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忙しい人のためのHip Hop史⑤ 『東西抗争編 その②ー2PacとBiggieー』

Tim DogがComptonのラッパーたちに喧嘩を売ってから数年後、東西海岸のアーティスト達がどんどんメインストリームに進出し始め、欲と暴力渦巻くショウビズの世界にどんどん取り込まれていきます。同時にそれぞれの海岸を代表する2大ラッパーの確執が、ゆくゆくは東西抗争の拡大につながっていきます。

1993年、プロデューサーであるSean ''Puff Daddy'' Combs(後のDiddy)はArista Recordsを脱退し、ニューヨークを拠点にBad Boy Recordsを設立し、翌年にはロングアイランド出身のCraig Mack「Funk Da World」、ブルックリン出身のThe Notorious B.I.G. の「Ready to Die」と、それぞれのデビューアルバムが商業的大成功を収め、Bad Boyは東海岸を代表するレコードレーベルとなっていきます。 

一方で、ニューヨーク出身、カリフォルニアを拠点に活動する2Pacはデビューアルバム、セカンドアルバムともに大ヒットし、主演映画俳優としても活躍し注目を浴びていた一方で、資金がつきかけかつ、性的暴行や無許可で武器を所持していたことなどからニューヨークで裁判にたっていたりと、窮地に立たされている時期でもありました。

Quad Recording Studiosでの銃撃
1994年11月30日、Little Shawnとのコラボのために、ニューヨークのQuad Studiosに訪れた際、施設入口で強盗2名に銃弾で5発撃たれてしまいます。その時現場に、旧友であったThe Notorious B.I.G.と彼が牽引するラップクルー、Junior M.A.F.I.A.がいた事から2PacはこれをBad Boy Recordsによる陰謀だと確信し、担架に乗せられながら救急車に送られる際、彼らに中指をつきたて敵意を向けます。

Tupac Shakur at Quad Studios in New York, Nov. 30, 1994

その後のVibe Magazineでの インタビューで彼はこれをBad BoyとUptown RecordのAndre HarrellがQuad Studiosで2Pacを射殺するよう仕組んだと発言しています。

The Notorious B.I.G.やPuff Daddyは否定していますが、1995年、Biggieの大ヒットシングル「Big Poppa」のB面でリリースされた「Who Shot Ya?」を2Pacは彼自身に対する嘲笑であると受け取り、火に油を注ぐことになります。

Quad Studioでの騒動から翌年、ある音楽イベントをきっかけに、二人のアーティストの確執はHip Hopないし、音楽業界全体を巻き込み、紛争は急拡大していきます。

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