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【大撃沈】湘南国際マラソン2022

Zwift小屋建設記録を絶賛(?)連載中ですが、昨日参加して来た湘南国際マラソンについてサッとまとめておきます。が、やっぱり長文になってもうた・・・

3度目の正直

湘南国際は、横浜住まいの自分にとっては「割と近くで実施している大規模マラソン大会」という点で以前から認識していた。しかし、湘南は「陸連公認じゃない」というのが(大した記録だせるわけでもないくせに)どうにも引っかかり、これまでは参加することはなかった。

ところが2020年に始まったコロナ禍でそこらじゅうの大会が次々と開催中止に追い込まれる中、湘南は何とか対策をしつつ開催しようと頑張ってくれていた。つくばも、別大も、はなもももダメなら公認がどうとか言ってられないからとりあえず申し込むかと。

結局2020、2021ともに開催されることはなく、既にできていた参加賞のTシャツがむなしく送付されてきたのだった。これはこれで練習のときに着用してモチベーションを上げることができた。このTシャツを着てるランナーとすれ違うと手で合図をして「残念だったよな!」と同じ気持ちを一瞬だけ共有できる気がした。

そして今年、3年ぶりにリアル大会の開催。しかし湘南はコケてもタダでは起きなかった。何と「紙コップ廃止」という全世界マラソン史上初の画期的な取り組みを打ち出して来たのだ。

マイボトル、マイカップ必携

この施策はこうだ。給水時に大量の紙コップを配布するのではなく、給水所を大量に設け、マイボトル(400ml以上)を必携の上、さらにマイカップ(大会から供給)を持参することで、給水時の紙ゴミの散乱をゼロにしようというのだ。

設置される給水所の数は、何と200ヶ所である!書き間違いではない。もう一度書く。200ヶ所だ(私も最初聞いた時耳を疑った)。つまり42キロにならすとほぼ200メートルに一回、給水所が現れると言うわけだ。普通のマラソン大会ではだいたい5キロ置きに8ヶ所ぐらいが一般的なことを考えると、いかにこれが常軌を逸しているかがわかると思う。

この施策に対して、ランナー界隈からはさまざまな声があふれていた。これまでの紙コップ式の給水なら、走りながらサッと取って給水することが可能だったが、今回の方式では立ち止まることが必須となる。これはタイムを狙っているランナーにとっては致命的だ。また、400mlのボトル携行の義務付けにも反感を示す人が多かった。

しかし自分はそんなにネガティブにはならなかった。最近こそインドアオンリーだが、外走りでロング練をするときは必ずボトルは持っていたし、冬場なら30キロ練まではボトル一本で十分なこともわかっていたからだ。さらに今年からトライアスロンでもボトル持ちをやってみて、皆生と佐渡でその有効性を確認している。

練習(不調)

もうすでに予防線を張り始めたが、タイトルで大撃沈を唄っているのでいいだろう。アイアンマンランカウイに出たのが11月5日。それからわずか4週間でフルマラソンというのは、常識的に考えるとあまりよくない。アイアンマンのダメージが完全に抜けるのにまず最低でも1週間は掛かる。できれば10日ぐらいはじっくり休みたい。でも今回はそうも言ってられなかったので1週間後には練習を再開した。

と言っても当然負荷は掛けられない。通常なら3週間前には30キロペース走をしておきたかったが当然無理だった。次の2週間前にはハーフを走ったが、これもJETTの100キロライドのあとだったのでキロ5が精一杯だった。そして1週間前の10キロも結局ジョグからのビルドアップ止まり。つまり本来レースで走りたい速度域(4'30")で距離を積む練習がほとんどできていなかったということだ。

当日朝

マラソンの時もトラ屋アピール(笑)

そうは言っても当日は無慈悲に訪れる。つべこべ言わずにできる準備をできるだけして会場へ赴く。3時半起床でじっくり朝飯を食ってしっかり整えて、小田急相模大野〜藤沢経由、JRで二宮にやってきた。電車はほぼランナーのみで満員という、他の用で移動する人には迷惑極まりない状態だった(すみませーん)。

ほぼランナーしか、おらん

二宮から数キロ離れた会場(大磯ロングビーチ)まではシャトルバスが運行しているのだが、朝6時台に着いたのにもう既にバス待ちの列がトグロを巻いている。これは凍えながら待つより歩いたほうがよいと判断した。同様に歩く人はいっぱいいて、道すがら係員もたくさんいた(寒そう・・・)ので淡々と歩くだけでよかった。寒いけれども天気はよいので気分は悪くない。

会場へ向かう

会場

40分も掛からないぐらいで会場へ到着。大磯ロングビーチはよく知ってはいるが来たのは初めてだ。駐車場エリアも使った会場はとても広く、2万人ものランナーを収容するにはちょうど良いロケーションに思われた。

これがフィニッシュゲートか、ずいぶん立派やな

まずは動線にしたがって着替えテントへ。テント内は過密で座るところもないように見えたが、奥の方ですこし場所を見つけてなんとか陣取った。とはいえ自宅でほとんど準備は済ませているので、やることは上着を脱いで心拍バンドをつけて乳首にテーピングするぐらいである。やはりまだだいぶ寒いのでゴミ袋カッパを着ておく。

