのうちサボるようになったけれど、講堂に響くオルガンの音は好きだった。あれを弾いていたのは誰なんだろう。大学の職員さんなんだろうか。今さらどうでもいいことが気になる。
娘の父親のことも考えてしまう。卒業後、しばらくして大学時代の友人から紹介された。同じ学部だったはずなのだけれど、当時は交流がなかった。構内で見かけたような記憶もない。ほぼ初対面に近かった。それでも共通の話題が多く、会話は盛り上がった。声の大きい人だな、という印象を抱いた。
あの男もチャペルアワーに出てたんだろうか。そんな話をしたこともない。もうそれを尋ねる機会はない。
光あれ。星に向かってつぶやく。続けて娘が、ぷたあ、と声をあげた。それがこの小さな星の名前みたいに思えた。二人で一緒に名づけたようで、うれしかった。
おっぱいを吸われているうちに便意を感じる。けれど途中で放り出すわけにはいかない。ようやく泣き止ませたばかりで、落ち着いた状況を壊したくなかった。お尻や腿の辺りが自然ともぞもぞ動いてしまう。
生理が近いのかもしれない。感覚は鋭敏になった気もするのに、そうしたお腹の痛みの違いがどうもよくわからなくなった。
出産後四か月くらいで生理が来た。出血は少なく、痛みもあまり感じない。けれど楽だったのはそのときだけで、以前と同じようなしんどさが戻ってきた。娘が乳首を舌で突きながら、ふしゅ、と笑う。わたしは視線を逸らして星を見つめる。
枕元から離れたところに置いてあった。いつの間にか浮遊している。しかもちょっと大きくなった。表面が灰色のうすい層に覆われ、ほんのりと光を帯びる。触れてみても気流の感触はない。ただ手のひらがくすぐったく、そよ風に撫でられているみたいだ。位置を変えても、星はまた浮かび上がる。ぐるぐると鈍い色の渦が動く。自転か公転かはわからないけれど、回転している。ちゃんと宇宙について学んでこなかったことを恥ずかしく思う。眠っている娘が手を伸ばさないよう、さらに奥へ星をずらす。
星を持ち帰った親子はほかにもいるのだろうか。あの瞬間だけ違う趣旨のプログラムを見せられているようだった。いきなり星空が降ってくる。それについてのアナウンスもスタッフからの説明もなかった。あれほどまでにまぶしい経験をしたことはなかった。
星を飲み込まなくてよかった、と改めて思う。もし口に入れていたら、娘の体内にまだ留まっているのかもしれない。それともあっさり出てきて、おむつのなかでくるくる回ってたりして。
ひさしぶりに声を出して笑ってみる。右の乳房がわずかに揺れる。娘が両手でまぶたをごしごし擦る。
星は成長する。夏の桃みたいなサイズになった。表面の様子も変わる。灰色の雲は霧散して、黄色味を帯びてきた。明るく輝き、動きも活発になったように見える。
母乳をあげながら、ぷたあ今日も元気だよ、とか、またちょっと大きくなったみたいだね、と話しかける。娘と視線が合う。何かしらの含みのある表情を浮かべているのだけれど、まるで読み取れない。乳首を噛まれる。怒気のこもった声を飲み込む。代わりに、ぷたあ、ずいぶん色づいてきてるね、と言う。果樹園にでもいるみたいな物言いだな、と思う。
とにかくこの時期が一番かわいいんだから。ヘルパーの人にも親戚たちにも言われた。町中で娘に声をかけてくる老人たちも同じようなことを口にする。
その通りなのかもしれない。けれど、ときどき、この世の終わりみたいに辛くなる。深く悲しい気持ちになる。いろんな人から助けてもらっている反動からか、ひどく孤独を感じてしまう。甘えるな。声が聞こえる。あの男の厳しい言い方で頭の内側で強く響く。びくんと震えたあと、全身が固まる。
いっそのこと、わたしと娘を冷凍保存して、このきつい期間をパスさせてくれたらいいのに。ある程度はコミュニケーションが取れて、一人の時間を確保できて、放っておいても勝手に死んだりしないような、あの男からも遠く遠く離れた、そんな地点までワープさせてもらえたらありがたいな、と思う。その上で、一番かわいい、という幸せな思い出だけうまいこと記憶に植え付けてくれないかな。
でも未来へ移ったわたしたちが解凍されたとして、今の状態から再スタートするだけなんだよな、と気づく。現実逃避的な空想があっさり途絶える。
月に一度、区の施設で身体測定をしてもらえる。午前最後の枠に出かける。こどもプラザまでは歩いて十分ほどだ。
夏の酷い暑さはすっかり消えた。陽が射していても、ほとんど汗をかくことはない。遅れて行ったからか、すんなり測定所へ通された。はじめて訪れたときは混んでいて、そこに漂う圧倒的正しさや尊さへの強い信奉、みたいな雰囲気に心が重くなった。ほかの赤ちゃんの様子も気になり、つい比較してしまう。それでも保育士さんにいろいろ相談できて、育児に関する不安はその場限りでも取り除かれる。
