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本の紹介1冊目~続き④~:神鷲(ガルーダ)商人 周防咲子vs根本七保子(デヴィ夫人)

インドネシア・日本関係の複雑さに虜になりつつある桐島です。

今回は、木下商店が送り込んだ周防咲子vs東日貿易の送り込んだ根本七保子(デヴィ夫人)を解説します。前回記事は以下です。

勝敗としては、根本がスカルノ大統領の第三夫人として、デヴィ夫人になったことから、根本に軍配が上がったのは一目瞭然です。

さて、周防咲子の方は、どうなったかというと、露となって消えてしまったのです。
周防は1959年、25歳で、生涯を閉じてしまったのです。バスルームで手首を切り自殺してしまいました。

彼女を取り上げた作品としては、『わが心、南溟に消ゆ 西木正明著(2000年)』、『生贄  梶山季之(1967年)』の2作があります。しかし、後者は、デヴィ夫人から追加出版販売差し止めを受けて絶版したようです。(笑)

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神鷲商人の中でも、周防咲子に関する記述は短いですが、引用します。ちなみに、根本と周防は一度も顔を合わせることはありませんでした。

まずは、スカルノ大統領が根本に、周防のことを説明するシーンです。

「彼女はあなたのように英語がうまくない。勘が鋭くなくて、意思があまり通じない。彼女の得意な言葉は、結婚だけだ」
スカルノは少し早口になって、いった。
「この4月、彼女は、私に先立って東京に里帰りしていた。私は、あなたの結婚の希望をかなえることはできないから、このまま東京に残って、ほかの人生を生きてください、と忠告したのだけれど、彼女は聞き入れなかった。私より少し遅れてジャカルタに戻ってきたんですよ」

次に、周防(瀧子)のコメントです。

「あんたは当分東京に残っていなさい、なんていうから、私、怒ったの。趙さんの話じゃ、私を三番目の奥さんにする、そう大統領が約束したっていうから、こんな暑い国へきたのよ。それなのに、当分、東京に残れ、はないでしょう。私だって、今更みっともなくて実家に帰れやしないわ」
内容は激しいが、どこか間延びのした口調で、瀧子はいう。
「しかもあたしは、お舟九隻の持参金をね、おじさまたちの会社からいただいて、この汗疹の国へやってきたんですものねえ」

周防は、木下商会が、1958年第一次賠償の船9隻の契約を勝ち取るために無理やり送り込んだものの、スカルノ大統領からは、好かれていない、という状況でした。

そして、周防(瀧子)の自殺前の様子はというと、

「(大統領は)以前は無理して時間を作ってくだすったのよ。最近は無理してくださらないのよね」
瀧子はひどく打ちしおれている感じであった。
「私からは連絡もできないし、大統領がいつどこで、何をしていらっしゃるのか、私にはつかめない。大統領に新しい恋人ができたんじゃないかしら」(中略)
瀧子の左手首には、真新しい包帯が腕時計のように巻かれている。
「瀧子さん、その手首はどうしたんだ」
瀧子は手首の包帯をじっと眺め、ややあって、どこかなげやりに、
「なんでもないの。庭で虫に刺されたのよ」と答えた。

そして、彼女の自殺の解説シーンです。

女は昨夜、メンテンの自宅の水浴用のバス・ルームで、手首の動脈を切って死んだという。セント・カルロス病院に収容されたが、睡眠薬もだいぶ飲んでいたらしく、手遅れだったそうであった。
川瀬瀧子という名のその女は、これまでにも、一度自殺を計っているが、そのときは早めに発見されて、ことなきを得たのだ。

戦後の賠償ビジネスの裏では、こういった数々の犠牲があったというのの一例かと思いますが、今の時代感覚からすると、こんなにあからさまな事件もあったのか、と驚きを禁じえませんでした。

深田祐介さんが、日・インドネシアの戦後賠償を作品化した意義は深いと思います。
次回は、木下商店、東日貿易の争いを取り上げます。更にもう1つの商社も参入してくるというややこしい展開になってきます。
See you soon.


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