#2問題意識の確認 ~教えるに関する哲学対話~
## はじめに
noteを開いていただきありがとうございます。
にーぜろです。
今回は教えるに関する哲学対話の続きとして問題意識の確認をしていきたいと思います。
## 問題意識の確認
ここではなぜ教えるということを取り上げるのかについて列挙していきたいと思います。
これによりなぜ教えるということについて共通了解を得ようとするのかの観点を明確にすることができます。
1. 教えるという言葉の定義が曖昧(人によって教えるという言葉の使い方が違う)
2. 教えることがよいとする論者もいればそうでない論者もいる
3. 教えるのではなく、生徒が学ぶことができるようにするのが大事という言説
4. 教えることで生徒の考える力が無くなる(主体性がなくなる)
5. 教えると学ぶが二項対立で捉えられているが、本当に二項対立で捉えることができるのか
6. 似た単語に教え込みや注入主義などがあるがその違い(境界線)が不明瞭
7. 教育という言葉と教えるという言葉の違い
8. 教えることの効果を計測しづいら
9. 教える目的・内容・方法が千差万別
10. 人間にとって教えるということは必要・不必要なのか、意味がある・ないのか
11. 他の生物は教えるということができるのか否か
ざっとこんな感じでしょうか。
他の人に意見を聞いていけばもっと色々ありそうですが、一旦これぐらいにしておきます。
さて上記の問題意識を整理すると以下のようになるかなと思います。
定義について(概念の広さ)
1.教えるという言葉音定義が曖昧(人によって教えるという言葉の使い方が違う)
2.教えることがよいとする論者もいればそうでない論者もいる
9.教える目的・内容・方法が千差万別
教えるがもたらす結果
(2.教えることがいいとする論者もいればそうでない論者もいる)
4.教えることで生徒の考える力が無くなる(主体性がなくなる)
8.教えることの効果を計測しづらい
教えるとそれ以外の概念との関係性
3.教えるのではなく、生徒が学ぶことができるようにするのが大事という言説
5.教えると学ぶが二項対立で捉えられているが、本当に二項対立で捉えることができるのか
6.似た単語に教え込みや注入主義などがあるがその違い(境界線)が不明瞭
7.教育という言葉と教えるという言葉の違い
11.他の生物は教えるということができるのか否か
教えることの価値について
10.人間にとって教えるということは必要・不必要なのか、意味があるのか・ないのか
一部重複するところもあるかと思いますが、上記のようの4つに分けることが出来ると思います。
## 終わりに
ということで次回からは上記の4つのことに回答できるように何とか哲学対話を行っていきたいと思います。
まあ概念の広さについてはどうにもならん気がしますが(笑)
それでも教えるとそれ以外の概念の関係性については少しでも何か見出せたらなと思います。
次回は体験例を出していきたいと思います。
もしかすると「言葉の用法」と「主題に関する実感的な諸体験」は分けて出すかと思いますが、ご了承ください。
(※哲学対話の手順)
1. 問いを立てる
2. 各人の問題意識の確認←今回
3. さまざまな体験例を出す←次回
1. 主題に関する言葉の用法
1. 言葉が使われる際の文脈
2. 類義語・対義語
2. 主題に関する実感的な諸体験
4. 右の事例に即した、主題の「意味」の明確化とカテゴリー分け
5. 主題の「成立根拠」の考察
6. 最初の問題意識や途中で生まれてきた疑問点に答える
ではでは最後までお読みいただきありがとうございました。
次回もお読みいただけたら幸いです。
失礼します。
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