いやだ・やりたくないにどう対処するか?

親や先生になった時、子供たちに「嫌だ」とか「やりたくない」と言われることがない人はいるのでしょうか?

おそらく全世界に一人もういないと私は思います。

子供たちが嫌だとかやりたくないという時に、どのように対処したらいいのかは怒りもこみあげてきたりして非常に難しいことの一つです。

【動画のセリフ】
サトケンの個別支援研究所、今日は悩みのご相談が届いています。ペンネーム「心のオニを倒したいさん」より

私は特別支援学級を受け持っています。様々な児童を担任しましたが、いつも感じるのは、さあ頑張ろうと子供たちに働きかけるのですが、いつも「やりたくない」とか「嫌だ」とか言って勉強してくれません。少しでも楽しく勉強できるようにいろいろな方法を考えましたが、なかなか思うようにいきません。子供たちが勉強を嫌だ・やりたくないという時には、どんな方法をとればうまく授業が成立するようになるのでしょうか。サトケン先生教えてください。

ん~。なるほど!学校の勉強は子供たちがよく話を聞いて当たり前だと考えていると、授業を聞かなかったり、歩きまわってしまったりすると驚いてしまいますよね。よくわかります。椅子に縛り付けるわけにもいかないですからね。話した内容が身についているかテストをするにしても、そもそも話を聞いていないのだから、テストの点もよくないですよね。悪循環になってしまいます。

私はそういう時、2つのことに気を付けています。

一つは、「どんな原因でそうしているのか?ということ」

もう一つは「どんな目的の為にそうしているのか」

ということです。

授業がつまらないという児童はクラス全体でしょうか?

きっと違いますよね。その授業を楽しく受けている児童もいます。その児童生徒はなぜ受けられるのでしょう。それを見て予想することが重要です。実はクラスは集団の集まりで塊のように見えますが、実は一人一人の個人の集まりなんです。当たり前なんですけどね!

「どういう原因で?」という所は先ずは「どうして嫌なのか」を予想するといいです。

①先生が嫌いという児童生徒がいます。先生は前で権威を持って授業をしています。授業中に、話し合う時でないのに大きな声で話しはじめたり、児童が昨日うちであったことを長々と言ったりすると、本来伝えなければならない内容が伝えられないということが起こります。そこで注意をされるわけです。子供たちはまだまだ脳が発達していませんから、注意されたことに対して「こうだから注意されたんだな次に気をつけよう」と考えることはできない児童生徒もいて、本質を理解せずに、いやな気持ちだけが残ってしまい、その先生が嫌いになってしまうのです。

そういう時は一斉授業の時のルールを繰り返し伝える必要があります。先生が話しているときは基本的にはよく聞くこと。私の受け持っている児童は感情コントロールができない児童のことが多いので、黙っていなさいというのはノーグッドなことが多いです。

ですから、リアクションの方法を教えます「へーー」とか「ほんとに?」とか「先生、それはないでしょ」とか短めに言わせます。とりとめがなくべらべら話すと交流学級の先生に「静かにしなさい」と言われてしまいますが、タイミングのいいリアクションは話し手である先生の力量が高かったり、個別支援学級の児童も育てたいと考えてくださっている先生の授業を楽しくさせる効果があります。ハラハラしている私の気持ちを察してか交流学級の先生が

○○君の「先生、それはないでしょ」のおかげでみんないい授業になったね!と言ってくださると懐の大きく深い先生の言葉に泣きそうになります!

音楽のような専科の先生は特に嫌われてしまうことが多いです。音楽の好きな児童はいいのですが、特に嫌いな男子は注意すればするほど言うことを聞かなくなってきます。

音楽の先生に聞かれた時、私が答えているのはクラスの授業はオーケストラとは違うってことです。授業には不協和音が混じってるんですよね。オーケストラの中で変な音を出すと曲が台無しになるので、みんな楽譜に書いていない音は出さないのですが、授業はその不協和音をどうやってドラマにしようかな?という考え方が必要なんです。

一回伝えても直らない時は、みんなの迷惑にならない時はそのままにしておいて、望ましい活動をした時にすかさず認めるということがいいですよと伝えています。いい所を認め、苦手なところは励ましてくれる先生のことを嫌う児童生徒はなかなかいません。素直にうれしい気持ちを出せない児童生徒はいますけどね!

