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無の通信高校生時代

自分は通信制の高校を卒業している。人に言ったことはない。引かれるのが目に見えてるから。通信制の高校を選んだ理由は「逃げ」だった。中学時代を2年半不登校で過ごした自分が、普通の全日制高校に通えると思えなかった。同じようにクラスに馴染めず不登校を繰り返すことが怖かった。

正直に言うと通信制の高校を選んだことは半分は後悔している。通信高校は「無」だ。自ら能動的に行動しない限り、高卒という学歴を手に入れるだけで何も残らない。

自分の学校は少し特殊で通信制と言えど、週三回は登校する仕組みになっていた。自分で好きな授業を選び好きな席に座る。クラスという概念がほとんど無く、ほぼ大学のようなシステムと言っていい。コミュ力が低く集団に馴染めない自分にとっては有難いシステムだと思う。しかしこれは単なる問題の先延ばしでしかなかった。小学校時代のように、学校で一言も喋らない日があるのは変わっていなかった。

集団に馴染むことから逃げ、コミュニケーションを学ばないまま高校を卒業しても何も解決はしない。時間が経てば何かが変わるだろう、という薄い希望にかけているだけだった。
実際、時間は多少は解決してくれた。小学校時代は人とまともに話すことすらできなかったが、一時的に普通の人間っぽく振る舞うことができるようになっていた。人と話すことが怖くて理容室にすら行けず、髪が伸びっぱなしでホームレスような見た目だった頃の自分に比べればそれでも進歩はしていたと思う。

自分の学校は通信コースと通学コースを選ぶことができる。通学コースは全日制高校と同じシステムだ。通信コースから通学コースに変更できるシステムなのだ。画期的だと思う。通信で慣れたらあわよくば通学に移れる。
でも自分は結局最後まで通信コースだった。自習室で作業をし、休憩がてらなんとなくぶらぶら校舎を歩いていると通学コースの人達の授業風景が目に入る。
自分がこの中で集団生活を営む?無理だと思った。小学校時代と同じようにクラスに1人でいることが耐えられなくなり、トイレに逃げ込んで時間を潰す自分の姿がすぐに想像できた。

今思い返してみれば無理をしてでも通学コースを選んでおけば良かったと少しだけ思っている。同じようにクラスに馴染めず脱落していたかもしれない。無理なら通信コースに戻れば良いだけだ、挑戦だけするべきだった。同級生たちが青春を謳歌する中、何の思い出もない高校時代を過ごすことが悲しかった。青春コンプレックスを一生引きずることになるだろう。

ニコニコ動画との出会い

高校生時代、自分はボーカロイドにハマった。友達がおらず1人で過ごすしかなかった自分にとってインターネットは救いだ。
特に夢中になったのはボーカロイドとゲーム実況だった。

今までのJ-POPにはなかった、独創性のある音楽に夢中になった。各々のクリエイター達が一切の損得勘定抜きで、自分が作りたいと思った音楽を自己満足で作る。だからこそ生まれる新しい音楽は素晴らしかった。

自分は音楽が大好きだ。音楽を好きになれたのはボカロとの出会いが大きかった。親が家にいない時間はずっと1人でボカロを歌っていた。

特に好きだった曲は40mPの「トリノコシティ」
どことなく切なさを感じるメロディと歌詞に引き込まれた。何百回と聴いたと思う。

他にも今や日本を代表するアーティストのハチ(現在は米津玄師 名義)、曲がストーリーになっていて曲と曲をつなぎ合わせて一つの物語を作るカゲロウプロジェクト、ヨルシカやYOASOBIなどもニコニコ動画でボカロを作っておりとにかく凄かったという思い出だった。

同級生たちと思い出を作れなかった自分にとってニコ動は青春だった。
昔のボカロを聴くと懐かしくて泣きそうになってしまう時がある。

高校卒業

高校を三年半かけて卒業した。実は色々理由があって卒業が半年だけ遅れている。通信コースの人も卒業式に出席したり、卒業アルバムを購入することはできる。
自分はどちらもしなかった。高校の思い出がない自分にとって卒業式に出てしまうと虚無感で辛くなると思ったからだ。アルバムも同じ理由で買わなかった。高校時代は卒業の瞬間まで逃げだった。

唯一知り合いと呼べる人が一人いた。名前も思い出せない。体育の時間、1人で座っていると向こうから話かけてきた。そこから会ったら話す、その日最後の授業が被った日の帰りは一緒に帰る程度の関係にはなった。内心では話が途切れないように必死で全く落ち着く瞬間などなかったし友達と呼べる間柄ではなかったと思う。
自分が高校時代関りを持った唯一の人物だ。自分ような人間に声をわざわざかけてきてくれたことには感謝している。今はどうしてるんだろうか、少しだけ気になる。

思い出がないとは言え三年半通った場所だ。最後校舎を出るとき「もうここに来ることはないのだな」と、少し寂しい気持ちもあった。何だかんだで愛着が湧いていた。

電車に乗り大阪駅へと向かう最中、母校が一瞬見える。自分は毎回どうしてもその学校を目で追ってしまう。
逃げで選んだ場所だった。でも先生も良い人達だったと思うし決して嫌いな場所ではなかったと思う。



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