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小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第三話

第一話および目次はこちら

 天界から人間界に移動する手段はいくつかある。
 その中でも最も費用対効果および環境的に効率的な手段は地球の電車を模した転移装置だ。天使達の間では天使電車という名前で親しまれていた。大天使たちは自らの神通力が宿った羽を使って自力で異世界転移できるがそれより下位の従業員天使は自力では転移できないので、大半の天使達がこのような転移装置の力を借りて異世界間を移動している。俺たち人間にとってはこの仕組みに便乗する以外に天界と人間界を行き来する方法は皆無と言っても過言ではない。
 その天使電車が発車する駅は、いつも以上に天使たちでごった返していた。

「ちょ、ちょっと待って、くださーい」

 背後から頼りない声が聞こえる。ややイライラした表情で振り向くと息をハアハアさせながらやっと追いついて俺が背負っているバックパックを掴む美香。まったく、ちゃんと着いてこいと言ったのに早速迷子になりかけている。おいおい、まさか鈍臭いだけでなく方向音痴まで備えているんじゃないだろうな?
 その表情から俺が言いたいことを感じ取ったか、美香は顔を真っ赤にしながら言い訳を繰り広げた。

「違うんです、方向音痴とかじゃないんですぅ。し、信じてください」
「……」

 現地案内人係のパートナーが方向音痴だなんて笑い話にもなりゃしない。

「て、天使混みが凄すぎて、圧倒されちゃっただけなんですぅ」

 恨めしそうな顔してほっぺたを膨らませたら許してもらえると思ったら大間違いだ。と言ってやりたい気もしたが、とはいえ確かに……

「確かに今日は異常な天使混みだな」
「ですよね? そうですよね?」
「ああ。おそらく、春風に当てられた天使たちが次々と人間界から恋人が待つ天界に戻ってきているんだろう。まさに仕事忘るる恋天使たちだ」

 そう考えて見てみると、電車から降りてきた天使達はみな駅で待っていた恋人天使を見つけるなりハグをしてキスを繰り返している。その光景はなんとも微笑ましくも温かい。しかしその反面、現地では人手不足で地獄のような混乱が巻き起こっていることだろう。そう思うと身が引き締まる。

「わかったよ。方向音痴だなんて思ってないから、先を急ごう」

 俺は心にもないことを口にするが美香は納得していないようだ。顔をさらに真っ赤にしながら怒った表情で口を尖らせる。

「ひどいですよ。絶対そう思っている口ぶりです。違うってわかってもらいますからね。ここからは私に着いてきてください」

 そういうと俺の前を歩き出す美香。ところどころ天使達にぶつかりよろめきながらもなんとか転ばずに自動改札機の前に到達した。しかし、そこで完全に硬直してしまった。どうした? 一体何が?

「美香?」
「……」

 美香は真剣な表情で自動改札機を睨んでいた。まさか……念を送っているのか? 確かにほとんどの天界の設備は念を感知することで個人認証から動作指令までできてしまうものが多い。だが、駅の自動改札機は違う。天使電車はひとたび駅を出ると天界独特の念は使えない異世界に向かって転移するので、念でなんでもやってしまう天使に注意喚起するためにも、ICカードやスマホなどを使わないとゲートが開かないようになっている。そんなこと誰でも知っているだろうに……まさか……

「天使電車に乗るのは初めてなのか?」
「ち、ちが、ちがう、ち、違……」

 美香は目をうろうろ泳がせながら俯いた。やはり……初めてなのか。少なくとも記憶の範囲からは程遠い過去にしか乗ったことがないらしい。いやいや、まさか! 天界にいて天使電車に乗ったことがない人間なんて、超お嬢様(専用転移リムジンを持っているとか)か引きこもり(そもそも人間界に行くことがない)か。ちょっと信じられない。

「……はい。初めてです。ご、ごめん、ごめんなさ……」
「わ、悪かったよ。初めてなら知らなくても当然だ。俺が悪かった」

 俺は会社から支給された巾着袋からスマホを取り出すと自動改札機に当てる。すると『ピッ』と音を立てて自動改札機のゲートが開くので、臣下が膝まづく王の間の赤いカーペットを歩くが如く肩で風を切ってゲートを通過して振り返った。美香はいつもは眠そうな眼をまん丸に広げて驚きと興味の光を携え俺の行動を凝視している。

「やってみろよ」
「?」

 恐る恐るスマホを取り出しゲートにかざす。ゲートが開く。俺の方を見て満面の笑みを浮かべ、そして先ほどよりもはるかに軽い足取りでゲートを潜る。
 俺はその姿を見て、なんだか微笑ましく思った。パートナーが天使電車にも乗ったことがない現地案内人なんてと落ち込みたいところだが、不思議とそのときはそんな気持ちは浮かばなかった。ただ、美香が天使のように可愛い、そう感じてしまったのだった。まあ、ちょっとくらい鈍臭くても悪くないかもな……と思ったのは間違いだった。

「翔さん、こっちですよ!」
「……そっちのホームは冥界行きだ。ハデスの審判を受けに行くつもりか?」
「あ、わ、わかってましたもん。本当はこっちですよね?」
「……そこは地獄行きの特急ホームだよ。審判受ける余地もなく地獄に闇堕ちするつもりか?」
「え? えっと、その……」

 流石に青ざめるその表情を見て、俺は深いため息を浮かべるしかなかった。


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