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手紙

  思い返せば、高3の部活動が終わった翌日、あの日に全てが終わったのだと思っています。試合に負け、引退した翌日から後期日程の中間テストがあり、あの日私は徹夜で勉強し、朝を迎えてリビングにあったPCでニュースを見ていました。
  その時掛けられた言葉が、「そんなことしている暇があったら、勉強しなさい」でした。私はその時、このヒトは私の近くにいるはずなのに私のことをのことを何も見ていないし、見る気が無いのだろうな、こんなに虚しいことってあるのかな、と思ったことを今でも鮮明に覚えています。  父が言うには、母は私のことを大層可愛がっていたそうですが、『可愛がる』言う事は何を以てそういうのでしょうか。

  例えば、犬を飼っているとします。犬は甘党ですが、炭水化物を与えると歯石が付きやすくなり、口が臭くなっていき、人間と同じ歯周病になり、歯が抜けていきます。
  口の中を清掃する機会がヒトより少ないのですから、当たり前のことだと思います。
  では、犬にパンや生クリームのようなものを与える行為は、犬を可愛がる行為と言えるでしょうか?確かに、その場で与えれば犬は喜ぶでしょう。
  ですが、晩年は口臭と歯周病に苦しみ、食べるという行為そのものが難しくなっていきます。一時的な快楽を教え込み、短期的な幸福感を与え、中長期的な苦しみを与えることは、私は可愛がる、愛するという行為ではないように思っています。
  とは言え、犬という動物には理性が凡そありませんから、強烈な快楽を1度でも教えられれば、その衝動的な情動に突き動かされてしまうことは仕方がないことだと思っています。

  私は、情動で行動するヒトを動物、理性で行動する人を人間だと定義しています。これは、善く生きることを説いたソクラテスから派生したストア派の根底を成す考え方の1つです。
  人間と動物の違いは何か、それは理性があるかないかであるということ。人間として善く生きる人とは、理性によって行動する人のことを指しています。
  そのため、不機嫌や感情で他人をコントロールしようとするヒトのことが大変嫌いです。

  多くの親は、子供の幼少期に、親子関係という絶対覆らないパワーバランスの元、一方的に子供を支配することが出来ます。時には恐怖させたり、暴力を用いることもあるでしょう。私もしばしば用いられて来ましたし、それが必要なこともあったのかもしれません。
  ですが今日では、恐怖や暴力を用いる理由は何かと聞かれれば、それは『手っ取り早いから』であるように思っています。それはロシアやイスラエルのような国家単位でもそのように感じます。
  理性を用いて対話する能力が無い動物に対しては、恐怖と暴力はとても手っ取り早く、楽な手段であるように思います。話し合うことが不可能だと判断すれば、そうした方が楽で済みます。
  これは簡単に言えば、相手を理性的に対話する能力が無いと見下している行為であり、相手に対して敬意がありません。ヒトとヒトの関係性が対等ではないのです。このような関係性の上に可愛がるという行為が成り立つのであれば、私はペットと変わらない存在であったと言う事になると思っています。ヒトとしての尊厳が無い、家畜ということです。
  子は親から多くのことを学びますが、これもまた私が親から学んだ1つの真理であるように思っています。そして、強いものがそれを用いることを許容される家庭の中で、私は育ちました。
  つまるところ何が言いたいのかと言えば、私は大変面倒くさい子供だったのだろうということです。

  幼い頃から伝えたいことが沢山あったはずなのに、すぐ感情的になる母に対して何を言っても無駄であると判断するようになるのに、あまり長い時間を要さなかったような気がします。
  そうして何も言わないから、親の側も私を確証バイアス越しにしか見なくなり、私自身に対する興味ではなく、私が持ってくる第三者の評価にしか興味がなくなってしまったのでしょうね。
  ヒトは大抵の場合、他者と他者を比べる中で、よりも劣る存在そのものには価値を見出すことが出来ないことが多いので、資本主義社会においての評価である金にならなかった私にも当然価値はないのでしょう。というより、この世界に長く存在するだけで大変なコストがかかりますから、単純に消えて欲しいと思っているのかもしれません。
  こうして色々棚卸していくと、父の言う可愛がるという行為は、私にとってはかくも虚しい行為だと思います。お人形遊びのようなものでしょうか。

