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珠洲災害復旧ボランティア2日目

1日目はこちら。

ベースキャンプ

体育館は皆さんご想像の通り、床が底冷えしていて(先週よりはずいぶんマシとはいえ)なかなかの寒さだった。

テントはいわゆる4人用くらいの大きさ(実質的には二人が良いとこ)。これを占有出来るのは助かる。

ただし、このテントはあくまで仮設用なので、普通のテントのような床がない。床には薄い銀マットが敷いてあるのでまあまあ大丈夫だが、四隅は外とイケイケだ。

そして寝床用のマットも備え付けられている(ので、持ってこなくて済んだ)。

こんなとこでもケイリンが!🙏

厚みは15ミリくらいかな。キャンプに慣れてる人なら平気だろうけど、翌朝「背中が痛くてよく眠れなかった」とこぼしてる人もいた。

予定通り10時に消灯だったが、周囲のテントでは既に大いびきをかいて寝てる人が複数。疲れたのか、豪胆なのか…

自分はここに来る前から若干風邪気味の寸前のような状態だったので、持参した葛根湯を飲んでフリースやダウンを着込んでシュラフに入る。

シュラフは元々山用のちゃんとしたやつなので充分な性能で、朝まで(安眠とは言わずとも)そんなに寒い思いはせずに済んだ。

起床

五時起床。モソモソと買い置きのパン三つ食ってゆっくりコーヒーとヨーグルトドリンクを飲む。何のことはなくレースの時と同じ。

ちなみに「あったかいものでないとダメ!」な人用に電子レンジやポットもあるし、談話室(元は理科室)でコンセントも使えるので心配は要らない。

昨日汗だくになったトレーナーをテント内に干しておいたのだが、気温が低すぎて全く乾かなかったのには参った。まあ今日は天気も良いので珠洲Tと勝田のロンT(と、着古しウィンドブレーカー)で行く。

仮設トイレは思いの外綺麗な状態だった。管理が行き届いているのと「ちゃんとした人しか来ない」せいかな。ちなみに一つは洋式だったし、夜は照明もついてた。

本日は朝7時20分の出発までに身支度を整え、自分の荷物はテントから撤収しなければならない。「日曜泊まり隊」がやってくるからだ。

荷物を片付けたり、清掃したりしてたら割とさっさと6時半も過ぎ、そろそろ荷物持ってスタンバる。荷物は職員室に置いておく。

出発

ではまた、本日もバスに乗って珠洲のボランティアステーションへGo!!

珠洲トラ30周年記念キャップ(現場ではヘルメット被るのであんまり意味なかった)

ステーションでは、昨日の集落の人たちが手を回したのか、あるいはボラ担当の人が気を遣ってくれたのか、昨日と同じ8人のメンツで同じ馬緤(まつなぎ)地区へ派遣されることになった。

これは先方としても「ある程度わかってる人」が連続できてくれた方が捗るし、我々としても明らかにその方が助かる。

昨日の夕方通ってきた道を辿って(今回は順調に)集落に到着。途中また「上陸してしまった」ゴジラ岩のところでひとしきりみんなでため息をついた。

途中の道路も、特に古い法面のコンクリートが崩落してるところが非常に多く、暫定的に片側車線をどうにか通して土嚢で止めてるようなところばかりだ。

現地に集合すると、先方も「昨日来た人〜?えっ全員?やったあ」と言う感じだった。そりゃそうだよね。

本日の作業は、4人二組に分かれ、一組は西の方に見えるナントカ島のところのお宅。こちらは家は大丈夫なので住み続けるのだが、家具類はぐちゃぐちゃになってしまってるのでその片付けとのこと。

東方さん(仮名)

もう一方は東側の道沿いのお宅(以降便宜上「東方さん(仮名)」で記述)で、こちらは(倒壊は免れたものの)全壊判定されてしまったので、取り壊しの際に邪魔になるもの、先に捨てておかないといけないものの搬出だった。

「じゃまず東方さんとこ。誰行きます?んーいいや、ここまで4人にしましょう」そっちへ行くことになった。

昨日アートフェスの話をしていた女性は、その時の縁でこの「東方さん」と以前から知り合いで「トーホーさーん」「●●コちゃん!」と呼び合う仲だった。東方さんは地元では知らぬものはないほどの名士とのことだった。

ここではまた、倒壊寸前の家屋や離れ、丘の上の倉庫などから冷蔵庫、ガラスケース、展示台、古時計、テレビ、サッシ、木材などさまざまなものを運びだした。

すぐ近くの集積場に何往復もしては係の人に見てもらい「これは、家具。こっちは、金属ね」といった具合に分けてコンテナに放り込む。

東方さんはかなりの趣味人と見えて、ガラスケースに入ってたのは旧日本海軍の軍艦模型、空母や巡洋艦、駆逐艦…その数およそ40〜50隻はあっただろうか?

「えっこれ、捨てちゃうんですか?」我々も思わず目を疑ったが、東方さんは「もう持っててもしょうがないから」と諦めの表情だった。でも確かに倉庫の中で冷遇されていたようだし、仕方がないのだろう。

その後タイミングの関係で仲間3人がガラスの処分で公民館に行っている間、他の片付けをしていると東方さんが「ちょっと2階で手伝って欲しい」と、手招きした。

「スピーカーが、倒れちゃってね、起こしたいんですよ」スピーカー?そんなの起こせば良いじゃん?えっもしかして「一人で起こせない」ってこと?

