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自閉症と嘘と信頼

コミュ障の代名詞こと自閉症です。いつもお世話になっております。
私は、自閉症で、コミュニケーションに於いて障害を持っている事を自覚し、それを少しでも定型発達の健常者の方々に近づけるよう可能な限り自己を顧みて、日々精進するよう努めています。

そういうふうの発言すると大抵の人は、ガイジだけどガイジなりに頑張ってるんだなと、常に俯いてボソボソと喋るような自閉症と相対した時よりは、スタートから好印象を持って受け止めていただける方が多いと思います。
勿論私は、その言葉通りに日々話し方に関する本を参考にしたり、プレゼンテーションの上手な方の話し方に関するセミナーで学んだり、私自身のコミュニケーションを録音・録画して見返したりしながら、自身のコミュニケーションを可能な限り客観的に分析し、改善するよう努めています。
私は、純粋にその姿勢の私が好きです。そして、そこに好意を持って接してくださる方も好きです。自閉症らしく、嘘を吐くのも吐かれるのも嫌いな性分ですし、何より言葉の裏を読むのは苦手ですから、言葉の裏を読むような面倒なことは嫌いです。
私はつい最近まで、多くの自閉症はそう思っているのだろうと思っていました。ところが、意外とそうではない人も居るのだなと感じることが増えたので、その事について書いてみようと思います。

自閉症が嘘をつく時

誤解が無いよう先に注意書きしておく必要があるかもしれませんが、ここで言う自閉症は、広義のASDというよりは、古典的自閉症と、高機能自閉症を指すと考えてください。簡単に言えば、アスペルガー以外の自閉症と言えば良いでしょうか。
基本的に自閉症の人は、感情が昂った時か、感情が完全に死んだ時のどちらかの状態にある時、嘘を言うことが多いように思います。それ以外のケースでは、そもそも発言自体あまりしませんと言えば、多くの方は“成程”と思っていただけるかと思います。簡単に言えば、嘘をついてまで発言することは合理性に欠けると考えています。もっと言えば、嘘をつく事すら面倒くさいと言う状態です。
では具体的な嘘をつくケースとなると、例えば力関係が圧倒的に上の相手から、理不尽な理由で威圧的に叱られている時とかですかね。自分に落ち度がなくても、何を言っても無駄だと絶望していれば、とりあえずのストレス状況から逃れるためだけに嘘をつくことが多いです。
もう1つは、図星を突かれるなど、正直に応えたく無い返答に困る状況に追い詰められて、感情的に激昂した時も嘘が多いです。
この2つのケースで嘘が多いと感じるのは、恐らく嘘を見抜くのが苦手な自閉症でも簡単に見抜ける嘘を吐いているからだとも思いますが、とにかくこの状況に自閉症を持っていけば、彼らは思考を放棄して、簡単に嘘を吐きます。動物的で、まるで人間らしく生きていない、ただの畜生みたいですね。

アスペルガー症候群の方が嘘をつく時

自閉症と違って、敢えて蔑称を使いますが、アスペは圧倒的に嘘をつく頻度が多いように、最近は思っています。と言うより、彼らはそもそも、その言動を嘘を吐いているとも思っていないのかもしれません。彼らの多くは、自己を客観視出来ず、発言の全てが一人称視点にしか立てていないように見受けられることが多く、そもそも他人に興味がなく、特性として、常に自分が正しいと考えていることが多いですから。
冒頭で紹介した通り、私は、発言と行動が一致する事が、自分に対して正直であると考えていますから、逆にそうなっていない状態を正直で無い≒嘘を吐いている状態であると考えています。
要するに、最近口では本当に上手い事言って取り繕う割に、実際何も行動しない人が、同じ自閉症と呼ばれる人に多くいることを知って、基本的に嘘を吐かないことが自閉症の良いところだと思っていた私からすると、大変ショックで、かつ同じ自閉症としてとても恥ずかしいという気持ちになったということです。
この記事の本質は、そのことに関する愚痴みたいなものなのかもしれません。敢えて正直に書いています。