荷物預け(テーブルに置くだけ)を済ませ、スタート待ち整列へ

トイレはふんだんにあった。最近よく見かける男子専用の小便器もあり、小用だけならとてもスムーズで心配ない。荷物あずけ袋にぜんぶ仕舞い込むのでここからは終わるまで写真がない。

スタート前

申告記録は3年前の別大の記録とほぼ同じ3時間15分にしていたら、スタートブロックはAだった。この大会の計測はネットタイムなので号砲は関係なくスタートラインを踏んだところから計測される。しかし後方スタートだと巡航しはじめるまでにタイムロスがあるから、やはり前目にスタートできるにこしたことはない。

案内に沿って待機列に入る前に適当にダッシュを交えてアップをしておく。ここ数週間で起きていた膝の違和感が取りきれず、ちょっとまだ嫌な感触が残っているのが気がかりだが、気にしてもしょうがないし、だいたい走り出すと散ることも知っているので気にしないことにする。そもそもトライアスロンと違ってやることは
走るだけだから、あまり複雑なことを考えなくてよいから気が楽だ。

しばらくアップしてあったまると同時に日も射して気温も少しずつ上がって来た。待機列のまぁまぁ前気味に並び、このタイミングで不要と判断したゴミ袋カッパを回収してもらう。スタート30分前になるといよいよぞろぞろと本スタート地点前に移動しはじめた。

スタート

先頭から列にして数えられるぐらい前目に位置している。周囲はガチランナーしかいない風情なのでこれはスタートはスムーズに行けそう。この大会はペースランナーが充実しており、狙いの3:15のペーサーも居るので今回はしっかり利用してみようと思う。

ペースランナーがいても、スタート時の待機列の関係でその位置まで追い上げるのに相当脚を使わないといけなかったりすることが多いのだが、この位置関係なら安心だ。スタートコールはなんと河野太郎大臣だった。やんやの歓声である。

号砲。いよいよコロナ禍以来初の(リタイヤの横浜は除く)マラソンだ。とはいえその間バーチャル宮古島のリアルラン、トレッドミル上のフルマラソン、そして佐渡とランカウイを走っているので距離に対する不安はなかった。

思った通り非常にスムーズに、10秒もかからずスタート地点を通過。ガーミンをスタート。そして程なく3:15のペーサーにも置いついた。若い男性3人と女性1人の4名体制だ。3:15ということは、だいたいキロ4分37秒前後だが、ペーサーの皆さんは見事に4分35前後を刻んでいく。この4人にとってはこのペースなど鼻歌のジョグなので、なごやかに談笑しながら走っている。

ペース感

自分はといえば普段は金曜のベースライドで追い込んだあとに4分半で走る練習をしているが、時間の関係で8km前後しかやっていない。それでもブリック練ということもあるからサラ脚ならもう少し行ける筈、という期待があった。

実際、4分35ペースはだいぶ楽に感じられた。心拍は150前後まで上がっていたが、呼吸はとても楽でこのままずっと行けそうな気さえした。少なくとも前半折り返しぐらいまではこのままいけるんじゃないか。そうすればサブ3.5までの貯金がたっぷりできて、後半タレても大丈夫、あわよくば3:20くらいまでいけるのでは・・・と、この時はそう思っていた。

ペーサーの皆さんはとてもしっかり「仕事」をしてくれていた。給水やエイドの案内、ちょっとした上り下りでの注意、ペースの上がり下がりにも気を配って適切に周りのみんなを励ましてくれている。彼らの背後に着いているだけで、ものすごく気分的に楽だった。今時GPSがあるんだから、時計の表示にしたがってペースを刻んでも同じことのはずだが「考えなくていい」「適切に励ましてくれる人がいる」ということがこんなに気持ちを楽にしてくれるとは。

コース

同じコースを走った人のログを見れば一目でわかる

湘南のコースは、今回出るまで気にしたことがなかったが、先日江ノ島あたりまでライドに出て来たときに通った道+西湘バイパスの一部、ということがわかった。すこしだけ起伏のあるところもあるが、基本ド平坦と言って良い。海沿いなので海風が吹くこともありそうだが、当日は風はほとんどなかった。

また、天気がよく気温も上がりそうだったので暑さが気になるかとも思ったが、実際には曇りの時間もあり、晴れの時でも海側の防風林で日陰になるエリアも多く、暑さで苦しむほどではなかった。全般にコース、気象条件ともに絶好のコンディションだったと言っていいだろう。

湘南の海、そしてときおり見える富士山の絶景もとても良かった。

給水・給食

今回の目玉の給水システムだが、200メートルおきに6台のアクアクララのボトルが斜めに設置され、さらにスポドリなどのスペシャルドリンクのジャグがその横に6基置かれているという構成だった。これが200ヶ所あるのだからすごい物量だ。アップルがマックブックのユニボディのアルミ削り出しをマシニングセンター大量購入で量産した話をちょっと思い出した。

