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初心には戻れないが、やりたいことをやれることと自覚してやる

昨年の年末が迫るころ、昔、市民活動の仲間だったマキとその仲間たちと飲んだ。
とうにその活動を離れたボクには昔話しか話せないが、現役の皆には喜んでもらえたようだった。
もう少し正確にいえば昔話にその後の別の活動の経験が加味されたものだった。
飲み会も佳境にはいり、マキに活動に参加しないかと誘われた。
ボクにとってそこは挫折して逃げた場であり、もう戻ることがないと思っていた活動でもある。
でも飲み会の雰囲気は心地よく、酔った勢いもあり軽く返事をして年末の夜活動現場に訪れた。
そこには忙しなく働くマキの姿があり、声をかけるのも憚れた。
でも、約束したことでありそのまま帰るわけには行かず声をかける。
マキの目は飲み会での目ではなく、厳しさと鋭さがあった。
マキに約束をはたすために来たと告げた。
約束の活動が始まる時間は深夜0時15分と聞きボクはひるんだ。
結局、なにをすることもなくその場を後にした。

昔なら何時だろうが時間でひるむことはない。いや、今も同じだと思う。
その場にいられなかった本当の理由は時間が原因じゃないと感じた。
皆の目が飲み会のときとは違っていた。
飲んだ勢いで軽く返事をして、冷やかし気分で訪れたことを恥じた。
今、活動をする人々は自律的積極的にその活動に取り組んでいる。
中途半端な気持ちで関わる場所でないことは、昔の自分を思い出せば容易に想像がつく。
こうした気持ちで活動するのは皆に失礼であり、なによりも自分が許せない。
おそらく時間ではなく、自分の態度に辟易してその場を去らざる得なかったのだろう。
気軽に返事をしてしまったのも、もしかしたら、そこを逃走して23年間ずっと中途半端なまま放置していたボクの弱さなのかもしれない。
そして今回中途半端な自分を自覚することで、はじめてケジメをつけられたのかもしれない。

今、ボクには自律的に向き合える別の活動がある。
正直にいえば、その活動も5年ほどたちマンネリ感とともに目指すものを見失いつつあった。
ただ、年末に目を覚まされ、もう一度初心にもどり取り組もうと思えた。
地に足をつけて取り組むよう初心にもどる。

いや初心は無理だな、すべては積み重ねられる。
20数年前のあの頃にはもどれないし、5年まえの初心にも戻れない。
生活も活動もこれまでの何もかもがあり、さらに上書きされて今に至る。
逃走も失敗も喜びも成功も涙も笑いも反吐も何もかも積み重ねつつ上書きされる。
そしてこれからも上書きされつつ死にむかっていく。
今のボクがやりたいことがやれることである。
それを真剣にマジでやるさ。
マキはボクがこうして考えている年末年始も精力的に動きつづけている。
ボクは、いてもたっても居られず、年末年始は今の活動の場にいた。
そしてここから浮足立つことなくじっくりと向き合おうと決めた。

うん、なんとなくいい年を迎えられた。
もつべきは、腐れ縁のマブダチである。
マキに感謝。

※ヘッダーの写真は2023年の初ショット。近所を1時間歩いたがこの1枚しか撮れなかった。写真も初心に戻ろうと思う。

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