#3-1体験例を出す ~教えるに関する哲学対話~

序説:はじめに

noteを開いていただきありがとうございます。 にーぜろです。 今回は教えるに関する哲学対話の続きとして「主題に関する言葉の用法」について確認していきたいと思います。 なお分量の関係上、言葉が使われる際の文脈及び、類義語・対義語のみにしたいと思います。

  1. 問いを立てる

  2. 各人の問題意識の確認

  3. さまざまな体験例を出す

    1. 主題に関する言葉の用法←今回

      1. 言葉が使われる際の文脈

      2. 類義語・対義語

    2. 主題に関する実感的な諸体験

  4. 上の事例に即した、主題の「意味」の明確化とカテゴリー分け

  5. 主題の「成立根拠」の考察

  6. 最初の問題意識や途中で生まれてきた疑問点に答える


第1節:主題に関する言葉の用法の列挙

まずは言葉が使われる際の文脈を列挙していきたいと思います。
具体的には、教える(教育)について言及している箇所や教えるという言葉が使われいてる文を引用していこうと思います。
最後に、教えるの類義語・対義語を列挙しこの記事は締めたいと思います。 なお、このnoteでは教える=教育として以下の文章を書いております。
また引用した文において教えるという言葉がどう使われいてるのか整理などは次回の記事で行おうと思います。

第1節-1:言葉が使われる際の文脈・用例

 1. 中学校学習指導要領(平成29年告示)

体育分野 第3学年 2内容

A体つくり運動
(3)「体つくり運動に自主的に取り組むとともに、互いに助け合い教え合おうとすること、一人一人の違いに応じた動きなどを大切にしようとすること、話合い貢献しようとすることなどや、健康・安全を確保すること。」(p.120)


B器械運動
(3)「器械運動に自主的に取り組むとともに、よい演技を讃えようとすること、互いに助け合い教え合おうとすること、一人一人の違いに応じた課題や挑戦を大切にしようとすることなどや、健康・安全を確保すること。」(p.121)


2. 中学校学習指導要領解説(社会)
第1章 改訂の経緯及び基本方針
1 改訂の経緯及び基本方針
(2)改訂の基本方針
③「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善の推進

エ「1回1回の授業で全ての学びが実現されるものではなく、単元や題材など内容や時間のまとまりの中で、学習を見通し振り返る場面をどこに設定するか、グループなどで対話する場面をどこに設定するか、児童生徒が考える場面と教える場面をどのように組み立てるかを考え、実現を図っていくものであること」(p.4)



 2 社会科改訂の趣旨及び要点

(1)改訂の趣旨
①社会科の改訂の基本的な考え方

(ア)「「社会に開かれた教育課程」を掲げる今回の改訂において、社会とのつながりを意識した「生きる力」の育成については、引き続きその充実が求められている。今回、資質・能力の育成に関わる議論が重ねられる中で、従前の学習指導要領では、それぞれ教えるべき内容に関する記述を中心に、教科等の内容の枠組みごとに身につけることが目指される知識などが十分に整理されることなく示されているとの指摘があった。これは裏を返せば、今後の学習活動においては「何を理解しているか・何ができるか」にとどまることなく、「理解していること・できることをどう使うか」を意識した指導が求められていることを意味している。」(p.8)

第3章 指導計画の作成と内容の取扱い
1 指導計画の作成上の配慮事項

「主体的・対話的で深い学びは、必ずしも1単位時間の授業の中で全てが実現されるものではない。単元など内容や時間のまとまりの中で、例えば、主体的に学習に取り組めるよう学習の見通しを立てたり学習したことを振り返ったりして自身の学びや変容を自覚できる場面をどこに設定するか、対話によって自分の考えなどを広げたり深めたりする場面をどこに設定するか、学びの深まりをつくりだすために、生徒が考える場面と教師が教える場面をどのように組み立てるか、どいった視点で授業改善を進めることが求められる。」(p.170)


 

 3. ガート・ビースタ『教えることの再発見』

他の人間に、成長した仕方で存在したいという欲望を引き起こすこと」(34頁)

「教えることが、生徒が主体であることを目指すのであれば、中断、停止、維持の役割を強調することが必要」(同上)

「教育の中断への願いは、生徒の視点を「転じさせて」、生徒が望むものが望むべきものなのかという問いへと向けることであり、教育者の仕事のほとんどは、生徒が自らの欲望に出会い、欲望を吟味し、選択し、変形させることのできる時間と場所を創ることである。」(p.32)

「生徒が主体であることを目指して教えることは、結果が予測しがたいという点でリスクを負っていることを意味する」(p.33)



 4. 広田照幸『ヒューマニズム 教育学』

「教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすることである」(p.8)



 5. 安藤寿康「進化教育学とは何か:教育への生物学的アプローチ」

「教育学習とは、教育者エージェントの教育行動に呼応して学習することのできる能力、つまり教育者エージェントの説明、指示、例示、禁止、評価などの行動を利用しながら個体学習や観察学習ではなしえない学習を行う能力によって学習が成り立つような学習様式」(p.220)