お父さんらしい男の人の姿も見える。そういうのは例外なく夫婦で来ている。こみ上げてくる感情をできる限り無視する。
おむつ一枚の姿になった娘がスタッフの人たちに声をかけられながら、身長と体重を計測される。六か月を過ぎて、どちらも一気に上昇した感じがする。
生まれたての娘の数値は平均よりもかなり低かった。予定日より早かったせいもあって、もう少しで低体重出産児として扱われるところだった。
母子手帳や育児アプリにある成長曲線の標準ゾーンを下回っていた最初のころから比べて、だいぶ真ん中に近づいてきた。頼もしく、うれしく思う。大丈夫、これでいいんだ、と肯定的な気持ちがじわっと染み出してくる。
保育士さんに相談することなくプラザを出る。ハルさんの姿が見えた。ネモちゃんを連れていないようだ。ひっそり通り過ぎようとしたけれど、気づかれてしまった。並んでゆっくりと進み、建物から少し離れたところで立ち止まる。娘はベビーカーに乗せた途端、眠りに落ちた。
話題の取っかかりとして、測定の結果を細かく口にしてしまう。ハルさんからは教えてくれず、すぐに後悔する。プラネタリウムの星のことを訊こうという気持ちにはなれなかった。他愛もない話をしているうちに調子が出てくる。最近、よくおっぱいを噛むから痛くって、と軽い口調で言うことができた。
カッとなっちゃうくらい痛いときは鼻をきゅっとつまんで、めっ、って叱るといいよ。でも、あたし的には、めっだときついかな、って思うから、ら、って言うようにしてる。
早口で言い終えたあと、ハルさんが笑う。娘は目を閉じたまま眉毛と眉毛の間をぎゅっと狭める。冗談なのかどうか、リアクションに悩む。頬の周りが強張る。
ラって、ハルさんもフランス語を習ってたのかな。帰り道、どうでもいいことが気になる。女性名詞の冠詞だもんな。大学時代の適当な知識がよみがえる。チャペルアワーのことも思い出す。讃美歌のオルガンの音が耳の裏辺りで響く。胸がぐっと苦しくなる。
星が少しずつふくらんできている。成長したのか、元々の姿、というものがあればだけれど、それに戻りつつあるのか。表面は黄色から赤へと近づく。果実みたいだな、と思う。蛇がいれば、齧ってみなよ、とでも囁くだろう。
娘はそれほど関心を示さない。球体ならオーボールのほうに夢中だ。異常な執着心を持ってひたすら舐めまくることがある。それでもときどき星をちらりと見やる。ぷたあ、大きくなったね、と声をかける。娘が何やらつぶやく。
このまま星が成長していくとしたら、何かしらの命が誕生するのだろうか。あるいはわたしたちからはよく見えないだけで、すでにプランクトンのような生命体が繁殖しているのかもしれない。それは少しずつ進化していく。いつか人間みたいになるのだろうか。やがて文明が生まれるのだろうか。
その様子を観察してみたい、とわたしは思う。
夜中、娘が泣く。面倒なのでミルクだけで済ませる。なぜかそのことに罪悪感を抱かなかった。粉ミルクを多めに入れてお湯で溶かす。水道水で哺乳瓶を冷やす。容器の濡れた表面もさっと拭う。最初のころから比べると、ずいぶん雑に作るようになった。
最近では星の光だけで過ごしている。常夜灯替わりにちょうどいい。娘は哺乳瓶の乳首をリズミカルに吸う。眠いときほど遊びはない。ふいにぱちりと目を開ける。急にしっかりとした、完成したような大人びた顔つきに見える。あと数年もしたらこんな感じになるのだろうか。かわいい、と同時に、怖い、という感情も生まれる。
娘がまぶたを閉じる。元のぱつぱつの状態に戻る。やわらかい肉の塊がぷくんぷくんと揺れる。それもまた愛おしい。
星がいよいよ大きくなる。表面は青く覆われていく。海だ。水があるということは命も宿るに違いない。気のせいでなければ緑の部分も見える。うすい雲が絶え間なく流れる。赤いところは火山なのだろうか。
星を持ち帰って以来、ヘルパーさんも親戚もまだ訪ねて来ない。この先、育児休暇はどれくらいまで伸ばせるだろうか。保育園に預けることを考えると憂鬱になる。少しの間でも娘と離れることがさみしい。誰かの手に委ねるのも不安でならない。
もう一度、プラネタリウムに行ってみようと思った。別のプログラムがあるか調べてみてもよくわからない。検索しても何も出てこない。
電車に乗って科学館へ向かう。老夫婦がベビーカーを覗き込み、いないいないばあをくり返し見せていた。娘は最初に声を出して笑い、あとは無表情だった。
建物はかなり古びていた。一か月も経っていないのに、前に来たときとどうも雰囲気が違う。館内を探してみてもドームの入り口がわからない。
職員に声をかけて、プラネタリウムがどこか尋ねる。何年も前に閉鎖された、と答えが返ってくる。投影機が故障して買い替える予算もなく、惜しまれつつ終了したらしい。ドーム型の施設の名残もあるのだけれど、そのスペースは閉鎖されている。
