鬼太郎に出会う日
日曜日の朝、義務半分である老人介護的送迎をすませると、帰路である平和公園に車をとめてウオーキングをした。ウオーキングといえただ歩くわけではない。常に妄想と思索を交差させながら歩くのだ。
この日は、墓場だけあって鬼太郎に会えるだろうか?という妄想を暴走させながら彷徨っていた。
広大な墓場の周辺には、いかにもそれらしい森や沼もあり、きっと鬼太郎に会えるに違いないとタカをくくっていた。
知らず知らずうちに歌など口ずさんでいた。
♪げ、げ、げげげのげ〜♪楽しいなぁ、楽しいなお化けは死なない〜♬
死なないのが「楽しい」なんて、お化けといえども煩悩に引っ張られるのかなぁ、と今読んでいる本に引っ張られつつ思索にいそしむ。
それでも思索に集中することもなく鬼太郎のツリーハウスを見つけ出すため上を向いて歩く。と、おのずと口ずさむ歌も変わっていた。
♪上を向いて歩こぉおお、淚がこぼれないようにぃ♬
歌が変わるたび思索も引っ張られる。
上を向いて歩くと幸せになれるに違いない、って思いもこの歌に洗脳された幻だったな。目を閉じ昔を思い出す。
ガキの頃、これを歌いながら上を向いて歩いていたばかりに電柱に頭から激突した。前歯を折った。当然涙がこぼれた。淚をこぼさないための歌はずなのに。淚どころではない。歯がこぼれた。なによりも激突した衝撃で脳味噌がこぼれたのだ。その因果はいまだに尾を引いている。上を向いて歩いたがための一生の悲劇である。こぼれ落ちた脳味噌が再生されることはない。ただ、ガキのころに歌が正しいとは限らないことを身をもって知ったことは「正解」だった。
あれ?歌が正しいとは限らない?
これは、鬼太郎の、死なないのが楽しい、という歌もまずは疑ってかかったほうがよさそうだな。とはいえ、死なない楽しさは「お化け」にとっては、ということらしいので、人間にとってどうかという歌ではない。
人間は死ぬ。これは間違いのない真理なのだ。必ず死ぬ。
だって人間だもの。だから人間だもの。
だから、死なない楽しみは人間には解らない。
「上を向いて♪」で過去を思い出したため適度に前方を確認しつつ、上を向いて鬼太郎のツリーハウスを探すときは足をとめた。その慎重さが原因なのか、結局ツリーハウスを見つけることができなかった。が、かわりに巨大な石の塊を発見したのだ。
巨大である。もしかしたら、石の邸宅かもしれない。
ああそうだ。勝手に鬼太郎の家はあの誰もが知るツリーハウスだと思い込んでいただけで、その石の塊が鬼太郎のニューハウスではないと言い切れない。アニメ出演で大儲けした鬼太郎がツリーハウスを放置し石の御殿を立て直したことだってあり得る。
緊張しながら近づいた、その石の邸宅?の前に現れた表札には
献体の塔
とあった。
石碑風の表札には名前のほかに文字が刻み込まれていた。「献体の塔」の次に目に入ったのは、短歌風の詩であった。
我が霊は、、かばねをひらく若人と、、
ともに医学の、、扉をひらかん、、、
どうやら医学の進歩のため、生きている人間が生きている間に、霊が離脱したのちのかばねを献ることを独断で決めた歌のようだ。我がかばねの意見は聞いていないことは間違いなさそう。
で、この献体の塔とやらは、そうしたかばねが住んでいる邸宅なのか?それとも霊のほうか?
想像すると、なんともオドロオドロしく、5滴ほどちびってしまった。はたして、この塔には霊がすんでいるのか?ひらかれたかばねが住んでいるのか? おそろしすぎて塔の扉をひらくことが躊躇われる。
扉をひらいたとたん、不老長寿の「ひらかれた」かばねが出てきた日には、、、。だいたいパンツの替えをもってきていないではないか。
またぐらを抑えながら、さらに詳しく石碑風の表札を読む。
医学の進歩のため
感謝のために
希望に生きるために
平和をこい願うために
不老長寿を得るために
ああ、やっぱりそうだった。
人間は不老長寿を得るために医学を進歩させているのだ。
先人のかばねに感謝して、我がかばねもまた献ずる。
不老長寿は希望に満ちたものであり、平和につながるのだ。
ひきつがれる献身的なかばねによって不老長寿はどんどん進むのだ。
献体しつづける。いつかきっと、そう、人間はいつかきっと限りない不老長寿、つまり不老不死になれるに違いない。
なんとも感慨深く、欲深いではないか。なんとも人間だ。
やはり不老不死だ。
それは鬼太郎みたいなものか。おばけは死なない、というやつだよな。
とすると、やはりここが鬼太郎の住まいなのか?
よくみるとこの鬼太郎のニューハウスは目玉のオヤジがモチーフのようにも見える。
よなよな墓場で運動会ができ、人生の宿題もなくなる。
老はなく、苦もない。いつまでたっても衰えない肉体。
永遠なるアンチエイジングだ。
みんな大好きアンチエイジング。
不老不死ばんざーい!!
・・・死はなくなり、つまり生もなくなる。
これで鬼太郎になれる日も近づくことだろう。
おめでとう、よかったね、とつぶやいてオレはニュー鬼太郎ハウスを後にした。振り返ると、目玉のオヤジの声が聞こえた気がする。
おばけは元からお化けだったわけじゃないんじゃ。
人間が不老不死を得てお化けになったんじゃ。
死なないことが楽しくなりお化けになれたんじゃ。
全部人間が望んだことなんじゃ。
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