全壊判定のお家の中は悲惨な状態だった。柱は傾き壁は落ち、床は波打ち、あちこち抜けていた。「足元、気をつけてください」これは「今」崩れてもおかしくない。冷や汗が伝う。

アルテック

2階に上がって、その部屋を見て驚いた。「アルテックじゃないですか?!」

オーディオ好きなら知らぬものはない、あの超名作A7ではないか…!!その左のユニットが完全に仰向けになっている。この、60kgはあるはずの巨大な箱が倒れるとは…そりゃあ老夫婦じゃあ起こせないわ。

と、思ったら東方さんはすごく嬉しそうな顔をして「そう、思うでしょう?でもね、これビクターなんですよ」「えっレプリカですか?!」「そう。スピーカーあげるっていう話でもらいに行って、私もね『アルテックじゃないですか!』って、さっきのあなたとおんなじ反応したの」。

アルテックじゃなくてパチテックだったのか…(ホンモノ見たことないからなあ)

ちょっと苦心して横に回り込み、二人でどうにか起こすことができた。

改めてシステムを見て度肝を抜かれた。アンプはプリ、パワー別のエクスクルーシブ。デノンじゃなくてデンオンのターンテーブル(テクニクスの名作SL1200も!)。ソニーのカセットデッキも555ESLだ。これは垂涎モノ…

「これね、もうダメかなと思ったんだけど実は生きてたんですよ」と言って東方さんはアンプの電源を入れて、ジャズのCDを掛けてくれた。

「………!!」言葉を失った。何と言うリアリティ。目を瞑るとそこにベースとピアノがあって、奏者の息遣いまで聞こえてくるじゃないか!!

最近は、音楽はイヤホンでしか聞かず、オーディオなんて「デジタルアンプの「プア」オーディオでイーンダヨ」と嘯いていた自分だが、やはり「出口」の違いは圧倒的だった。こんな豊かな音体験の世界があったのか…

東方さんは「誰か来てもね、『でっかいスピーカーですね』で終わりだから、あなたがさっき『アルテックじゃないですか!』って言ってくれたのが嬉しかったんですよ」おお、こんな事で(ほんの少しだが!)人助けができるとは…

今日はそこの片付けはできなかったが、後に解体してしまうので、せっかく生きてるのが分かったのでいずれ誰かに頼んでどこかに移動するとのことだった。

作業終了

しばらくしてようやくガラス処理に行った仲間が戻ってきた。なんでも、処分するにあたり確認したら「割ってください」と言われたので割ってたら別の人が「あっ割らないで!」となって一悶着してたらしい。

うち一人はその時に指を切って出血してしまったらしいが「ハハハ大丈夫です、バンソウコ巻いたし。今日は出血大サービス笑」さすが、タフやな…こう言う人でないとボランティアは務まらん。

その後もう少し材木片を片付けて集積場を往復したら時間切れとなった。さっきから聞いてると「お昼用意してるんで、食べて行ってください!」…むむー?

実はボランティア行動のしおりに「被災者からお礼に、と金品が差し出される事があるが、丁重に断る事」というのがあった。そりゃそうだ。ボランティアなんだから。

ただし「これ食べてください」というような場合は、それによって被災者の気が晴れることもあるので、ありがたくいただいてヨシ!とのことだった。じゃあ、せっかくなのでいただきます🙏

珠洲の海の幸

出てきたのは、まさに「朝、そこで採ってきた」海の幸を使った料理の数々。サザエのチャーハン、ワカメの粕汁、サザエの串焼き、アワビの炊き込みご飯、焼きアオサ…!!なんやこれメチャクチャ美味い…なにこの歯応え?!もう、お腹いっぱいなんですけど!!

こんなに施して頂くほどたくさん働いたわけでも無いのに、、、と皆ちょっと申し訳ない気持ちになったのだが、地区の皆さんは笑い飛ばして「美味しいでしょう?私たちは毎日コレです。ほら、また来たくなったでしょう?宿泊室も、ありますよ!」なるほど…

ま、冗談抜きで、もう一度来るとしたらアサインの時に「手筈わかってるし面も通ってるからあの地区に行かせて」と言いたくなるというものだ。

そんなこんなで、しんどく無い訳ではなく確かに大変ではあったが、非常に充実した、かつ来た甲斐があったと心底思える経験だった。前から書いているように、また一つ墓場まで持っていく良い思い出ができた。

あとは予定通りハイエースで珠洲ステーションに戻り、バスで穴水ベースキャンプに戻り、順調に金沢に帰着した。そして帰りの「はくたか」で今これを書いている。

本当はかがやきを予約してたが、余裕を見すぎてたので

最後に

交通費のことを考えると(なんぼ海の幸が美味かったとはいえ)またすぐにホイホイ行けるモノでは無いが、また時期があったまったら行こうと思う。

昨日も書いた通り、現地では全く人が足りていない。まだまだ復興は緒に着いたばかり。これから先も当分援助が必要な状況だ。

これを読んで「苦労と疲労を買ってでも人助けをしたい」と思った方(特にトラ屋の方!)は是非一度考えてみて欲しい。

ただし、援助の形は様々。行けば良い、行かないとダメというモノでは決してない。いろんな人が行けば行くほど、別の問題が出てくるのもまた世の常。

我々だって、いつなんどき被災者の立場になるかわかったものではないのだから。

お父ちゃん、今日は撃沈してへんのか

おわり

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