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時計の消えたテレビ塔

北海道胆振東部地震から3年

2018年9月6日でしたね。いや、9月6日に投稿しろって話ですが(-_-;)

被災された方のご冥福と未だ被害の残る地域の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

私自身、なんの被害もなかったのですが。
しかし、ブラックアウトとはびっくりしました。本当に。
テレビ塔が消えてるなんてね。

忘れもしない2011年3月11日の東日本大震災。実はこの時はまだ関東にいたので私も夫もこの震災を経験していました。

胆振東部地震が起きたとき、寝ていたのですがすぐテレビを付けたらすぐ消えました。それでまた通電したけどまたすぐ消え。
夫はこりゃ多分だめだな。会社行くわ。と暗闇の中支度をはじめました。
いつ復旧するかわからない、すぐ電気つくかもしれないけど、暗闇の中一人でいるよりはと思い夫についていきました。

東日本大震災の時に計画停電があって、信号が動かないから警察がいない交差点とかあると運転するのがめっちゃ怖くて。
夜のほうがライトついてるからまだお互いわかりやすいんですよね。
だから暗いうちに移動したほうがいいんじゃないかとも思いました。

夫の会社ではトイレ借りる以外は車の中でテレビを見ていました。
なんか、食べ物をもらったりして。ついてきて結果オーライでした。
北海道全部停電してるというのは、道外の家族からの電話で知りました。

関東出身の私はたまーに思ってたんですよね。
隣に県がないって怖いなって。
そう言うとなにが怖いの?って夫をはじめ北海道生まれの人達に笑われてました。
よくよく考えたら、飛行機乗れば東京に半日もかからず行けるのに何が怖いんだろう?って思うんだけど。

まさか電力がつながってないだなんて。思いもしなかったな。
これだったのか私のほのかな恐怖の原因は!(多分違うけど)とその日思ったわけです。

東日本大震災の時は、それはそれでいろいろあったわけですが、その時に学んだことはたくさんあって。
たとえば、その信号の停電もそうだし、夫の会社についた時はすぐにガラスが落ちてないかを確認して他の人がケガしないように早く片付けようとか、そういう対処はすごく冷静だったんですよね。

東日本大震災の時に、会社の先輩で阪神大震災を経験されてた方がいて、その先輩もいろんな判断が早くて、呆然として何から手を付けたらいいかわからない時にすごく頼りになりました。

そんな経験、活かせる事が起きないほうがいいんだけど、経験したからには次は活かすしかないですよね。

うちの停電はその日の夕方に解消しましたが、まだ札幌市内でも復旧していない場所がありました。
翌日夫が会社に行くときに、もしまだ停電しててお風呂入れない人とかいたら連れておいで!って言って送り出しました。
これも東日本大震災の時に東北の友達が何日もお風呂入れなくて復旧した家の人が入らせてくれたって話をしていて、私もそういうときは人の役に立てるように行動しようと思っていたわけです。
後からわかったのですが、500mくらいしか離れてない友人宅は復旧したのが2日後くらいだったそうで、早く言ってくれればよかったのに!って話です。
近いからまさかお互い電気が点いてる/点いてないだなんて思わなかったから・・・

だらだらと書きましたが、何がいいたいか。

東日本大震災が起きて私はすごく無力な人間だと思い知らされて、生きた心地しなかったけど、いろいろ学んだことはあって。
また胆振東部地震が起きて、私は無力だけど小さい事でもできることをすぐに行動しようと思ったっていう話です。
それもこれも生きてるからできることです。

あー、なんか重いなぁ・・・でも、毎年何年目っていうニュースで思い出さずにはいられないのです。

改めていろんなことに感謝の気持ちを忘れずに生きていこうと思います。

#一人じゃ気づけなかったこと




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