楽に生きるために嘘を吐かない

自閉症はが多く抱える特性として、何か行動を強いられる時、その理由に納得したい欲求がある。と言うものがあります。何故今この行動をするのか?と言うことです。
若い部下を持つ管理職の方なら、"この仕事なんで僕がやらなきゃいけないんですか?"みたいなことを言う部下を持ったこともあるのではないでしょうか。これはZ世代どうこうでは無く、正直に言えば自閉特性でしょう。
私は半年ほど前に就職を諦め、就職活動を辞めましたが、その最も大きな理由が、“何故就職するのか”を定義出来なくなったと言うのが大きいです。就労移行に2年近く通い、自己を理解した上で、社会に貢献しながら、その対価を幾らか戴ければ良いな。と思いながら不採用通知を眺める過程で、戴いた対価で何をするのか、何をしたいのか思い描くことが出来なくなっていきました。そもそも、この会社なら自分の能力を発揮して、社会に貢献出来ると思って応募する会社も、落ちるたびに減っていくのですから、働く理由が徐々に貢献から報酬に寄っていってしまうのは当然だと思います。その中で、報酬によって得るものに魅了を感じなければ、就職してまで貢献する意味は無くなってしまいます。
そう言う自分の素直な気持ちに従い、信念に従って生きることは、私にとって非常に楽です。経済的に死ぬじゃんと仰る方も居ると思いますが、生きること以上にコスパの悪い行為なんて存在しませんから、それは愚かな意見だと思っていますし、私の生きる目的は涅槃に入ることです。

何故嘘を吐くのか?

凄く単純なのかもしれませんが、嘘を吐かないことで生きるのが楽になる私とは逆で、嘘を吐くことで生きることが楽になる人も居るのでしょうね。
発達界隈で言えば、面接が上手なタイプと言えば伝わるのかもしれません。この手のヒトは、弁が立つ人が多いし、初回の印象がとても良いことが多いですよね。なかなか人間関係の構築の第一歩を踏み出せない、私のような自閉症からすると羨ましい能力ではあるのですが、最近はそうでもないのかなと思うようになりました。
こういった方の中でも自己を客観視出来る方は、衝動的に色々喋ることが出来て、相手に期待させてしまう分、仲良くなった時に失望させているんだろうな、と感じることがあると仰っている方が居て、その方自体は謙虚で学ぶ姿勢はあるものの、どうしてもケアレスミスや忘れ物をしてしまうことが多く、悩んでおられました。
一応専門用語で"自己呈示"という言葉がありますね、自分をより良く見せようと、大袈裟に言う事を意味していて、自己開示する際に嘘を吐くことと言えば分かりやすいのかもしれません。
常に何かに不満を持っていて、何かの欲求を満たしたい人は、こうなってしまうケースが多いかもしれません。加えて、アスペの特性が強く出ると、自分が結果的に嘘を吐いたことになっていることにすら気付かず、特性の他責傾向の強さも相まって、嘘を吐くのが辞められないのかもしれませんね。

嘘を吐き続けるデメリット

私が最近見る、結果的に嘘を吐いているアスペの方々は、私とは対極で、周りに多くの人が居る者の、その人の顔は常に違うものになっています。入れ替わりが激しく、複数の人を集めた大きなパワーで物事を動かすことが出来ないのです。やっていること、目指しているもの自体は良いものだと思いますが、結果的にほぼ全てのタスクを1人でやっていて、やっているのかやっていないのかも分からないくらい、小さな存在になってしまっている気がします。
初見で良さそうと思って心動かされても、結局人は、その人の行動を見て信頼するかどうか、着いていくかどうか決めるように思います。それが人間の本質であることに、他人に対する興味が無いことが致命傷なくらい響いて、気付く機会が無いのかもしれません。そもそも自閉症の人は、合理性を重視していますから、そこに合理性が無いと判断すれば、興味も持ちませんし。
ただその他人に対する興味の無さと、自分が常に正しいと思う特性がそういう人たちの中に存在し続ける限り、ヒトの数が有限である以上いずれは孤立していくように思っています。
そうなった時に最後、自身を客観的に振り返る機会が用意されているような気がして、人の道にも最後救いがあるように思っていて、人生というものは良く出来ているものなのだなとも思っています。

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