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写真で〈世界〉を表現するということ

写真という「表現」は、景色や人や虫wすべての外部とのやりとりのうち、裡に取り入れたいと感じる外部世界と出会うこと、実際に視覚、聴覚、触覚etcすべての感覚を駆使して裡にインプットすること。とりいれた外部世界によって裡なる世界を広げること、発見すること、感じること、思索すること。それを再び外部世界にアウトプットすること。このアウトプットが写真。アウトプットされたものを再度、裡なる感覚で確認すること。見つめること。他者に見せるためではなく、自分の裡なる〈世界〉のため。外の〈世界〉のため。・・・もちろん写真でなくてもいいのは、言うまでもない。

自分の外にある〈世界〉は無限に広がっている。出会いも無限にある。ただし自分を閉じない限り。もちろん出会える数も機会も有限である。だって人間だもの。

自分の裡にも〈世界〉は在る。じっと感覚を澄まし裡なる〈世界〉と出会う。自ら自分の裡なる世界に壁をつくらない限りは出会うことができる。有限であることには変わらないけど。

人間の力は有限だけども、外にある〈世界〉と裡なる〈世界〉をやりとりする力はある。それが「生きている」ということ。外なる〈世界〉に変化をあたえ広げる、裡なる〈世界〉が変化して広がる。その変化が「生きる」ということ。変化を表現することが「生きる」ということ。

写真でも、絵でも、音でも、、、、そして言葉でも、なんでもいい。

インプットしてアウトプットする、つまり表現してみる。
またアウトプットしてインプットする、感じてみる。

外なる〈世界〉には、他者がいる。他者の裡なる〈世界〉から発せられた表現があり、その表現と出会う。感性を研ぎ澄ませ、ビビビとくる表現をインプットする。裡なる〈世界〉に加えられ、その〈世界〉は変化する。

やがて、私の裡と外の〈世界〉の境界がなくなるだろうか、他者の裡と外の〈世界〉の境界が溶けるか? 私と他者は解け合えるか?笑


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