  私は今、ヒトと向き合う事をとても大切にしています。古い言葉で言えば、『信賞必罰』というものや、最近では『アセスメント』という言葉を用いることが多いですが、ヒトのあり様がどうあるかを可能な限り根拠を以て判断するということです。
  ヒトには得手不得手があります。それは、発達障害があっても無くても存在することが多いものです。
  そして大切なことは、得手不得手があって良いとか悪いではなく、そういうものだと肯定することだと、私は思っています。
  不得手でも頑張れば出来るということはあると思いますし、努力して不得手を克服すれば自信になることもあります。勉強というものは、大概はその類でしょう。ですが、そうでないものもあります。例えば、学校に通う児童・生徒だった頃には大変遅刻癖があった私ですが、今遅刻に悩むことは殆どありません。それは、良い目覚ましを買ったとかではなく、時間に対する捉え方を変え、数日先の予定まで計画した上で時間をコントロールするという技術を学んだからです。ただ逆に、一時的な無理をする・努力するということを放棄しています。1つ得て、1つ失ったのです。
  これは当時の私と今の私どちらが優れているかではなく、『変化した』というだけのことだと思っています。

  思えば、急な予定の変更は昔から苦手でした。中学受験を辞めたのも、急な予定の変更で宿題が終わる目途を崩されたからでした。
  100点を取らなくてはならない、取って当たり前だという教育から生まれ出た完璧主義や白黒思考というコグニティブディストーションもまた、当時の私を気付かぬうちに苦しめていたのかもしれません。
  そして、その全てを私の責任だと決めつけ、塾にかかった費用のおかげで父が欲しい車を買えなかったと母が私を責めたことは、とても苦しかったと記憶しています。このヒトは金の話ばかりしているという印象を持ったのも、この時が最初だった気がします。
  水泳やそろばん等の好きだった習い事を全てを捨てて、1年遅れでスタートした中学受験は、4年生で習うことを知っているという前提で進められることが多く、本当に辛く感じることもありましたが、当時の私はまだ、努力すれば何でも出来ると信じていましたから、それは必死に努力したのだと思います。
  塾に入って最初の夏期講習を終える頃には、成績も飛躍的に上がっていき、一番上のクラスに移ることになりました。努力することの大切さを学んだのは、この時期かもしれません。ですが同時に、やればすぐに結果が出るものに対しての興味が強くなり、やっても結果が出にくいものに対しての興味が薄れてしまった時期でもあった気がします。
  結果的に、自分の見てくれや運動に対するモチベーションは、大きく下がっていったように思います。
  加えて仮にこの考え方が当時の考え方に近いのであれば、中長期的に計画を立てるという考えに至らず、宿題を終わるまで夜更かしして遅刻するのは自然の流れなのかもしれませんね。

  そして今日では、努力することは大切だけど、努力しても出来ない・達成することが非常に難しいことが沢山あると考えています。
  その1つが就職です。私は自閉症という障害を持っていますが、今の日本社会は自閉症という存在を受け入れてはいません。
  平成の終わり頃から令和にかけての大学新卒者の就職率は、実に98%に上るそうですが、発達障害の診断を受けている人に限っては60%ほどに留まります。新卒でさえその数値なのです。
  そして、自閉症の診断を受けていて就職している人は、発達障害白書によると3割程度というデータがあります。ここ最近の失業率は3%前後をずっと推移していますから、自閉症というラベルを貼られた人を受け入れる器の大きい企業というものは凡そ存在しないということが良く分かります。
  自閉症という診断を受け、それを隠すことなく就職するには、努力するだけでは出来ないのです。他を寄せ付けない、圧倒的な運が必要なのだと感じています。少なくとも私は、2年半もの間一生懸命努力すれば就職出来ると信じて努力してきましたし、その努力の中で得たものはありますが、就職するという成果は、努力しても手に入らないものであると確信し、そのために努力することを辞めました。

