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本の紹介1冊目~続き③~:神鷲(ガルーダ)商人 戦後賠償の構図、登場人物解説

神鷲(ガルーダ)商人に憧れる桐島です。前回に引き続き、神鷲商人です。

さて、今回は、小説中に通底する戦後賠償の構図と、多数の登場人物を紹介します。

まず、そもそもこの小説の時代背景としては、
1950年に朝鮮戦争が勃発し、後方支援としての日本は沖縄基地を中心に軍事物資、食糧等の補給基地となっていました。この恩恵を受ける形で、この戦争特需は日本経済に弾みがつきました。
1952年には、米軍・進駐軍が引き上げていて、1955年は経済成長のはじまりの頃でした。

そのため、人々にも金銭的な余裕ができて、赤坂には、1958年にナイトクラブ「コパカバーナ」が誕生しました。そう、ここで19歳の時に働いていたのが、デヴィ夫人(根本七保子)です。
その際立った美貌に目を付けたのが、中堅商社、東日貿易の久保正雄社長でした。

インドネシアに話を移すと、1945年の日本敗戦後も、オランダ、イギリスが支配していたため独立を果たせませんでした。殆どの日本兵は帰国していましたが、インドネシア独立軍に参加して数年の独立戦争を戦った残留日本兵も多くいました。

インドネシアが正式に独立を果たしたのは1950年 8月でした。その初代大統領が、建国の父と言われるスカルノ大統領です。

1957年10月には、岸信介首相とスカルノ大統領の間で、日本国政府がインドネシアに戦後賠償金として803億円を供与することが決まりました。
これは、ひも付き賠償金と呼ばれ、現金での供与ではなく、実質的に物資での供与になります。 つまり、インドネシアはその803億円で日本から物資を購入することになりました。

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※上記のように、賠償金がインドネシア政府に支払われるように見えるが、実質的にその賠償金は、日本の物資に紐づいているため、賠償金は日本の商社、建設業者へと流れる仕組み

実際、日本からは、船舶、トラック、建設物などが、商社・建設業者を通じてインドネシアに渡ったのです。この、賠償金ビジネスは、インドネシアのスカルノ大統領と日本の商社に莫大な利益をもたらしました。

日本人女性好きのスカルノ大統領との太いパイプ構築のために、商社は、日本人女性を派遣しました。500万円(現在の9000万円)と都心の一等地100坪を交換条件に、根本七保子(後のデヴィ夫人)をスカルノ大統領に対面させたのです。

スカルノ大統領は、大いに気に入り1959年根本はジャカルタに渡りました。しばらく愛人生活を続けましたが、62年に正式にスカルノの第三夫人となり、日本国籍を除籍し、インドネシア国籍を取得して名を ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノに変えました。これがデヴィ夫人誕生ストーリーです。

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(スカルノ大統領とデヴィ夫人の写真)

この基本線を押さえた上で、多数存在する登場人物を解説します。
大きな構図としては、民間商社として、
木下商店(1965年に三井物産に吸収)vs東日貿易(後に伊藤忠商事に合併)
です。両社の背後には、それぞれ岸信介首相と、自民党の大物政治家の河野一郎、大野伴睦、政財界の黒幕と呼ばれた児玉誉士夫がついています。

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どちらの商社とも、スカルノ大統領の妃にする目的で、日本人女性を送り込んでいたのです。東日貿易は先ほど解説したデヴィ夫人ですが、木下商店は、周防咲子(金勢さき子ともを送り込みました。

さて、両商社とも、女、政治家、金とあらゆるものを総動員するのですが、軍配はどちらに上げるのか?
また、現地の送り込まれた周防咲子、デヴィ夫人はどうなってしまうのか?

次回、詳しい動きを解説したいと思います。

See you soon.


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