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シン・エヴァを観て(後半ネタバレ注意)

おはようございます。

現在、2021年3月9日の29時です。今日は、家から徒歩10分ほどにあるシネコンにて『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を観てきました。(𝄇はリピート記号)

封切り初日は仕事で行けず、翌日の13:05の回にぼっち参戦となったわけですが

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(ぼっちでもF型装備は怠りません)(このUT、2枚買った)

観賞後、あまりに打ちのめされて、帰ったら早々に眠りについてしまった。

で、今。早朝5時。早く寝たのもあったが突然目が覚めた。

ぼんやりした頭の中で「エヴァ…マジで終わっちまったんだ……」と実感した。

あのエヴァンゲリオンが終わった世界線に生きてんのか、俺。早朝だがスマホを開き今の気持ちを記録しておかねば、と強く思いnoteを開いた。

小学校高学年の時、クラスの放送部の友人に8cmシングル『残酷な天使のテーゼ』を渡して、これをお昼の放送にかけて欲しいとリクエストしたことがあった。TVシリーズが放送中とは言え小学生にはちと難解すぎるストーリー、加えて当時アニヲタはまだまだハードルの高い上級ジョブだったこともあり、この曲にピンときてくれるクラスメイトはほとんどいなかった。なんせお昼の放送のリクエストアワードはSPEEDだった年頃だ。「神話になーれ!」は牛乳とコッペパンをほおばるクラスメイト達の頭上を虚しく通り過ぎていった。(余談だがこの放送部の友人には、塩原が自分で書いて自分で収録したラジオドラマも流してもらったことがあった。公の機関を使って全校生徒の耳を汚しまくっていたと思うとゾッとする)

その後、僕も中学校という名の監獄に入りチルドレンの年頃となったが、本格的に野球にのめり込み、高校生になって恋をして、大学生になりお酒を飲み演劇を始め、その間フィルムコミックや貞本の漫画版やプレステのゲームなどふんわりやんわりとエヴァとの付き合いは続いていたが、ガイナなんか追っかけてたら金いくらあっても足りんわと、鋼鉄のガールフレンドあたりから心は離れ始めていて、その後はガチンコ勢を尻目に冷めた付き合いとなっていた。

旧劇場版はソフトで追っかけて、新劇場版も世間が盛り上がる中「面白い、面白いんだけどさ、これでいいのかしら…」とどこか乗り切れずにいた2019年頃、とある関係でエヴァ過去作を真剣に見返さねばと思いテレビシリーズから劇場版をぶっ通しで観た時にふと「え、これ、マジで終わんの?」と急に感傷が押し寄せてきた。

そしてお家芸の公開延期も、延命措置だむしろ嬉しいぜくらいに捉えていたがXデーは来てしまった。いや、観賞後の今だから言えるけど、来てくれて本当に良かった。

鑑賞前は「言うてエヴァでしょ?ほんとに終わんの〜?」くらいに思っていたが、観賞後の一発目の感想は

「マジで終わりやがった……」

だった。そして

「庵野、ありがとう…」

が込み上げてきた。これは、鋼鉄のガールフレンドや綾波育成計画以降離れなかった、追いかけ続けた人たちには尚更だろう。

僕はあの頃、所謂活発な90年代めぐさんキャラの綾波を良しとする風潮に、ちょうど商業主義がチラついてたのと多感な時期に差し掛かっていたのもあいまってエヴァブタどもがと距離を置いてしまっていたので、旧劇場版で沢山のヲタどもが惨殺された時にざまぁみろとさえ思っていた。あの時の庵野にはああすることしか出来なかったのかもしれないし、あの時の僕も狭量だったなと今は思う。

シン・エヴァのヤバさは、上に書いた人たちと僕も含めて、全てのエヴァンゲリオンを救ってしまった構造だと思う。新宿ミラノ座さえも。庵野のやってることは全然変わらないのに、今までと見え方が全く違う。これが再構築、再解釈、新訳じゃん。「庵野、お前も大人になったな。」

前半、大回収祭りで「あぁ、序破の悪いところが…」と一瞬嫌な予感がしたけどこれは完全に杞憂で、後半からラストにかけてはケレン味たっぷりのクソダサ脚本が炸裂しまくってて「あぁ、エンタメはこれでいいんだよな!!!」と込み上げてきた。序破の「エヴァってこれじゃねーだろ感」まで全部、救ってしまった。凄すぎる。

安彦のORIGINがめちゃくちゃ面白いのに「やっぱ富野じゃねぇとな…」問題が完全に解決されてしまっている。同一の作家が、作家性そのままに14年越し(実際は26年越し)で成長しながら創り続けさせてくれるという異常な制作体制が生んだ快(怪)作だと思う。

観賞後、いてもたってもいられずゲンロンのシン・エヴァ世界早速レビューに課金してしまったのだが、長くなるのでこれ!!と思ったのを一つあげると

「観てる時さ、めぐりあい宇宙を思い出したよね」

って発言、わかるー!!超それ!!

ララァと溶け合う楽園を選ばなかったアムロが、汚くて辛くて厳しくてでもかけがえのない「社会」に還っていくところを思い出した。それを宮崎・高畑・富野の影響下にある庵野なりの再解釈って意味でも最高でした。こんなに嬉しいことはない……

他にも色々あるんだけどちょっと、もう、外が明るくなってきたのでこの辺にしておきます。また次の機会にでも。

綾波、アスカはかつてチルドレンだった僕たちの青春でした。

だから終わらせて(マリにして)くれた庵野監督、本当にありがとうございました。

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