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投獄と正義のラプソディ

時間を置き去りにした土曜の午後、
クライアントから絵画展を見に来て欲しいといわれ、街にでた。
身体の一部を取り戻すかのようにカメラを手に絡ませ街に向かって歩く。
秋の陽射しが強く早足では汗ばむ。
ゆっくり歩きながら、ときどき何かに呼ばれた気がしてファンダーを覗く。
公園で子ども達が鬼ごっこをしている。
古いレンガ造りの壁にイチョウの葉の陰が揺れる。
いくつもの野良猫が無警戒にベンチの上で寝ている。
ひとり歩き。誰にも話しかけられず、誰にも話しかけない。
ときどき声もなく話しかけられ、話しかけるようにシャッターを押す。
なるべく意識を遠ざけて、裡なるワタシにすべてを委ねる。

街にでるときにいつも通り過ぎる庭にきた。
つい見上げてしまう古い建物を囲む四角な庭だ。
何度も素通りした建物に入ってみようとしたのも裡なるワタシの思いだったのかもしれない。
その建物はこの街の市政資料館だと知った。
一歩踏み入れると大理石らしい造りの荘厳な階段の上方に大きなステンドグラスが聳える。
引き込まれるように階段を昇り、中庭を囲む廊下にならぶ部屋のひとつをみると裁判室とあった。
どうやら建物は昔裁判所だったようだ。
十字の枠を縦にならべた細長い窓がいくつも並ぶ廊下には似つかわしくない陽の光が刺し込む。
窓の外はこれでもかと光りが踊る。
こともあろうか天井の採光がステンドグラスなのだ。
裁判所、犯罪者、冤罪、正義、調書、裁判、手錠、番号、、、意識の片隅にそんな声がちらつく幻聴。
ただ、ちらつくだけで、なんなのかはっきり解らない。

階段をくだり地下まできた。
中庭と面した部屋につながる階段だけに斜めの光りが差し込んでいる。
暗めの照明だけを頼りにあるくと留置室があった。
薄暗い廊下に面した窓には鉄格子と金網があり、天井から吊るされた丸い灯りがひとつ。
私はそこを知らない。
それなのに裡なるワタシはヤケに生々しく思い出している。
ホントは私もしっているだろ、と裡なるワタシはつぶやく。
私は古い意識を蘇らせる。

まだ20年にも満たないほんの昨日のこと。でもずっと昔。
私は社会ってやつと正義のために闘っていた。
ささいな市民運動だったけれども私は私たちの正義を疑うことなかった。
怖いものなどなかった。
今思えば怖さなど知らなかった、かもしれない。
正義は多くを犠牲にすると解っていた。
そんな犠牲は実際に遭わなければ解らない。
ただの解っているつもりでしかない。
ある日とつぜん解っているつもりが解ったに変わるのだ。
権力は強い。法律も強い。現実の正義は強いのである。
正義の真偽が問題ではない。
現実として社会をなりたたせている正義。
ぶつかれば私たちの正義は破れる。
さらに悪いことに、私たちは私たちの正義に酔いしれるだけでさほどの覚悟があったわけでもない。
なんと貧弱な正義だったんだろう。
真の正義は勝つという生半可な思い込み。

正義がぶつかった結果、、、ひとり、ふたり、、ごにん、ろくにん、現実の正義に捕らえられた。
私が免れたのは紙一重、放った棒がこちらには向かなかったにすぎない。
免れたおかげで、行かぬ地獄に投げ込まれた。
行くも地獄、行かぬも地獄、最中も、終っても地獄。
救対、接禁、疑惑、誹謗、拘束延期、すれ違い、焦燥、怒り、悪夢、中傷、内輪もめ、分裂、消耗、不眠、・・・
貧弱な正義の末路である。
釈放された仲間から愚痴も訴えも捕まらぬ批判をもつきつけられた。
行くも地獄、行かぬも地獄、、、それから6年悪夢をみつづけた。

いま、留置室の前にいることは裡なるワタシには必然なのだろう。

私は忘れようとしたが、裡なるワタシが忘れることはなかったようだ。
あいつらはこの鉄格子のなかであの光りを見つめていたのか、、、
あいつらはこのやたらに光りの刺す廊下を繋がれて歩いたのか、
あいつらはあの少しだけ漏れる階段の斜光に目を瞑ったのか。
あいつらは、、あいつらは、、、
あのとき、行かなかった地獄の私には、行ったあいつらの訴えが聞こえていなかったにちがいない。
時を経て、この古い施設というわけではないにしろ現実がみえる。
そしてやはりのしかかる。
随分時間がたった。
いまさら会うことも、ましてや語り合うこともないが、、、
あいつらは気づいたのだろうか?
あいつらは何かに気づいたフリをしているのだろうか?


ステンドグラスを背にすると太陽が眩しい。
突き刺すように目を抉る。
いつもの公園をまっすぐ南にむかう。
街なかに在るまじき大木の並木を日傘代わりに読書をするもの、昼寝をするもの。
だれにも邪魔されない。だれにも指をさされない。
幸せであることさえ忘れてしまうことは幸せ。
街は祭りである。
公園には出店が立ち並び、パフォーマーが歌い演奏している。
シュールだと歌う伴奏のバイオリンに少女が立ちすくむ。
ラッパーは社会正義をきざむ声を刻む。

パレードを最前列でみたい人々は場所を奪い合い、
ゆったり見たい人はバルでくつろぎビールを傾ける。
祭りなどしらない小徑には哀愁が漂い、
手をつなぎ公園の階段をのぼるカップルは幸せに満ちている。
誰にも過去があり未来がある。
陰を歩くも、日向を歩くも自分次第って解っている。
陰には陰の日向には日向の道がある。
日向がなければ陰もない。
やがて陰日向も消えていくことを知りながら今を歩いている。
ただ歩いていくしかない。
行く道を押し曲げられても。
ひたすら歩きつづけることが「生きる」なのかもしれない。
そして「生きる」ことが唯一の正義なのだろう・・



直前のnote「和歌もどき其の10」の補足としてエッセイを書いてみました。「和歌もどき」に補足説明ってのも情けないものですが、和歌の背景はこんな感じです、、、笑

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