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2020/02/07女児の倫理日記

今日は珍しく外出しました。えらいね。えらくないよ。普通の人は毎日学校や出勤しているからね。趣味のために外に出るなんて言うのはえらいことに含まれないよ。

昼食はマックを食べました。お金ないのになんで550円のやつ食べるの?500円のやつもあるじゃん。お前はいつもそうやって無駄遣いをするよな。

出掛けた理由、色々あるんですけどね。一個ずつ話します。

一つ目。件のオビツろいど鶴丸さんの服の参考にならないかなとリカちゃんコーナーを見に行った。
お試しで遊べるよみたいなコーナーがあったんだけど、すごかった。

女児の倫理ってこんなもんだよねと思った。着せ替えごっことか、平和な遊びよりもこうやってグチャグチャに荒らして脱がして、そういう破壊的な行為の方が楽しいのだ。私もそうだったと思う。

結局服は買わなかったし、ただ荒れ果てたためし遊びコーナーの写真を撮って終わった。

眼鏡屋で眼鏡の調整をしてもらった。ネジが定期的に緩むので定期的に直してもらっている。無料でやってくれる。キクチメガネさんありがとう…。

本屋で漫画と、オビツ11の服の裁縫の本を買った。

漫画。
幼女戦記 (17) (角川コミックス・エース) https://www.amazon.co.jp/dp/4041090350/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_KxxpEbTEJE3VF

絵が好きだ。魔法というファンタジーな概念を徹底的に兵法に落とし込んでいる様も好きだ。作中で既に、主人公陣営が負けるということを示唆されているのも面白い。好き。

人形の服の裁縫の本。
ドールソーイングBOOK オビツ11の型紙の教科書 ー11cmサイズの男の子服ー https://www.amazon.co.jp/dp/4798616710/ref=cm_sw_r_cp_apa_i_fAxpEb4A4F9ZT
パラ見したらだいぶん分かりやすく嬉しかった。頑張って作るぞ。

あとは布を見に行ったけど、目当ての布が無くて収穫はなし。

はあ。本屋と眼鏡屋と布屋と荒れ果てたリカちゃんコーナーは複合商業施設にあったのだけど、そこへ行くのがかなり遠かった。

私は耳を塞ぐものがないと恐ろしくて外を歩けないので、必然的に徒歩かバス、電車での移動になる。
今日は片道40分かけて徒歩で複合商業施設へ行った。

歩くのは嫌いではない。むしろ好きである。足元の名前も知らない雑草とか、主にそういうものを見て楽しんでいる。

道中にある雑貨屋に入ったが、店員?客?の視線が私に注がれているような気がして居心地が悪く、何も買わずに出てしまった。かわいい雑貨屋だった。友人へのプレゼントを買う機会があったらあそこで買いたいな。

ただ、疲れた。体力の増強の必要を切に感じた。情けないねぇ。

帰り道に百均に寄った。

椅子や飴やミニチュアの菓子を買った。最近の出費はほとんどオビツろいど鶴丸さんのためである。

それでいいのだろうか。私は働いていない。出費だけは継続的にある。これは、太平洋の真ん中で真水がどんどん減っていくような焦燥感に近いのだろう。

まあ働けばいいんですけどね。バイト先の店長に、「体調良くなりました。復帰させてください。」と一言LINEを入れればいいのだ。ただそれがどうしてもできない。はあ。

帰宅してからは疲労困憊で昼寝をしたが、どうにも眠りが浅かった。まどろんでいるだけ。疲れは多少とれるが、寝れなかったという感覚が不快。

夕飯は食べる気にならず、白米ときんぴらごぼうだけ食べた。

うだうだと友人たちとLINEをして、この時間であった。

死んだら全て解決するのに、なぜ私は死なないのだろうと不思議になって母にそう聞いた。そうしたら、「死んでも解決しないからじゃない?」と返されたが、納得いかなかった。問題の根源が消滅するのに解決しないとは、如何様なことなのか。
死にたい。

ボコボコにされたい欲求が中学生の時からある。感情はなんでもいい。憎悪でも愛情でもなんでもいいので、立てなくなるくらい殴られたい。顔は好きなので殴らないで欲しいけど、血尿が出るくらい、立ち上がれないくらい殴られてみたい。

し〜らね。私はどうして生きている。生きていたくないぞ。

これは友人の友人から定価で譲ってもらった一番くじの景品のマグカップ。蓋付きでかわいいし、普段使いしたい気持ちもあるが、傷をつけたくないし茶渋もつけたくないのでしばらくは飾る。

終わってるリカちゃんたちをさらに終わらせてみた。こういう加工がかなり好きだ。

死にて〜〜〜〜〜〜〜。なんでこんなに死にたいんだ? もう 嫌だな。全部終わればいいのに。 世界が終わればいいのにな。

先日話題になっていたカフェイン錠ODで自殺失敗された方の書いていたことがふんわりひっかかっている。ひっかかっているというか、人間の心の構造は人それぞれなんだなあ、くらい。

彼女は、心がふたつあってどんなに素敵なことがあってもそれは素敵なことが貯まる心に入るだけであって、死にたい方の心に影響は出ないのだと言っていた。

私は違うなあと思った。どちらが正しいとかでは全くなくて、人の心の構造の違いを面白く感じただけ。

私の心はピラミッド型で、下の広いところはコンクリートの「死にたい」が固まっている。そして、その上に「嬉しい」だとか「素敵」だとかの「幸せ」が積もっていくんだけど、それらは大抵雪か砂で、気づいたら消えて無くなっている。そんな感じ。

私はよく、幸せの持続性が無いと言う。雪だから。溶けてしまう。悲しい。
そしてついでに言うと、幸せは砂でもあるからそこにあるのに気づけない。悲しい。

私の心はそんな感じ。罰当たりな心。
幸せは辺りに沢山転がってるよと言われても、見つからない。見つけてもすぐになくしてしまう。コンクリートだけ、いつも重たく固く私の心にへばりついている。

関係ないけど、今日歩いていて本屋、古本屋が軒並み姿を消していることに気づいた。寂しいね。私は本屋が好き。プラプラ歩いて、知らない本や話題の本、雑誌とかを見るのが好きだ。新品の紙の匂いも好き。
古本屋ももちろん好き。

でも、もう無い。一番近い本屋で徒歩30分。やばいね。近所にあった本屋は私が小学生の時に潰れた。私は死んでいく本屋を見ながら大人になっていったのだ。

メンタル落ちすぎでウケるな。明日も生きてたら褒めてください。生きてるだけで褒めて貰えると思うなよ。お前ができることは死ぬことだけだからね。早く死ねば早く死ぬだけ周囲は喜ぶよ。

そうだね。

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