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桜子ずっと

16年も一緒にいたんだから鼻の奥がつーんとして
涙が出ても当然でしょう。
桜子って言うだけで涙が出てきます。
呼んでももう来てくれないし、
当たり前だけど、去年のお正月はまだ歩けていたんだよなぁって
思うとやっぱり寂しいです。
変な人ですが時々骨壷を抱えて声かけながら抱っこしています。
昔のように。
返事はないけど、どこかで繋がっている気持ちになれます。
桜子がいないのにホットカーペットの電源を入れて
寝てみたり、亡くなる前に買った床ずれ防止の低反発マットの
上に乗って寒くなかったか試してみたりしてます。
不快なまま逝ったのなら申し訳ないし、
快適な気分で逝ってくれたのならちょっと安心です。
お花もそろそろ傷んできたのでお気に入りの花屋さんまで
自転車に乗って行こうかと思っています。

今更なんですが、お正月に桜子のことを考えてて
うつ状態になり、過食で1日にポテトチップの袋を
3個くらい開けていました。
そんで体重一気に10kgは増えました。
久しぶりに会う方、どうも別人ですw
胃は気持ち悪くて吐きそうなのに食べてしまうんです。
どっかおかしいとしか言いようが無い。
桜子は私の中で大きな存在だったと改めて思いました。
16年前、まだインターネットもそこまで普及してなかった時代に
ネットと電話を駆使してやっと辿り着いた桜子がいたケネル。
場所は埼玉川越、知ってるけど行ったことない場所。
連れて帰った道は覚えているけど、行った時の記憶が全くない。
後で知ったのですが、そのケネルは日本で初めてシルバーの
プードルを入れた場所だそうで、
執念で探したらそんな場所に行きついてたなんて…
自分でもびっくりしました。
そこから16年、私が体調悪くて寝込んでいたり
入院したりで迷惑かけっぱなしの飼い主で
悪かったなぁと思います。
桜子も犬と上手く付き合えなくて
挨拶もできない子でした、
よっぽど人間との方が気楽に過ごせる感じで
変わった子でした。
お散歩も嫌いだったし。
お互いちょっと変わった者同士で上手くやっていたのかなぁ
と思います。
今はフィラリアのお薬が一年中になったそうで
桜子がまだ外に出ていた頃は5月から10月だったと思います。
うちから出なくなって必要なくなったのですが、
(うちは蚊もゴキちゃんもいないです)
どんどん長くなっていって今は一年中って、
今くらいの気温でも蚊はいるの?
多分、犬の伝染病を完全に抑えておきたいんだろうけど
普通のわんこは大変だなぁと思いました。
(飼い主さんも)
でも、今は個体の値段は上がってますが、
保険も安いものが出てるし、
ご飯のバリエーションも豊富だし、
SNSもいっぱいあるし、
携帯の解像度も上がったし、
あと10年遅かったらどうしたかな?って思います。
写真を整理しても残っている写真はわずかだし、
一番多いのが亡くなった時のって、どうなの?
その分、実物との触れ合いは多かったですが、
思い出も残しておくべきでしたね。
桜子は時々体調を崩して病院でお薬をもらうのですが
体重が軽いので、半錠とか三分の一錠とか少なくて
それもで嫌なのはチーズに入れても吐き出していて
飲ませるのに困っていたのですが
亡くなる前にてんかん発作の時に飲ませていた薬は
嫌がらずに飲んでいました。
飲むと治るから飲んでいたのか、
単純に味が嫌いじゃなかったのか、
今となっては知る由もないですが、
最期にお薬を飲んでくれる子になってくれました
それも、重要なお薬を。
お薬も最初は半分だったのが後半は一錠飲まないと
落ち着かなくなっていて
夜間救急に行くタクシーで興奮しただけで発作状態になり
救急のカルテ書く前に桜子を処置しますってお医者さんに
言われ、あずけたり、一時は酷かったのが、パタリと
発作が起こらなくなって、
後は、枯れるように逝ってしまいました。
死はこんなふうに訪れるのだなぁと最後に見せてくれた
ような気がします。
多分、病気と言うより「老衰」です。
確かに腎臓の数値は悪かったのですが、
ずっとではなく、発作が起こり始めてだし、
高齢になればどこかに不具合が出てくるのは当然だし、
そしたら今の私の方が不具合だらけだわ。
あちこち内科にかかって経過観測という名目で
半年に一度忘れた頃に呼び出しが続く生活もなんか
嫌な感じです。
いっそ桜子のように枯れたいと思います。


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