6月からの米騒動終了の目処が立った。 9月に入り、価格の高騰した新米が出回り出してからめっきり米についての問い合わせは減った。 汗を垂らしながら米を積む私を見て、中年女性客が「やっとね」と言った。 笑顔を貼り付けて「長かったですねーお待たせしました。」とから元気のわたし。 そこからしばらく、そのお客は知り合いの農家に米を確保してもらっていたから普段と変わらない食生活だったこと、米を買い占めようとする知り合いをなだめたこと、を得意げに話した。 適当に相槌を打つ。 こんなお
田舎、郊外は反射する場所が少ない。 荒いコンクリート、トタン、草木、半分雨ざらしの駅のホーム。 対して都会は自宅マンションの壁にだって自分の全身が鮮明に反射する。 ビルや建物の内部になんて等間隔に大きな鏡があるし、街を歩けばガラス張りのビル群に常に自分の姿が映し出されている。 市内に住んでいた頃は、反射した自分が目に入るその度に姿勢を正したり、スキニーの前ももの肉のハリを気にしていた。 郊外に越して来てどうだろう。 朝起きて身支度をして電車に乗って、職場に着いて、一日働
大学時代は映画鑑賞に時間を注いでいた。 コーエン兄弟監督作品は今でも何度もNetflixで再生する。 私にとってこの監督作品が思い入れの強いものになったきっかけとして、「主人公も死ぬことがある」ということ。 おおよそ主人公とは、最終的に幸せになるか、逆境を乗り越えて序盤よりはより良い状態、または何かを獲得してエンディングを迎える。 高校生くらいまでを平凡に生きていて出くわす映画はほぼそんなところであるし、テレビで放送される作品はなおさらハッピーなものや偉大な教訓を含むも