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【禍話リライト】『怪談手帖』より「魑(すだま)」

「ホントは私の頭がおかしかったということにしてしまえばいいんです」
投資家だという50代の男性Bさんは、そのように切り出した。
それを見たことを証明出来るものが、自分以外にいないのだからと。

「もう随分昔、息子がまだ小学校に通っていた頃。妻が趣味の登山中に亡くなりまして」
余りに突然のことで虚脱感、無力感もひとかたならず、更には詳細は伏せるが、非常に無為なことで妻の側の親族と揉め、絶縁したこともあって、鬱に近い状態になってしまった。

Bさん自身母子家庭で、老母は長年の無理が祟って体を悪くしていて、誰にも頼れなかった。
今にして思えば、色々と手もあったのだろうが、その時は八方塞がりのように思えて、何より大事な息子の精神状態にまで気が回らなかった。

彼の息子は元々は活発で明るかったが、お母さん子であったから、妻の死後は外へ遊びに出掛ける事も減ってしまった。
分かりやすく塞いでいる訳ではなく、表面上は普通に会話もするが、何かどうしようもない亀裂が、子供との間に生じつつあるのを感じていた。

「あれこれ話しかけてくる父親の言葉の嘘くささに、とっくに気付いてたのかもしれません」


そんなある時、息子が「辞書を貸して欲しい」と言ってきた。
貸してやった後ちょっと気になったので見ていたら、ノートの一頁を破って、マジックで何かを大きく書いている。
何気なく見遣ったBさんはギョッとした。


【鬼】
その字の右上に何か別の字を背負わせたような漢字だった。
どうやら【魑魅魍魎】という熟語を構成する漢字のどれからしかったが、線は拙く、形も下手くそでよく分からない。


(熟語の練習だろうか。しかし小学校低学年でこんな難しい字を書くだろうか?)
訝しく思いつつ、(テレビや漫画などで見たのかもしれない)と、結局深く考えずに済ませてしまった。

その日辺りからだろうか。
学校から帰って来ると、息子は締め切った子供部屋に籠るようになった。
やがて、(犬か猫を持ち込んでいるな)と、気が付いた。

鳴き声がしないのが不思議ではあったが、『ゴソゴソ』『トトト』という扉越しの物音はするし、息子も食べ物や器に入れた水など、こそこそ持ち込んでいる。
以前なら咎めただろうが、当時のBさんにはその気力も無く、一軒家ということもあり放置していた。



そのまま一週間ほどが過ぎ、ある夜のこと。

真夜中と言っていい時刻にふと目が覚めると、傍の布団に息子の姿が無い。
起き上がり廊下に出てみると、子供部屋の方から微かな笑い声が聞こえた。
その瞬間、暗闇の中で何故かBさんは頭に血が上った。

「何故あんなに腹が立ったのかよく分からないんです」
自分でも分からない衝動的なものに突き動かされ、Bさんは部屋のドアに詰め寄って開けようとした。

ところが開かない。
どうやら蝶番のところに小さな錠が付けられているらしい。

(いつの間にこんなものを付けたのか!)
いよいよカッとなって、彼は無言で戸を叩き、力任せに扉をこじ開けた。



部屋の正面で、息子が怯えたように立ち尽くしていた。
その足元に、手作りらしい拙い囲いがあった。

「それで…そこから…」
大きな鼠か、小さな猫くらいのものが、飛び出して走り出してきた。



「それは鼠でも、猫でもありませんでした…」

それは長い黒髪を垂らしていた。

それはカーディガンのようなものを着ているように見えた。

それは長いスカートを履いているようにも見え、

「妻でした」



呆然と立ち竦むBさんの前で、それはパッと掻き消えるでもなく、パニックを起こしたように、チョロチョロと床を走り回ってから、戸の隙間をすり抜けるようにして外へと逃げていった。

口を開けたままそれを見送ったのち、Bさんはハッとして息子の方を見た。
息子は幼い顔中に、細かな皺を走らせていた。
そして次の瞬間、耳を劈く金切り声を上げた。

Bさんが思わず耳を抑える中、あのよく分からない鬼編の文字の書かれた紙が、囲いの上で風も無いのに、パタパタと激しくはためいていた。


「目に焼き付いて離れないんです。叫ぶ息子は勿論、あの妻の顔が……」

人形のように小さな目、鼻、口が、感情の動きなどとは無関係に均一にウゴウゴと蠢いていた。
獣か、或いはそれ以上の何かであるかのように。

「私にはそうとしか見えなかったんです…私には……そうとしか……」



それからのちBさんは、ほとんど僕(怪談手帖の筆者 余寒氏)の問いに答えてくれなくなった。
そして最後までほとんど黙ったまま日本酒を呷り続けていた。

Bさんとの席ののち、僕は紹介者である知人に少し話を聞いてみた。
彼曰く、それなりに長い付き合いの中で、Bさんの息子については何も話を聞いたことがないのだという。



『MEMO』
広く知られるように【すだま】とは、山林木石に生ずる精霊のことで、多くは魑魅魍魎の分割した【魑魅】の字が宛てられるが、どちらか一字のみとしたり、或いは純粋な【霊】の字のみでこれを表すこともある。

話者に対する必要以上の詮索はただの邪推であり、あったることを記す上ではノイズとなることも多い。
ただこの話を聞いて、僕の中に生じたモヤモヤとした感覚の幾ばくかを、この名前を以って代わりとした次第である。



※この話はツイキャス【禍話】の語り手【かぁなっき】氏の後輩にあたる、【余寒】氏が独自に収集、編集、執筆を行った怖い話を、以下に記述している配信時に【かぁなっき】氏が朗読したものを書き起こしたものです。


出典:【禍話インフィニティ 第三十三夜 書籍第二弾も宜しく!怪談手帖スペシャル】


    (2024/03/02) (26:27~) より


本記事は【猟奇ユニットFEAR飯】が、提供するツイキャス【禍話】にて
語られた怖い話を一部抜粋し、【禍話 二次創作に関して】に準じリライト・投稿しています。



題名は【余寒】氏(https://twitter.com/yosamu_maga)の命名、
並びに【ドント】氏(https://twitter.com/dontbetrue)の表記に準じています。


また、【余寒】氏によって過去の作品をまとめた小説などのコンテンツがBOOTHにて販売されています。


【禍話】の過去の配信や告知情報については、【禍話 簡易まとめWiki】をご覧ください。



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