  日本という国は、自己責任で全てを片付けようとする人がとても多いと思っています。確かに昭和の時代は、努力して良い学歴を修めて良い企業に入り、シャカリキに働けば努力を認められて成功したのかもしません。
  落ちこぼれたやつは努力不足だ。そう決めつけてしまえば、恐怖や暴力と同じで、手っ取り早くて楽ですし、当時はそれで良かったのだろうと思います。というより、努力不足というレッテルを貼り付ける行為そのものが恐怖や暴力なのかもしれません。江戸時代の汚多や非人、ヒンドゥー教の不可触民のような扱いを受ける人が居れば、仮に奴隷のように扱われたとしても「自分たちはまだマシ」と、他者を見下すことで奴隷という身分であっても、自分自身を誇れたわけですから。これは現代社会に於いて、奴隷のように扱われる労働者が、ナマポや引きこもりよりマシと、ドングリの背比べである事実から目を背けて他者を見下している行為と変わりません。
  そして就職氷河期の人は、努力して今の地位を勝ち取ったと思い込んでいる人から、彼らは努力不足というラベルを貼られ、切り捨てられました。
  結果どうなったかと言えば、少子高齢化に拍車を掛けたり、所謂『無敵の人』が悲惨な事件を起こしたり、日本という国そのものが世界経済から置いてけぼりを食らったりしています。
  では就職氷河期世代の人は、本当に努力不足だったのでしょうか?
  先程今日の大学新卒者の就職率は98%という数字を出しましたが、就職氷河期と呼ばれる世代でのこの数字を見ると、実に5割程度です。
  そもそも今の大学生よりもこの世代の人の方が多いですから、例えば同じ慶應大学の学生だとしても就職氷河期世代の人の方が激しい受験戦争を勝ち抜いた可能性すらあると思います。
  勿論今の世代の人が努力をしていないと言う話をするつもりはありません。ただ、運が良かった/悪かっただけの可能性が高いのではないか?という話をしているのです。

  そういう意味で、自閉症を受け入れない社会構造が出来上がったこの日本という国に、自閉症として生を受けた私は、とても運が悪かったと思っているのです。
  また、他のヒトと明らかに違うのに、1人のヒトとして真摯に向き合ってくれる人間が身近に存在しなかったということも、とても運が悪かったと思っています。
  努力すれば中途半端に何でも出来てしまったということも、今思えば運が悪かったのかもしれません。結果的に視野が狭いまま長い時間を過ごしてしまったような気がします。

  努力したかしてないかで言えば、同世代の平均的な人よりはしたという自負があります。努力しなければ、駿台全国模試で1位を取ることは出来ませんでしたし、海外生活の経験もないまま中3で英検2級を取ることも出来なかったでしょう。サンデーショックの年に慶應高校に入ることが出来たのも、そこには血の滲むような努力が間違いなくありました。ただ、努力だけでなく、そこにはとてつもない運があったように思っています。
  数字に強く、理論的に考える才能がありましたし、多くの人が嫌いな勉強というものに対して努力出来る才能がありました。
  学費のかかる塾に通えるだけの経済的余裕のある家庭に生まれたというのも、運が良かったように思います。
  そもそも慶應高校の近くに住んでいて、非合理的なことをしたくない私にとって、その位置関係はとても都合が良かったのは間違いありません。

  ただ結局のところ、『やりたいことをやるために慶應に行きなさい』という言葉を間に受けて慶應に行ったことは、運が悪かったように思っています。
  やりたいことが見つからなかったら、どうするのか。
  今思えばそんな単純な話を、相手に問いかけることが出来なかった。
  何を言っても無駄であると、当時既に諦めていたのでしょう。

  今は昔よりも多くのことを諦めるようにしています。
  現世は苦しいことで満ちていて、生きることそのものがとても苦しいものだと感じています。
  加えて、運が悪かったことで求めるものが思うように得られなかったり、才能が無かったことで肉体が思うように動かせなかったりします。仕方がないことだと思って、諦めています。
  今はただ、その日その日に見つけることが出来る小さな楽しさを1つでも見つけて、それを幸せだと能動的に思いながら最期の日をいつ迎えても良いように1日1日を過ごすことが出来れば、それで良いと思っています。
  金銭的に苦しいのであれば、私はいつでもこの世を去る覚悟は出来ています。能動的に死を選ぶこともまた、最期まで善く生きる手段の1つであると考えています。

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