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雨の物語

朝から雨を感じている。
町内の資源ごみの監視当番でゴミの積まれた向かいの舗道に所在なげに立っている。
性善説論者ということではないが監視などすることもない。
やることもないので仕方なくスマホで坂口安吾の堕落論を無料で読む。
ゴミ当番としては全く役にはたっていないのだろうが、立っているだけで捨てる人に緊張感を与えるのは、捨てる側の時のことを思い出せば想像がつく。
その程度の役立ちに朝の30分を費やす意味を考えることもなく、ただ立っているのは齢を重ねたせいか。抗うほうがむしろ面倒ということを学習したせいかもしれない。おそらくこうして学習した多数のうえに政治は自らの権力を欲する忍耐強い者たちが面倒を知ってしまった庶民の諦めとも無関心ともいえる心性のうえに好き放題できることになる。
肝心なのはそこが自ら居たいと欲する土俵なのかどうかということかもしれない。仕方なくそこに居るしかないと感じているなら自己責任なのだろう。

ゴミを捨てに来る人とは挨拶を交わす。むしろそちらの意味を見出した気分でもある。
といっても30分のあいだに2,3人だけなのだが。
むこうから人がやってくる気配がする。ゴミ捨ての人か?
挨拶をする気構えをする。
スマホから目をはなし斜め下から視線を少しづつあげる。
濡れたアスファルに瀟洒な革靴がみえ、黒いソックス、細く白い足と視線が移る。
次にプリーツの入ったスカートの裾の紺色がみえ、セーラー服が目に入ったところでゴミ捨て人でないことに気づいた。
背が高く細面ではあるがオーディナリーな顔を確認した。
声をかけると面倒なことになるかもしれない、というぐらいの新常識である世情は知っている。
こうした一連の動きと思考を1.8秒でこなしたあと目があった。
即スマホに目線を落とそうとしたとき、女学生はあきらかにR5m迂回したのだ。
真っ直ぐと細い舗道に佇むワタシに向かって歩いてきて、ピタリ5m手前で右に軌道をかえた。ワタシを中心に半径5mを正確に保ったまま舗道をはみだし駐車場にのりこみ180度旋回したのち、元の想定直線軌道に再び乗り真っ直ぐ足早に離れていった。
ワタシは唖然とした。こうした対象の中心軸になったことがなかったので正直混乱した。傘を深めにさし直した。

怪しげなもの、汚いもの、おっさんは臭い、過去になにかあったか、洗脳されているのか、etc
彼女の理由をしるよしもない、彼女の感情はなおさら解らない。
彼女がこれからどん風に“生きる”のかなど妄想すらできない。
仕方がないので「堕落論」のつづきを読もうと思った。
雨の物語・・・

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