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2021年の最後に思うこと

思いがけず年末の1週間をベッドの上で過ごした。
体調が悪くなると心境も引きずられるのか、たくさんのライターさんが「2021年の総決算」をTwitterやnoteで発表するのを、ちょっとだけ冷めた気持ちで眺めていた。

「よし、来年も頑張ろう!」

そんな前向きなエネルギーが湧いてこなかった2021年の年末。

濃霧の中の自分を照らした灯り、濃霧の正体、そして、心を奮い立たせる歌声について書いてみた。

成長している実感がなく終わりそうだった2021年

クラウドソーシングでライター活動を始めた2021年。
未経験で飛び込んだ世界での在り方、処し方をオンラインカレッジで学び、情報や気持ちを共有する仲間をオンラインコミュニティに求めた。

集団での学びの場は20数年ぶり。
オンラインコミュニティに至っては初体験。

生来の生真面目さに助けられて、カレッジでの学びの集大成の検定試験で結果を残すことができたし、メインで関わっているオンラインコミュニティの「ライターゼミ」では、企画に携わったり、イベントで登壇したりした。

「多くのチャレンジをして、結果も残せた」

そう思って締めくくってもいいはずの1年。
にも拘わらず、どうしても達成感が湧いてこない。

自分はこの1年で成長したのだろうか。
2022年はどこを目指して進めばいいのだろうか。

そんな「もやもや」を抱えながら、窓の外に広がる、冬のミラノ特有の濃霧の中に迷い込んだような気持ちで年末を過ごしていた。

濃霧の正体

袋小路にいるような気持ちを明るく照らしてくれたのは、参加するオンラインコミュニティ「ライターゼミ」を主宰する田中健士郎さんの「働き方ラジオ」だった。

このラジオには5月に道に迷ったときにも救われている。

私にとって、思ってもいなかった方向から「こっちだよ」と進むべき道を照らしてくれる、闇夜の灯台ようにありがたい存在だ。


12月26日に公開された「#70 成長し続けるヒント」の中で、田中さんは田坂広志著『知性を磨く~「スーパージェネラリスト」の時代~』の書籍の内容を紹介しつつ、「人の成長ってなんなんだろう」という話をされていた。

「できること、スキルは身についたが、成長している実感がない」

著者の田坂さんによると、この、今の自分の心の中を見透かされたかのような問いかけの答えは、どうやら知能と知性にあるらしい。


知能:「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見い出す力
知性:「答えの無い問い」に対して、深く向き合うことができる力


知識やスキルの成長よりも、視座、つまりより高い視点から俯瞰して物事を見る力や深く考える思考力=知性を身につけた時の方が、より成長を感じやすい。

この話を聞いた瞬間、すとん、と霧が晴れ、視界が開けた気がした。

この達成感の無さ、どこに向かったらいいか分からない濃霧の正体は、「知性」のトレーニングを怠けて「知能」にだけ注力していたからなんだ。

「知性」は訓練で身につけられる

この1年、急に飛び込んだオンラインを介した世界の早すぎる流れの中で、「とにかくインプットしなければ」と知識を身につけることを優先し、「とにかくアウトプットしなくては」と、咀嚼する前の知識の欠片をパズルのようにつなぎ合わせて、なんとか形を保って文章を生み出していた。

得た知識をどのように、何のために活かすのか。
 
一番大切にすべきこの問いを考える時間とエネルギーが足りない自覚があったからこそ、学びを的確な言葉でコンスタントに共有している他のライターさんの心づかいの細やかさ、呟きの中に垣間見える瑞々しい感性に打ちのめされていた。

「自分の発する言葉はつまらない、中身がないのではないか」

その不安の一端を、年齢のせいだと思い込もうとしていた。


ところが、著書の田坂さんによると、

「精神のエネルギーは、年齢とともに高まっていく」

らしい。

年齢は決して悲観材料ではなく、知性を高めることは年を取ればとるほどできるようになってくる。
「答えの無い問い」に一個一個向き合うことで、知性を伸ばす訓練ができるのだそうだ。

濃霧の原因が分かったところで落ち込みかけていたが、田中さんが語る田坂さんの持論は、逆に希望に満ち溢れていた。
「年齢だから無理です!」と言われればそれまでだが、訓練で伸ばせるのであれば、生真面目な自分でもできるはずだ。

「答えの無い問い」に向き合うには経験がプラスになる

文字からその人らしさが溢れてくる文章を前にして、そんな能力は自分には無いと思ってきた。

そして、原因は「若さ」や「知識欲」や「ひたすら他人を思いやる心」、自分に無いものだから克服のしようがないと打ちひしがれていた。

けれど、魔法の鍵は「知識」ではなく「知性」だった。そして、それは「無い」のではなく「出す練習をして来なかった」だけなのだ。

それが見えた時、知識を得ることは目的ではなく、得た知識を経験に結び付けてどうしたいのか、が問われているのだと分かった。

「答えの無い問い」に向き合うにはエネルギーがいる。

だからこそ、多くの人が「答えの有る問い=知識・知能」の習得に注力し、「答えの無い問い=知性」の部分について考えるのを諦めて割り切ってしまうらしい。

「答えの無い問いを考えたくない」
「答えの無い問いに向き合うのは面倒くさい」

そんな自分の心の甘えに鞭を打って、スルーしないためにはどうしたらいいのか。

「ライターとして」どうしたらいいのか、を考えるとしたら、それはやはり、その時々の心の機微をスルーせずに、未熟な自分も受け入れて、感情を文字に落とし込んでいくしかない。

ほとばしる若さも、徹夜できる体力も、目標に向かってひたすらに燃える熱さも持ち合わせていない代わりに、私には考えながらも進んできた年月の経験がある。「知識」を私という人間の経験のフィルターに通してこそ、「私だからできる表現」が生まれてくるのだろう。

そんな一筋の光を、田中さんが照らしてくれた灯りの先に見た気がした。

その年齢だからこその表現ができる人になりたい

20歳のときに初めて聞いたイタリアのポップ・ミュージック。
「La Solitudine(孤独)」という名のその曲を歌っていたのは、自分と同年代のイタリア人歌手、Laura Pausini(ラウラ・パウジーニ)だ。

伸びやかで透明感のある、空にも届きそうな声。
勉強していたイタリア語の知らない表現たち。
恋や人生に悩む自分の心の中を代弁するかのような歌詞。
20代から30代、特に20代後半にイタリアに来てからは、簡単にCDを買える環境になったこともあり、生活の中に彼女の歌があった。

いつからか聞くことが少なくなった彼女の歌を、ひょんなことからここ数日聞いている。現在でも現役の彼女。デビュー当時の曲のあとに最近の曲を聞くと、「え?これが彼女の声?」と一瞬耳をこらしてしまう。当然ながら40代後半の声の伸びや張りは、20代のときのものには叶わない。それでも、自分とほぼ同じ歳月を生き、いまも歌い続けていてくれるその声は、聴いていて涙が出そうになる。

その年齢には、その年齢だからこそできる表現、人生の戦い方がある。

ここ数日自分の中で渦巻いている、まだ形になるかならないかの気持ちを、彼女の歌声は体現してくれている。

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