「誰が星の王子さまを殺したのか」安冨歩著

 「星の王子さま」を最初に読んだのは最近、ここ1−2年だったと思う。と、そのときことさらとりたててブログには書かなかったし、自らの別のブログ記事のコメ欄に特に何かを感じたことはなかったと書いてあったので、その時はそうだったんだろう。
 正直にいえば、よく解らなかった。そのときは。
 で、今回表題の安冨さんの本を興味深く読み、再度「星の王子さま」を読んだのだが、なんとなく時代と地域を超えて評判がよく王子さまファンが多いことが解ってきたような気もする。
 王子は子どもなのだ。子どもゆえに純粋で、その純粋さに惹かれるのだろう。ちっぽけな惑星の取り憑かれたような大人たちの盲目的価値観(権力や見てくれや酒なんか、、)にストレートに疑問をもち、忖度することなく「変なの」と切り捨てる。偏屈で理不尽な社会に疑問をもちながらも、そこに殉ずる大人である読者にとっては代弁しているで爽快感をもつだろう。
 しかも、肝心なことは目には見えない、、なんて言われた日には、目に見える成績や結果ばかりを成功として追及される大人世界への殺し文句だな。
 よくわからないような心地よさそうで意味深なセンテンスがぽろぽろと出現したり、死んでお星さまへ帰るのよ的なファンタジーだったりするのだから、ちょっと謎めいてファンが多いの納得する。
 ワタシにしても以前にくらべて非常に面白く読めたことを白状しよう。
 まあ、ワタシが最近買った訳本(新潮文庫 河野万里子訳)は「飼いならす」をたんに「ならす」と訳すようなことをしているので、他の部分も都合よく隠匿して翻訳をしている可能性もあるだろうけど。
 他者との関係を「ならす」というのもたいがい違和感があるのだが、「飼いならす」という語感であればそれだけで否定したくなるのはワタシだけなのかな? そしてやはり、そうしたバラ(やキツネ)との関係にしようとする異様さ・違和感やむず痒さを感じるのも正直なところだ。

 安冨さんは、この本でバラ(加害者)の王子さま(被害者)に対するモラハラを指摘している。またキツネによるセカンドハラスメントも指摘する。どうもこれまでそう読んだ人はいないようだ。
 で、安冨さんはロジックにより細かく検討して、モラハラ物語と結論をだした。
 読んでいけば納得するし、そのように読める。
 まあ安冨さんの場合は、自らのモラハラを受け続けた体験からバラと王子とキツネの関係に気が付くことができたのだろう。そして、モラハラの形態を暴くためにこうした本を著した。
 たしかにね、「飼いならす」という関係も去ることながら、バラのわがままな態度に従順するのはこの本を読む以前から疑問があったわけで、なぜ王子が「責任を感じ」バラのもとへ戻らなければならない、という強迫観念をもったか、安冨さんがいうモラハラの構造に当てはめて考えれば納得するよな。

 では、上の方で書いたような「好意的」な読み方が否定されるか? もしくは、好意的な読み方をしている王子さまファンはモラハラ読みを否定したいのか?
 ネット上の安冨さんの本のレビューの欄には、「星の王子さま」になんとなく、違和感、むず痒いものを感じていて、その原因はモラハラだったんだ、と納得しているものもあった。元本に好意的なもののなかにも、なんとなくの違和感やむず痒さをスルーしたり曲解して好意的に読んでいるような気もするものもある。
 これを「好意的」に読むこと事態「モラハラの罠」に嵌っているのだ、という安冨さんの警告をしているわけで、つまりファンからしてみたら喧嘩を売られているような気持ちになるかもしれないが、実際にモラハラにあっていないか、気づいていない可能性を振り返ってみてもいいのではないか、とは思う。 
 おそらくモラハラ被害を受けていないだろうワタシにとっては、むしろ無意識にモラハラの加害者バラになっていないか?そして特にセカンドハラスメントのキツネになってはいないかを俯瞰してみたいとは思う。
 

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