「死」よりも使える「活路」とは
死、出るとこに、我あり
ずっと「死」というものの恩恵に預かってきた
自分の 好奇心が赴くままに生き、そのときの 閃きに没頭してきたがゆえ
常に上司もおらず、自分で蒔いた種以外での〆切は存在しなかった
自分で蒔いた種だから、育てずに、刈り取りもしなければ、まさに飢え死にするだけ
思えばそんな人生
「思えば」…今年の2月に「コロナではない」とされる謎の肺炎を患い、そして死にかけた…正確には一度か二度は心停止、どうやら死んだ、らしい
らしい、というのは自分では そんな自覚がないからだ
ただ「これが走馬灯ってヤツか?」といったような、過去の心残りばかりの回想のような幻覚のようなものを観た
そこから「死」への概念が変わってしまったのだろうか
いつものごとく「死のう」と決めることで、自分を「鼓舞」しようとしたところ…
なんだか「安堵」の方が上回ってしまったのだ
いつもなら「どうせ死ぬなら」と、やり残したり、やりたいことが浮かんできては、それをこなしているうちに、気がついたら その閃きがカタチになっている、実現している、という寸法
ところが「よく頑張ったなぁ」であるとか「よくやってきたもんだ」だとか
金持ちから貧乏まで、世界中のあらゆるところにも行けたし、女性を含めヒトにも恵まれてきた
なんだかとても満足のいく人生だったな、的な
「死」それは僕にとって唯一のカード、最後の切り札と言っても過言ではない
あまりにも、そのカードに頼りすぎていた
もっと具体的にしてみたらどうだろう
「あと100日で死ぬワニ」に倣って「あと〇〇日で死ぬカキ」と銘打って、個人のTwitterでだが 宣言してみた
たまたま 11月13日が、最近の諸々の節目だったので、その日に定めた。つまりはあと「34日」
13日の金曜日に生まれた者としては、その日がまた 13日の金曜日だったら おもしろいというか、乙だったのだが…「土曜日」…なんだか惜しい…ある意味、これが心残りかも…
けして誤解しないでいただきたいのが、そうやって、なんだかんだと、自らの好奇心が赴くままにでも 生き延びてこれたので
必要最低限の活動は維持できている、と自負してまして
人生なんてものは「塞翁が馬」すべては偶然の産物なればこそ、幸であれ不幸であれ、目の前の事象への取り組みは変わらない
問題はそこではなく、もっと爆発したい、もっと弾け飛びたい…もっと…もっと…
そうでもしないと「気候変動」なるものには打ち勝てない、そんな気が…そう思い込んでしまっている
最近、一番応援してくださってる方のご家族に癌が見つかった
そうやって「生かしたい人」なにより「生きたい人」がいるというのに、なにを不謹慎な
それはアフリカでは飢え死にしてる子供たちがいるのに…と同じで、僕の脳内では直結せず
「死」を弄んでいるのではなく、あくまで「〆切」であるとか「ゲームオーバー」を設定することで、自分を鼓舞するための ツールであり、作戦のひとつ「だった」のでございます
「あと34日で死ぬカキ」などとカウントダウンを始めたところ「あと少しで楽になれる」などと、その最終日が楽しみになってしまったり
ともすれば 身辺整理まで始めようとしてしまう
身辺整理しようとして、すべての財産がカバンひとつなのを思い出し、もうすることがなかった
周りに迷惑をかけない死に方、だとかに思いを巡らし、そういえば一時期「完全自殺マニュアル」なんてものがベストセラーになっていたな、だとか
そりゃ、叶うなら、細胞一粒に至るまで、とことん役に立って、かつ誰にも迷惑をかけないで死に行きたいものでございますよ
映画「アルマゲドン」のブルース・ウィリスなんて、もう最高の憧れでございます
果てさて「死」では「継続」出来なくなってしまったいま、どうやって鼓舞していけばいいのか…
そんな秘訣を、あの「ほっしー師匠」が、例の「なんとなくお金になっちゃうルーム」で教えてくれることになっております
明日(10/11)月曜日、朝8時15分から、こちらにて💁♂️
おいおい、そんなことより「アルマゲドン」懐かしいじゃねーかよ!って方は☟
いやそれよりも「ジェイソン」を思い出したよ…ん?マイケル・ベイ?なんで?☟
ちなみにこのルームの 音声版や 文字版(カキ起こし)もございます。明日の内容もどこかのタイミングでアップされます☟
本日もご拝読感謝🙏
僕の代だけではなく未来へと繋いで行きたい☟
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