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性教育弾圧から暴発へ―ひとりぼっちテロ② 

 ではなぜ昭和的価値観は、昭和が終わって30年以上たつのに執拗に人々の意識を拘束するのか?昭和的価値観に対する批判が80年代に学校、仕事、結婚などあらゆる分野で見られた。にもかかわらず、90年代後半からの構造改革(とくにリベラルな面)に対するバックラッシュ(反動)によってブレーキがかかってしまった。これが80年代の批判や夢が制度として社会に定着しなかった理由だ。

 この停滞は様々なところで現れているが、「性教育」という意外なところにも現れている。私は子ども白書にかかわっていて、性教育の先生方が熱意に溢れているにも関わらず、学校教育で日陰者扱いされているのを不審に思っていた。数年前に性教育の下記の全国集会に出たが、「このまま弾圧に屈してなるものか」という参加者の思いが充満していた。

 そこで、ベテランの先生(白澤章子さん)にインタビューして、そのことを白書に書くように勧めた。

 すると、白澤さんは先の改革期に統一教会や保守系政治家によってバッシングされ、弾圧されていたことを語ってくださった。この経緯は今年の『2023年 長野の子ども白書』の白澤章子さんの「性教育とわたし」に収録されているが、あっさり過ぎると思った。私が受けた印象を補足したい。

 90年代後半、白澤さんは性教育が進み始め、新しい教材も出来て、張り切っていた――その時の教材を見せていただいたが現在でも通用するものだと思った――。しかし、彼女によれば、当時、統一教会は性教育の教材を悪書として指弾し、教材を燃やすビデオを作製していた。教材がメラメラと燃やされていく画像を見た時は「ショックだった」という。その後、性教育が大幅に制限され始める。

 この一連の出来事は今まで話さなかったけど、「今、話すべきだ」と何十年前の出来事を今起きた出来事のように苦渋の表情を浮かべながら話してくださった。まるで統一教会の行為はナチスの焚書大会のようだが、本を燃やすということは精神の自由を焼き払うことなのだ。だからこそ、数十年を経てもなおそれがPTSD(心的外傷後ストレス障害)のように白澤さんによみがえってくるのだろう。

 また最近本稿カバーの堀川 修平『「日本に性教育はなかった」と言う前に:ブームとバッシングのあいだで考える』や浅井春夫『性教育バッシングと統一協会の罠』が出されたが、地方の現場からの報告という点で白澤さんの報告は貴重だ。
 
 若い人と話していると、性教育のニーズは間違いなくある。しかし、キチンと教えられていないから男女交際の場面で、変に性を警戒したり、逆に行きすぎたりすることがあるようだ。「彼女を妊娠させてしまったが、確実な避妊方法があればよかった。」「30代になっても処女で、なんだか困っている」等々の悩みを聞く。

 明らかに性教育の不備が、まっとうな男女交際の機会を制限し、また少子化の一因になっている。男女平等や不登校対策(教育改革)などもっと大胆に実行すべきことを中途半端にし、対応を放棄してしまったことが一連の若者の暴発(ひとりぼっちテロ)を招き、元首相まで殺してしまった。現代日本の笑うに笑えない大いなる皮肉、ここに極まれり!

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