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12限目:地方の大学生向けの講義(トビタテ!留学JAPANの今後を考える)「大学は何処へ」

一昨日、無事、トビタテ!留学JAPAN向けの講座が終了しました。
準備に沢山の時間がかかりましたが、結果として、参加者全員から「大変満足」という100%の高評価をいただき、やりがいを嚙み締めました。

今回、機会を与えて下さったトビタテ事務局の方、そして参加者の方に、この場を借りて、感謝申し上げます

さて、前回11限で、3冊を手に取って速読をしましたが、今回「大学は何処へ(吉見俊哉)」を精読しました。

理由は、私が、以前から日本の教育に強い関心を持っていて、
この本の帯の「苦悩と不条理の根本原因に迫り、ポスト・コロナ時代の大学像を大胆に構想する」というメッセージに魅了されたためです。

ポスト・コロナ時代の大学、そして、トビタテ留学JAPANはどうなるのか?ヒントを得たいと思います。

さて、この本に入る前に、参加者の方から質問をいただいた、私の大学観を簡単に紹介します。

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私の大学観(日本の2つの大学の経験)

私、桐島は、日本の2つの大学(東京と京都)に通った経験があります。

珍しい経験ですが、東京都内の某有名私立大学の経済学部に1年通いました。その大学でサークル活動を2つと授業をこなした後に、京都の大学の経済学部に入学し直しました。

都内の私学は、大学というよりは、予備校のような雰囲気で、人気の授業は抽選、試験前には図書館がいっぱいで入れず、1つの学部の人数は1200名というバカでかい大学でした。
学生は、ビジネス客に過ぎず、その客に十分なサービスが行き渡っていない印象を受けました。

「大学って、こんなものか?!」というのが正直な感想でした。しかし、サークルとの出会いに恵まれました。議論好きの人が集うディスカッションサークルで、大いなる知的刺激を得ました。

議論の最中に、法学部政治学科に入学したばかりの1年生の女性が、「ジョセフ・ナイのソフトパワーによれば、、、」と発言していて、驚愕しました。

彼女は、アカデミックの世界に既に通じていて、学問を実生活にどう活かすのかを理解していました。

他方、受験勉強ばかりやってきた私は、全く本を読んでこなかったため、度肝を抜かれて、恥ずかしい気持ちになり、深く反省しました。

当然、ディスカッションの相手になるレベルの人材ではなかったです(´;ω;`)

学問というのは、年齢は無関係で、学んで実践した者勝ちで、Fair(公平)だということに気づきました。そして、「血まなこになってきた大学受験のための勉強って、何だったのだろう?」と、疑問が沸々と湧いてきました。

サークルからは大いなる刺激を得たものの、大学自体には馴染むことができず、心は、いつの間にか、修学旅行で行った憧れの地、「そうだ 京都、行こう」に向き始めました。現実逃避でした、、、泣

もちろん、授業にはきちんと出席して、サークル2つにも顔を出してはいました。しかし、心は、完全にここにあらず、京都に行っていました(笑)

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そのようなわけで、大学の単位を順調に取得して1年が過ぎた頃、京都の国立大学の経済学部に入学し直しました。特段の苦労も無く、すんなり入れてしまったので、やはり、大学入試も向き・不向きというものがあると実感しました。

大学の寮生活

新しい大学では、念願の1人暮らしではなく、4人1部屋の寮生活が始まりました。この寮は、とある世界では非常に有名な寮で、この寮に入ると、警察のブラックリストに入り、将来、警察組織(警察庁、警視庁など)は採用してくれない、と囁かれていました。

確かに、寮生で警察組織に就職した前例が一切無いので、真実かもしれませんが、本当の所は分かりません。

男、4人の寮の部屋なので、その汚さは、バイオハザード級でした( ;∀;)

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また、寮のお祭りでこういったものを食べていた程、おてんばというか、怖いもの知らずでした、、、(;´Д`)

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今から振り返ると、本当に、恐ろしいです。

寮の住人には、50歳ぐらいのフリーターのおじさんが、普通に生活していました。年間1万円ぐらい払って大学の聴講生という資格を得ると、月4700円の家賃の寮に住めるという仕組みでした。

学生が管理する自治寮だったため、大学の管理が手に及ばないため、こういったおじさんでも居残れる仕組みになっていました。

それなりの国の税金が国立大学には投入されているので、卒業後はそれなりに働いて世の中に恩返しするという正論は、このおじさんと、この寮に対しては通じませんでした。

そもそも、この寮は、大学の所有物にも関わらず、自治寮であるため、大学の管理は一切受けないと主張していました、他方で、修繕や修理は大学にして貰っているという、脆弱なロジックの上で運営されていました。

多様性に満ちた学生寮という空間に4年間身を置くことで、一人っ子としてのびのび生きてきた私は、「世の中、綺麗ごとだけ言っていても仕方ないので、自分の身は自分で守った上で、他の人の世話をすべき」という生きる上での心構えを叩き込まれました。