②勉強の仕方がわからないということもあります。要領をつかむことに苦手さを持っている児童の場合、どうやってその授業を受けたらいいのかがわからないという児童もいます。

例えば2年生から3年生になった時、生活科は、社会科と理科になります。

生活科の時によい視点を連発していた児童が急に授業中元気がなくなるということがありました。「あれ、生活科が好きな○○ちゃんなのにどうしたんだろう。」と私は教室に出入りしている時に感じました。

「勉強の仕方がわかるかな?」と声をかけると首を振ります。「ノートを見せてくれる」と言葉をかけるとメモや計算がたくさん書いてあり、自分の感想は書いてあるのですがが、
【何についての学習をしたのか】
【どんなことがわかったのか】
が書かれていないとことがありました。

話を聞いてみると、そもそもなんで生活科は理科と社会になるのかがわからなくなっているようでした。

「社会は人がどうしているかどうしていたか?を勉強するんだよ」

「理科は自然やもののきまりはどうなっているかを勉強するんだよ。」

と教えるとすごく納得できたようでした。子供がわからないって自分から言わなくても、【分からないって顔をしていたら言葉をかけること】
が重要です。ノートのまとめ方も教えてあげましょう。

夏休みの自由研究をやりなさいと言われてもどうやって研究すればいいのかがわからないって感じです。

もう一つ「そうすることの目的を考える」と考えるのも効果的なんです。

「嫌だ」「やりたくない」という時に、何があったのか聞いてみると児童生徒自身も理由がわからないということがあります。これはいわゆるアドラー心理学の範疇で。「その行動をすることで隠れている目的が達成されるってこと」

例えば、小さなけがを見せて「先生痛いです」という時。血も出ていなかったり、かさぶたを剥いた時もあります。この時は自分に先生の気持ちを向けるためにやっているときがあります。自分の気持ちを家庭で十分に満たされないことがあったり、心配なことがある時にわざわざ自分を傷つけて先生方のところに見せに来ることもあるのです。

私は支援学級の担任で交流学級に入ることが多いので、私に見せに来る児童は多いです。これは私が普段から困ったことがあったら小さいことでも言ってね!と言ってるためのこともあります。

血が出ているときは自分の持っている絆創膏を貼ってあげます。「怪我した時に自分で言えるように成長しているね!先生うれしいな!」と心から言うと、「ありがとう!」と言って帰っていきます!絆創膏はきっとすぐにはがれてしまうと思いますが、児童が絆創膏一枚で元気になれるというのを私は何万回も見ています。(#^.^#)安いものです。

何度も言ったのにあの子は私の話を聞いていないんだから~とか、ふざけてばかりでとか、まじめにやってくれないんだからと思ってしまうのは自然なことです。

支援学級の担任として大切なことは「事情があるに違いない」と考えることです。でも、迷惑をかけてしまったらまず最初に謝り、その後に事情を探っていきましょう。そして交流学級の担任の先生にどんな事情があったのかを伝えるといいです。あるいは、その行動をとるとどういういいことがあると児童が考えているか?ということを伝えるといいですね

子供を育てるというのは本に書いてある通りには行きません。また、本に書いてある通りにやってうまくいかないので別の方法でやったら、後日その本の内容は間違いだったということもあります。

子供たちの表情を見て、うまくいっているな!これは辛そうだ。ここは無理してもやらせて力を付けようと覚悟を決めて考えるのが学級担任の醍醐味だと私は思います。
それではまた!

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