当時は頻繁に子供向けのイベントをやっていた。職員らしいおじいさんは強面だけれど、親切に教えてくれる。ほら、そこに過去のプログラムをまとめたものがあるよ、と壁のパネルを示す。
「みんながうまれたときのほし」というイベントの様子が大きく展示されている。ベビーカーを押して近づく。胸が激しく不規則に波打つ。
写真はカラーだけど、ひどく色あせていた。その中にハルさんの姿を見つけた。胸に抱かれるネモちゃんもいた。
頭が混乱する。あれは昔のイベントだったのだろうか。わたしたちはこの場に残存する記憶に触れ、そこに紛れてしまったのだろうか。地球に届く星の光が過去のもののように、ドームに投影されたかつての星空をそのまま経験したのかもしれない。文脈も意味もまるでわからないけれど、確かにその光景を目にした。そして娘は星を持ち帰った。
写真をじいと見つめる。怖くはなかった。わたしと娘の姿を探す。けれど、そこにわたしたちはいない。
ハルさんに連絡しようとして、その手段がわからなくなる。なんで繋がってたんだっけ。どうやってプラネタリウムのことを知ったんだっけ。記憶が混濁している。娘がベビーカーの中でもそもそ動く。
離乳食を始めて三週目に入った。慎重に一品ずつ食材を試してきた。おかゆ、かぼちゃ、バナナ、そこにしらすを新しいメニューに加える。今のところ、ほうれんそうやにんじん、豆腐を与えてもアレルギーは出ていない。
丁寧にやろうとするほど準備が大変だった。おかゆも濾して、ほかの食材もすり鉢でぐちゃぐちゃにする。キューブタイプの容器に入れて凍らせる。
うすめたおかゆは安定して飲み込んでくれるけれど、それ以外は舌触りが異なるからか、娘はたいてい顔をしかめる。舌を出し、半分くらいこぼしてしまう。それをすくってまた口へ運ぶ。腰がまだしっかりしていないので、抱えながらの作業にやたらと手間取る。
しらすを与えると娘が激しくむせた。塩気を抜いてやわらかくしたつもりだったけれど、顔を真っ赤にして咳き込む。食べたものをどろりと吐き出す。わたしはパニックに陥る。背中を激しく叩く。もう何も出てこない。息をしているから、きっと大丈夫なはずだ。
ちゃんと食べさせないと成長曲線がまた平均を下回ってしまう。この瞬間でさえ、そんなことが頭に浮かぶ。けれど、もう一度、与えるのが怖い。
とりあえず母乳を飲ませる。娘は落ち着いた様子で静かに吸ってくれた。背中をさすり、げっぷをさせる。おむつを替える。わたしの正面にファーストクラウンを被った娘の写真が見える。添えられた花も目を引いた。確かに藤色がよく似合う。
テーブルの上には汚れた前掛けやスプーンが散らばる。プラスティック製の食器もひっくり返っている。白湯がこぼれ、小さな透明の溜まりになった。濡れたガーゼにはバナナやかぼちゃの色素がついたままだ。その乱雑な様子にショックを受ける。これがずっと続くのだ、と思う。今すぐにでも泣いてしまう。そんな予感と裏腹に、涙が出てこない。
ヘルパーさんが来てくれるときは手順も完璧で、きれいに後片付けもしてくれる。ありがたいし、そのことでかろうじて繋ぎ止められているのだ、とわかってもいる。
それなのに、ときどき耐えられなくなる。めっ、と自分に言う代わりに、ラ、と言ってみる。そのあとで何かしらの女性名詞を続けたくなるけれど、もう何も思い出せない。舌の奥がかすかにひきつる。
夜明け前、娘は星を見ていた。わたしが目を覚ましたことに気づき、ふにゃり、とほほ笑む。本当に愛らしくて胸が苦しくなる。ありがとう、という気持ちが湧き上がる。同じだけ、ごめんね、と思う。何に対してなのか考えないように、その感情をなんとかやり過ごす。
わたしたちの星はずいぶん大きくなった。星の一生として正しいのかわからないけれど、どんどん色も変わっていく。今では青と緑で覆い尽くしている。白い部分は氷の大陸かもしれない。ここに移住できたのなら楽になるのだろうか。苦しいことに変わりはないのだろうか。
娘が不器用に這い出す。うねるようにゆらゆら前進する。そんな動きははじめてで、成長に感極まる。星に向けて懸命に手を伸ばす。それはまだ詳細を観察できるほどの大きさではない。でもきっと数多の生命が宿り始めている。この先、娘と一緒に観察していきたい。ぷたあに女王が誕生するならば、娘以外にない。それはすでに決まっている。もう頭には嵌らないだろうけれど、すてきな王冠だってある。
小さな手のひらが青い表面を覆う。娘はやさしい。決して力いっぱい荒く擦りはしない。ただそっと添えるだけだ。星が回転するその感覚を確かめている。
わたしは目を閉じた。短く息を吸う。心を込め、なるべくクールに、うめよ、ふえよ、ちにみちよ、と唱える。