給食は5キロおきぐらいにチョコや塩飴、ジェル、ういろうやまんじゅうなど多種多様なものを配っていたようだ。しかし、水はずっとボトルポーチの水を飲むだけで済み、補給もいつものピットインを2本持っていたので給食も取らず。結局
水を汲んだのは後半の一回だけだった。

ただ、この方式自体に異論があったかというとそうではなく、今回走ってみてそのクリーンさには目を見張るものがあった。通常、大会に出ると給水の後の地面は紙コップだらけ+水浸しになる。しょうがないし、そんなものだと思っていたが、ボトル+マイカップ必携にすると当たり前だが全く(というと語弊はあるが)ゴミが落ちていない。これは非常に新鮮な感覚だった。

撃沈の時間

そんなこんなで淡々と一定ペースで距離を刻む。30kmまでの各ラップは以下のとおり(スタート地点からのネットタイム)

  • 10キロ 45分26秒

  • 20キロ 1時間31分18秒(45分52秒)

  • 30キロ 2時間17分3秒(45分45秒)

ペーサー様様である。あと12.2キロを残してサブ3.5まで1時間13分近くある。しかし、実は25キロあたりから苦しくなって来た両脚は、27キロ地点から明確に悲鳴を上げ始めていた。せめて30キロまでは。そう思ってなんとかペーサーに食らいつく。30キロ手前、アップダウンでちぎれそうになったがギリギリ持ち堪えた。でもそこまでだった。

ペーサーの1人に「撃沈です。今までありがとう」とお礼を言って3:15集団に別れを告げる。みんな、楽しかったよ・・・俺の分まで頑張ってくれ・・・!

地獄の時間

そこからは地獄だった。完全にロング走の不足による筋肉の負傷状態。特に両腿にキていた。ペースはたちまち5分、6分と落ちていく。33キロあたりまではなんとかギリギリでキロ6あたりで踏ん張り、回らない頭でそのまま行けばギリギリ3.5は切れるかも、と思ったが、すぐにそれも無理なことを悟る。

あとはキロ7でトボトボと止まらずに走るのが精一杯になった。両足ともに激痛。普通の神経なら止まってもおかしくないが、単体のマラソンではエイドでも止まらないことを矜持としているので止まりたくない。

一縷の望みをかけて、カフェインタブレットを投入してみた。8年前の京都マラソンでこれが効いて初のサブ3.5に成功したことがある・・・しかし今回はなんの効果もなかった。あとできることはボトルの水で少しでも冷却して痛みを散らすことだけ。

そうなるとさすがに水が足りない。やむを得ず一度だけ給水で止まり、再度ボトルを満水にした。ロスタイムは10秒ほどか。これもっとF1の給油みたいに「ガッ」と突っ込んだら「ドーッ」と1秒で満水にできるようなシステムにしてくれないかな。

あとはまた苦痛に顔を歪めながらジリジリとキロ7で、後方から追い上げてくるランナーに数えきれないほど抜かされながら進み続けた。38キロ地点あたりでとうとうサブ3.5の集団にも抜かれる。もはや全く抗うことができない。反対側にはフィニッシュエリアが見えて来たが、その先の最終折り返しは遥か遠くに霞んで見えない。

  • 40キロ 3時間23分9秒(1時間6分6秒)笑

前半から並走して、同様に撃沈していた南蛮連合の人もついに遠くへ行ってしまった。あとは歩かずに我慢してゴールにたどり着くだけ・・・!!そこからは路肩のガードレールのリフレクターや照明ポールなどを頼りに君原健二走法で少しずつ刻んでいく。

ゴール

珍しく公式記録と全く同タイムを刻んだが、距離は少し長めだった

残り500あたりでようやくフィニッシュ地点の大磯ロングビーチ駐車場に向けて左へそれる。あそこをぐるっと回れば終わりだ。おわ、お・・・!!駐車場前に登り坂ーーーッ!!ここまで痛め付けられていた脚に最後のトドメを刺す坂だった。周りでも思わず歩き出す人あり。自分も攣る寸前だったがギリギリで走り続けた。

3時間38分49秒。こんなに辛いフルは何年ぶりだろうか。信じてもらえないかもしれないが、絶対にアイアンマンより辛い。ただ、すぐに終わるだけである。

それにしても内容が最悪だった。タレるにしてももうすこしなだらかに抑えるとかならまだ許せるが、スイッチを切ったようにジョギングになるというのはいただけない。また練習の課題が明確になった。やはり試合はちょいちょい出ないと感覚を忘れてしまうものだと思った。

奇声

そして痛みに苦しみ悶えながら帰宅。まだ当日はどうにかなったが、この手の状態になった方なら知っていると思うが、こう言う場合は翌日の方がキツい。階段の登り下りでいちいち奇声を上げないと動けないのだ。トライアスロンの後だとこうはならない。なぜかというとバイクで脚がある程度終わっているから、ランのペースをこんな風に追い込めないからだ。

しばらく練習にも復帰できないから、いろいろと反省してこれからの身の振り方を考え直すきっかけにしたい。長文におつきあいいただき、ありがとうございました。

おわり


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