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小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第二十七話

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 ぐっ、この黒い霧を吸うとなんだか妖しい気持ちになって気を失いそうだ。このままじゃやばい世界に堕ちてしまいそう……そう思った時だった。急に意識がスッキリと晴れ渡った。周囲を包んでいた禍々しい黒い風が消え去り、晴天の心地よいそよ風が舞っていた。

「き、貴様、いったい何をした?」

 新仮面男が叫ぶが、俺だってわけわかんないんだよ。でもまあ、神通力で堕とされずにすんだようだ。俺はメガネを拾って掛け直した美香に声をかける。

「美香、大丈夫か?」
「ば、ば、ばかですか? それはこっちのセリフです。あなたはただの人間なんですよ? む、無茶しないでください」

 ば、バカとは何だ? 美香だってただの人間だろうに……と一瞬ムッとしかけたが美香は本気で心配してくれているようだ。涙を堪えながら肩を震わせている彼女を見て悪態付く気持ちは消え失せた。

「大丈夫そうで良かった。心配かけたな」

 しかし次の瞬間。
 新しい緑の光の束が降り注ぎ始めた。なんだこれは? どこかで見たことがある光景……確か……ラファエルが渋谷に降臨したときの光景に似ている。ま、まさか、四大天使の誰かが降臨してくるのか? おれはもう一度美香をかばうように前に立つ。このタイミングで現れる四大天使がいるとすれば新仮面男のグルである可能性が圧倒的に高い。絶体絶命にもほどがある。一体誰が……誰が降りてくるんだ? そんな俺の目を疑う光景が空から降りてきた。

「……まさか、そんな……」

 二枚の大きな緑の羽を広げて優雅に舞い降りてきたのは婚姻部長のガブリエルだった。すべてを受け入れつつも突き放す柔らかくも冷たい笑顔。三十八度と絶対零度を両立する視線。サリエルレベルとは圧倒的に威圧感が異なる。彼女が本気を出したら俺が体を張っても美香を守れるとは思えない。それでも、それでも俺は美香を守るために前に立ち続けなければならない。それに……

(おそらく会社に巨乳の想い人がいるようです。多分、直属の上司ではなくて他部署の偉い人。その人にしっぽりと……)

 今更ながら玲子が占った結果を思い出す。悪かったな。そうだよ。俺がこっそり憧れている人は隣の部署のさばさばした性格なのに母性味溢れるナイスバディのお姉さんだ。だからこそ、彼女が春風事件の真犯人だとは思いたくない。

「君は翔くんだったね。前に会ったとき、状況を改善できなければ恋愛部の営業天使の大半は婚姻部が引き受けると約束したけど、残念ながら改善できていないようだね」
「ぐっ……」

 俺は言葉を詰まらせた。しかし以前と同じく後ろから顔だけ出して即座に反論するものがいた。

「も、も、もう少しで改善できるところだったわよ。あなたが出てこなければね」
「おい、火に油を注ぐな」
「おや、そこのお姫様はひどいことをいうもんだね。こんな状況なのに口だけは達者だね。では、決着をつけることにしようか」

 ガブリエルは冷笑したまま弓矢を出すとこちらに向けて構えた。その延長線上には俺の頭があるのは明白だ。恋天使たちが使うハート形の可愛い矢じりではない。鋭くとがった銀の矢じり。あからさまにやばそうじゃんか。

「ま、まさか……」

 ガブリエルとの間に緊張が走る。
 やがて彼女はフッと口元を緩めた。その刹那! 彼女の手元から矢が撃ち放たれた。その矢はまっすぐ俺の頭をめがけて飛んでくる。そして、こめかみを掠るとそのまま背後に飛んでいく。俺が振り向くと、その矢はサリエルの胸にグッサリと刺さっていた。そして、矢から鎖が飛び出しサリエルをぐるぐる巻きにして拘束してしまった。

「き、貴様はガブリエル部長。なぜここに」
「君がサリエル君だね。ふふふ、ラファエルから取引を持ち掛けられたのさ。優秀な職員を婚姻部に出向させるからサリエル君の暴走を止めてくれってね。まったく自分で動けばいいのに。あ、でも彼は弓の取り扱いが下手だったね」
「く、くそっ」

 サリエルはガチャガチャと暴れて鎖を解こうとするが、逆に強力に締め上げられる。

「婚姻部が使う矢は結婚という誓いを固めるもの。それはある種の契約でもありある意味では束縛でもある。その矢は束縛に特化した特注品だ。簡単には抜けないよ」
「ちっ、仕方がない」

 サリエルは、もう一本の黒い羽根を取り出してポキッと割る。ちょっと待てよ、まだ持っているのか? 身構える俺たち。しかし黒い風は吹いてこなかった。かわりに彼の後ろの空間がチャックを開けるように開く。その中には真っ黒よりさらに濃い暗闇が広がっていた。

「次は容赦しないからな」

 そう言い残してサリエルは拘束状態のままチャックの向こうに消える。すぐにそのチャックも閉じ、周辺は落ち着きを取り戻した。そしてちょうど入学式が終了したのか、新入生たちが一気に外にあふれ出してくる。

「あの神通力は堕天使ルシファーの異次元転送だね。彼が関わっているとは驚いたよ。まったく、おかげで取り逃がしちゃったね」

 ガブリエルが頭を掻きながら独り言。ルシファー……聞いたことがある名前だ。それについて聞いておきたいと思いつつ、その前にやることがある。俺はガブリエルに向かうと頭を下げた。

「応援を下さりありがとうございました。助かりました」
「いいんだ。さっきも言った通りラファエルとの取引に応じただけだから、君たちは気にしなくていいんだよ。とはいえ、取り逃がしちゃったからなぁ。もう少しお手伝いすることにしようか」

 ガブリエルはきれいな緑の羽根の中から無数の恋の矢を取り出した。そして歌いながら矢を放ち始める。これは讃美歌か? 多数の天使によるコーラスなのかと思うほどの深みを持つ歌声……心を奪われるとはこのことだ。一方で弓矢の腕前はえげつない。その手から放つ矢は四本、いや六本は同時に撃っているのだろうか。その速さ。次々と新入生たちの胸にハートマークが現れ、ひとめぼれの表情で手をつなぎ始めるのだった。


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