「自分だからできること」を問う。
最近、「ネット会議」とか「オンライン飲み会」という言葉をよく聞くようになりました。
会いたい人に逢えない状況が続く中で、時節柄がリアルなつながりの「代替策」として、インターネットのこうした仕組みがいっきに広がった…そんな感じでしょうか。
おしゃべりが得意な方は、動画で配信をはじめたりしていて、「知っている人の声を聴く」ということがこんなに心地いいものかということを改めて感じます。
行きたい場所に行くことができない。
会いたい人に逢いに行けない。
交通機関が発達し、インターネットをはじめとする通信技術が便利となって、私たちは日常的にものすごい勢いで動き続けてきたのかもしれません。
そんな中で、「ちょっと立ち止まらざるを得ないね」というのが、「いま」なのかもしれません。
いま、社会のあらゆる組織の「あり方」が問われています。
特に、人々が気持ちや心意気で集うような集まりや場ほど、組織することの難しさを感じている―――そんな気がしませんか?
教職員組合もその例のひとつ、と言えるでしょう。
いわゆる「一斉休校」を取り巻く子どもと学校の現状に、ものすごい瞬発力で対話活動や要請行動などのアクションをしている教職員組合がたくさんあります。
自治体の数だけ教職員組合は存在していて、そのひとつひとつにこうした対応があるのです。
おのずと、こうした働きかけのアクションはローカルなものになるので、相当高くアンテナを掲げていないと、そうした素晴らしい動きも見失いそうになってしまいます。
ドラッカーの名言にこんな言葉があるそうです。
「組織は道具である。
他のあらゆる組織と同じように、組織もまた専門家することによって、自らの目的遂行能力を高める。しかも、組織は、限定された知識をもつ専門家によって構成される。したがって、目的すなわち使命が明確であることが必要である。」
「教職員組合は、その地域の子どもたちと、子どもたちの教育をつかさどる先生方を支えるために力合わせをする。」
こう考えると使命っぽく聞こえます。
でも、それはどの教職員組合だって同じく言えること…だったりします。
だから、「私たちだからできること」を魅力的に見せていくことが必要なのでしょう。
教職員組合は各学校や市町村をフィールドに活躍することが多く、同じようなことをしていても見栄えとしては別のものに見えてしまうことが少なくありません。
だったら「そこをつなぐ役割」があってもいいんじゃないかと思うのです。
twitterやFacebookなどSNSが便利な時代になっても、教職員組合はなかなか乗り切れていない現状がある中で、それぞれの組織をうまくつなぐ役割があったら、それぞれの組織は今よりも元気になったり、今はない新たな動きが生み出されるのではないかということです。
いまは、なにもできない―――ではなく、いまだから「自分だからできること」を考えて試していく。
そんな知恵の寄せ合いや、つながりあいが広がったら、今よりちょっと楽しい未来が待っているかもしれない・・・そんなふうに、いまの時期を過ごしてみるのはどうでしょうか。