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大阪関西国際芸術祭(2)~ウクライナの混乱

2023年2月12日、日曜日の夜。色々ごたつきはあったものの、新大阪に無事到着。
もう観光できる時間ではなかったので、キオスクで弁当を買ったところ、レジのお兄さんが「おー、珍しいですね」と一言。
なんのことだろうかと訊きなおすと、差し出したお札が旧五千円札だったようで、最近見ないですね、あらやだ、出すのもったいなかったわとか会話が進んで。

あー、あったかいなあ、と思った。

関西からくる人が「東京の人は冷たい」というのに割と反感を抱いている方だったのだが、確かにこの立場を超えたフランクさは東京ではずいぶん前に失われてしまっているなあと思う。久々に人情を感じた。大阪では人が生きている。

メンタル不調からの緊張がふっとほどけた。大阪は私を歓迎している、そんな風に思えて嬉しかった。

ビジネスホテルに泊まっての翌日13日、小雨の降る中、会場の一つ、「船場エクセルビル」へ向かう。
迷っているとカッコいい書体の看板を見かけた。

…これは船場「センター」ビル。アナログ書体に見惚れる。

会場の船場エクセルビルは小さな雑居ビルといった感じなのだが、大通りのセンタービルと混同して到着が昼頃にずれこんだ。

会場はこちら。他にも中之島などで開催していた。

目当ては釜ヶ崎芸術大学だが、せっかくの「国際」芸術祭なので階下から一つずつ見ていく。最初はヨーロッパの社会問題を扱った作品群が多い。
時期的に気になるのはウクライナのアーティストたちの作品なのだが、内容をどういうものかを説明するのはちょっと難しい。

これは「ウクライナで」と描かれた旗を掲げたパフォーマンスを撮影した写真群に添えられた解説。

ユリア・クリヴィチ「ウクライナで」

ロシアのウクライナ侵攻は突然始まったのではない。現地の感覚でいえば、2014年のクリミア侵攻から既に「戦争は始まっていた」という。十分ではないだろうが、写真などでそれを追体験することができた。

翻訳サイトに突っ込んだような訳文

言葉がわからないので直感的に理解できないものが多く、だいたいは解説の訳頼り。
読みやすくはないが、それでもヒリヒリしたものが伝わってくる。テーマ的に快適な表現を求めるものでないのはわかっているが、不協和音やノイズを使った映像作品もあり、なかなかしんどい。

ヴァシル・シモネンコ

あくまで個人の感想だが、侵攻によって急激に、否応なく「自覚させられる」民族意識への戸惑い・混乱も作品に現れているように思った。
自分と世界の境界線を、暴力によって引き直さざるを得ない、曖昧にしておいては生きていけないという切迫感。
程度の差はあれ、どこでも、日本でも生きるということはそういうことの繰り返しなのかもしれない。だが、やはりウクライナの展示に関しては、意図しない急激な変化を強いられた人々の痛みを私は感じた。

前田耕平「あれの話」

階段の踊り場にどっかで見たような構図の写真。フロアが上がるにつれ、「あれ」の位置は変わっていく。ゆるくていい感じ。

でも見ただけでは意図があんまわかんないかも…(・_・;)


海外のアートではよくあることなのか、視聴覚に優しくない表現が多い中、小松千倫という人の「よだかの背」という作品は内容も表現もスッと心に入ってきた。針金にめぐらせ鳥(よだか)の形になったLED灯が、あるときは夜景のように、あるときは星座のように瞬く。展示の最後の方にあったので、ホッとした。

日本語の表現もあるが
ハイブロウです
圧がすごい

月曜だから人がいない。
きちんと向き合おうとするとなかなか疲れる展示だった。(;^_^A
この後、最上階、当初の目的である「釜ヶ崎芸術大学」の展示に向かいます。

つづく


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