「他者に依存しないで独力でなす学習が個体学習、それに対して他者に依存するのが社会学習である。そして社会学習に含まれるのが観察学習と共同学習、そして教育学習である。(中略)観察学習も共同学習も、学習が生じる状況は確かに他個体が存在する社会的状況ではあるが、それ自体は他個体からの積極的な働きかけのないままなされる個体学習」(p.220)

教育学習は、その定義が示すように、わざわざ他個体から学習を直接・間接に、また顕在的・潜在的にそれぞれ促されて成立する学習」(p.220)

「教育をする能力をもったということは、知識と文化を伝達するという機能だけでなく、そもそも知識と文化を創造する機能をもったことと同期している」(p221)



 6. 苫野一徳「学校は何のためにあるのか?」

学校教育の本質を「すべての子どもたちが、「自由の相互承認」の感度を育むことを土台に、「自由」に生きられる力を育むことにある」とする。

上記のことを達成するために苫野氏は自分に合ったペースや学び方で学びを勧める「個別化」と「ゆるやかな協同性」に支えられた学びの環境を作る「協同化」を勧めることを主張している。



 7. 草原和博、吉田成章『ポストコロナの学校教育 教育者の応答と未来デザイン』

「「教育」=人を教えるということ、人に教えるということ、人に教えることで教えられるということの本質にある「応答」と「つながり」の重要性の再確認、すなわち応答とつながりの中での「教えること」の重要性の再確認だったのではないだろうか。」(p.162)

学校はその歴史的成立過程を見ても、その存在自体が子どもたちの避難場所でもあった。児童労働から子どもたちを解放し、学びの保障による生の保障の実現を公的に担う教育機関であった学校が、コロナ・ショックによってより知識・規律「伝達」のための強制の場として機能するのか、多様な「対話」と応答のあり方を学ぶ共生の場として機能するのかが問われている。「学校」は、「公教育」とは何かという人々の思いを受け止める受け皿であり、その思いを実現する場でもあり、その思いの多様性に応答する場として、ポスト・コロナのいまわれわれの前に現前している。」(pp.164-165)

「カリキュラムがその歴史的成立過程を見ても、先行世代・大人世代の「経験」を後継世代・子ども世代へと再組織する営みであった。再組織する営みの中に、大人世代の「経験」の相対視と子ども世代からの拒否・拒絶を前提とした、大人世代の経験を「教育」として届けることの子ども世代による受容と相互承認と主体的屈折による「応答」と「つながり」を目的意識と価値志向のもとで可視化していくことが、社会に開かれた教育課程が問われる中での公教育としての学校カリキュラムに問われている。」(p.167)

第1節-2:類義語・対義語

教えるの類義語・対義語

  • 類義語

    • 教育

    • 教化

    • 教え込み

    • 教示

    • 指導

    • 訓育

    • 陶冶

    • 訓練

    • 特訓

    • 練習

    • 洗脳

    • 育てる

    • 子育て

    • しつけ(る)

    • 共育

  • 対義語

    • 学習

    • 学ぶ

    • 楽習

    • 模倣

    • 真似ぶ

※個人的には教えるー学ぶは対義語の関係にあるかというと正直そうでないと思いますが、かといって類義語というのも違う気がしますので、今回は便宜上対義語に入れておきます。 まあ安藤(2016)の見解からすると教えるは学習の中に包含されているので類義語とも呼べそうですが・・・・・・。

(今回の考察などには以下のような横文字の単語は範囲外とします。これはこれで対象範囲が多くなりすぎるので。)

インドクトリネーション(indoctrination)
インカルケーション(inculcation)
マインドコントロール(mind control)
エデューケーション(education)
ティーチング(teaching)
コーチング(coaching)

第2節:終わりに

最後までお読みいただきありがとうございました。

といってもほとんど引用だけの文章ですが。

次回は教えるに関する諸体験を挙げていきたいと思います。

その後、それぞれの意味についてカテゴリー分けなどをしていこうと思います。

それでは失礼します。

参考文献

安藤寿康(2016)「進化教育学とは何か:教育への生物学的アプローチ」『哲学』136号、pp.195-236。

ガート・ビースタ著、上野正道監訳(2018)『教えることの再発見』東京大学出版会。 広田照幸(2009)『ヒューマニズム 教育学』岩波書店。

草原和博、吉田成章(2020)『ポストコロナの学校教育 教育者の応答と未来デザイン』溪水社。

文部科学省(2017)『中学校学習指導要領(平成29年告示)』

文部科学省(2017)『【社会編】中学校学習指導要領(平成29年告示)解説』

苫野一徳(2020)「NHK「学校は何のためにあるのか?」(視点・論点)」 最終閲覧日2022年2月12日(https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/431662.html)

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