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工業高校で3年間クラスの女子は私1人だった話【2】

第二弾です!

前回工業高校に入学することになった経緯を書いたので、それの続きです!

前回の記事はこちら→


待ちに待った入学式。 

「え、なんかめちゃめちゃ見られる、、、、、」

しかも、母も私も明るい性格で比較的うるさいので、他の生徒が初日で緊張してる中、私たちはリラックスしてずっとおしゃべりして担任の先生の面白いポイントについてコソコソクスクスしてる、、、、完全に変なやつ、、目立つ笑


入学式の後、運動着と作業着の採寸があって、男子が行列で待ってる中、女子は、というか私は、別の部屋で採寸してもらい、並ばずチート笑


トイレも並んで待つ必要はない!!!

少し男子トイレよりも離れているものの、めちゃめちゃ広いトイレがあって、そのトイレを使うのは4人しかいなっかたのだ。自然と使う個室が別れてその人専用の個室になった。ちなみに私のトイレは窓側の一番奥。うーむ、くそどうでもいい笑

更衣室は私専用のがあったけど、学校の反対側の端の方にあって遠いの極みだからいつからか使わなくなった。トイレだったり教室で着替えていた。


こんな感じでめちゃめちゃな自由を謳歌していた。

クラスメイトの男子もすごく面白かった。先生のモノマネをしたり、ゴリラのモノマネをしたり、モンハン、ドラクエをしていたり、先生にバレないように早弁をするにはどうしたらいいか研究したり、筋肉の見せ合いをしたり、コンドームで作った風船で遊んでいたり、、、


今までの私の世界にはいなかった種類のバカがたくさんいて、そのバカはとても高度で、極めていて、センスが良くて、絶妙で、私にはとても真似できない、本当に素敵で尊敬してるクラスメイトたちだった。今何してるかな、会いたいな。


ただ、もちろん大変なこともあった。正直大変なことづくしだった。


まず、圧倒的に孤独だった。寂しかった。

小学生、中学生の時は友達に困ったことはなかった、気づけば周りには誰かがいて、友達、先生、みんな分け隔てなく声をかけたりを笑顔にするのが大好きだった。

授業中にはよく発言していたし、体育でもパスはいつも回ってきたし、委員長とかして、修学旅行や何かの班を決める時は自分のなりたいグループに不自由なくいつもなっていた。正直、まあまあの人気者だったと思う。人気者だったと私しか思ってなくても、そう思えるほどに満足した生活を送っていた。

だけど高校生で一転、友達がいなくなった。トイレも教室移動もお弁当もひとり。ひとりでいるのが当たり前の環境だった。放課後に遊ぶ友達はいなかったから自分の自我の強さが開花したのかもしれない笑

でもいろんな人が気を使ってくれていたのかもしれない。お弁当は私ひとりで食べていたけど、隣の席にいつも大きいグループができていて、お弁当の時間たくさんの人が私の近くにはいた。先生もよく前の席に座ってボーっとしていた。中学時代の友達やバイト先、習い事の友達など、たまに遊んでくれる人もいた。ありがたい、ありがとう。

ひとりの自由を謳歌する一方で私は孤独だった。



それに、授業では、「女子だから」という言い訳はできないし、したくなかった。特に機械系の授業では。

やすりがけのときは力がある男子の方が早く終わるし、機械科だから鉄製の重たいものを運ぶことだって多くていろいろ大変だったけど、弱音は吐きたくなかったし、甘えたくなかった。辛かったことも笑顔で頑張ったけど、手伝ってって言えたら楽だったのかもしれない。

でもひたすらに、「女子だから」って思われたくなかったし、強がっていた。区別されたくなかった。

ただ機械系の授業はやっぱり楽しかった。幸せだった。いろいろなことを知って実践しているのが嬉しかった。



体育だって周りは全員男子。39人の男子と私。


二人組でするストレッチとか、みんなに見られるし恥ずかしかった。柔道の授業の寝技の練習とかも恥ずかしかった。サッカーとかバスケとか全然できないし、パス来ないし、なんでええええってなった。男子強すぎた、、、

体育の長距離練習で、裏山を3周するとかあって、「え、私も同じ距離かよ、、、」みんな待たせちゃうだろうし悪いなとか思って走り出したら、40人いるクラスで10番目とかに走り切って、「お、自分やるやん」って思ったこともあるお。

まあこれは1年生の頃の話で、それから20キロ太って3年せいの頃には全然走れなくなったんだけど笑


修学旅行だってひとりだった。

沖縄の国際通りの裏道をひとりでぶらぶらしていた。美ら海水族館をひとり早足で眺めてマナティの前に2時間いた。自分ではひとりを満喫してるつもりだったけど、同じ高校の人にすれ違うのが怖かった。「あ、機械科の女子だ。やっぱひとりだ、友達いないんだ」なんて思われているようで、そんなん思い込みだし、思われていようがどうでもいいはずなのに、当時は人の視線が怖かった、目立ちたくなかった。

修学旅行のホテルもみんな6、7人部屋なのにみんなと少し離れた1人部屋だった。夜20時にはひとりホンマでっかTVを見ていた。修学旅行ならではで地味にドキドキする夜の点呼だって私はメールで「部屋にいるよな」「はい」これで終わりだった。

そして基本的に教室では人権のない生活をしていたと言っても過言ではない。殴られるのは当たり前、毎日「ブス」「きもい」「しね」「やらせて」と言われていた。「お前なんか死んでも誰も悲しまない」って言われた時、クラスメイトの前でいろいろ恥ずかしいことされた時、殴られて痛くて痛くてたまらなかった時は、さすがに辛かった。それでも毎日笑顔でいたし相手も笑顔だったらいいのにな思っていた。だから余計に変なやつって思われていたかもしれないし何をしても大丈夫って思われていたのかもしれない。当時、人権がない扱いを受けるのが私にとって当たり前で、おはよう、また明日、挨拶をして返事が会った時普通にクラスメイトと話ができた時は本当に嬉しかった。

これは私が選んだ道だから。。。そう思うことで耐えていたけど、でも本当は辛くて、寂しくて、誰かに助けてもらいたかったのかもしれない。そんなこと思ったら生きていけないから、心に感情に蓋をしていた。

でもなぜか学校に行きたくないと思ったことは一度もない。毎日生活の中から楽しいことを見つけるのは得意だから、自然と笑顔になれたし、いろんなことをされてたけど、クラスメイトのことが好きだったし何よりみんなと仲良くなりたかった。


それに、クラスメイトに迷惑もかけてたかもしれない。もしかしたら、女子がクラスにいるって理由でクラスメイトのみんなが気を使っていたかもしれないし、できないことを増やしてしまったかもしれない。そういう点では申し訳なくも思っている。

ただ、申し訳なく思うと、なんだか自分が可哀想な気がするから、思わないようにしよううう。


圧倒的マイノリティーの三年間で人間観察して学んだこと感じたことを第三弾に書いてみようと思う。ラスト!!





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