京都の大学

さて、新しい大学は、「1人の天才と99人の廃人を輩出する」という噂を、地で行く大学でした。

私が所属した経済学部は、「単位が降ってくる」と言われ、パラダイス経済学部と呼ばれていました。私は、降ってくる単位にさえ、手を出すのが億劫だったため、前の大学から単位を移行したにも関わらず、4年間かけて卒業単位をかき集めました。私の友人は、なんと2年間で全単位を取得していました。

学ぶも、学ばないも、生徒任せの大学だったため、逆に学びたい学生に対しては、少人数のゼミのようなものが開講されていて、そこで朝まで生テレビのような議論をガンガンやっていました。

私は当初「学びは、目の前の先生から得られるものだけでなく、書籍から得られるため、書籍から効率よく学びを得よう」というのが持論でしたが、少人数のゼミ形式の授業は、心の底から楽しく、先生やゼミ生からの学びが大きかったです。

当時校内には、大澤真幸、佐伯啓思、といった現代社会にシニカルな眼差しを持った特徴的な先生がいました。授業内容が全て理解できたわけではありませんでしたが、世の中には難解なものがあり、学問に対する畏怖の念を持つことが出来たのは、良い体験でした。

また、瀧本哲史先生という特徴的な先生もいらして、東京にどっぷり浸かっていたはずだったのに、京都で激アツの講義を担当して下さっていて、悠久の時を経た穏やで怠がちな学生に対して、楔を打つような内容の講義で、良い刺激でした。

2つの大学の比較

学生時代に東京の大学と、京都の大学を比較して抱いた印象は以下です。
●東京の私立大学は、学校経営が最優先で、巨大な学生数を抱えて、大学施設も十分ではなく、余裕が無く汲汲(きゅうきゅう)としている。
●京都の国立大学は、学校経営の色が全く見られず、学生数もそこまで多くなくて、大学施設も十分整っていて、余裕があり、学びたい人には門戸が開かれている。

ここで言いたいことは、私立と国立の比較ではなく、日本国内でも、大学によって雰囲気が全く異なることです。

他方で、大学という空間自体に学びがあったかと問われれば、否です。
学びは、生活の基盤の寮や、サークルの部室に由来するものが大きく、京都で大満足の大学生活を過ごしました。

また、私はアメリカのボストンの大学院に2年間滞在して、国際関係の修士号を取得したため、日本とアメリカの大学の感覚はあります。

それでは、前置きが長くなりましたが、ようやく本題です。

大学は何処へ(大学の歴史)

大学の歴史を踏まえましょう。多くの人が経験する大学ですが、自分が所属している大学の成り立ちに関しては、驚くほど無知だと思います。

私も、今回、学びが多かったわけですが、日本の大学に入った直後に、こういうBig Picture(全体像)を示して欲しいと思いました。

歴史的には、第一の大学(中世都市の大学)はヨーロッパで中世に生まれました。12~14世紀ごろです。草創期の大学は、教授言語はラテン語で統一され、カリキュラムも共通性が高く、資格も使えました。そのため、教師や学生たちが都市から都市に自由に移動することが出来ました。このネットワークを背景にヨーロッパ全土で大学が増殖しました。

しかし、宗教戦争と領邦国家が、ヨーロッパ全土のネットワークを寸断し、さらには、活版印刷による知の普及に大学が負けたことで、第一の大学は終焉しました。

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第二の大学(近代の国民国家型の大学)は、19世紀初頭のドイツです。研究と教育を一致させる「フンボルト理念」により、ベルリン大学が出来ました。ナショナリズムの高揚を背景に誕生した、ドイツ発の国民国家型の新しい大学概念は20世紀を通じて世界中に広がりました。アメリカでは、ドイツモデルに変更を加えて、学部教育に大学院を付け足しました。

国民国家の自裁から、現在、グローバル・ネットワークが拡がりゆくなか、どのような大学に生まれ変わるかが問われています。

第三の大学(地球社会の大学)の教養知は、中世のリベラルアーツでもなければ、近代国家の教養知でもないもので、構造的にこれらとは異なったものになりそうです。どういったモデルになるかわからないなかで、ミネルバ大学が世界に先駆けて、先進的な実証をしています。

大学の種類(日本の大学の立ち位置)

次に、日本の大学の立ち位置を見てみましょう。
第二の大学のなかで、ドイツ型は、University(総合大学)で、学部4年間で専門的教育を施します。

対する、アメリカ型はCollege(単科大学)+Graduate School(大学院)モデルです。歴史的にも、ドイツ型をモデルチェンジして、1876年ジョンズ・ホプキンス大学がこのモデルを創設しました。

これは、学部4年間は教養教育です。ここで、ダブル・メジャーという形で教養教育の中で、緩やかな専門性を確立できますが、本当の専門性は大学院で確立するモデルです。プロフェッショナル職(医者、弁護士など)を得るためには、大学院への進学が必須になります。

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そして、日本は、、、中途半端な混在型です( ;∀;)
日本人が、日本の大学に入学すると、混乱すると思います。
学部4年間を無理やり、2年、2年に区切っているためです。日本独自の混在モデルです。

文系でも理系でも、学部3年や4年の教育が、大学院の教育と接続しているモデルになっているため、大学4年生のはやい段階で、大学院の専攻や指導教官(担当教員)が決まっています。更には、企業側の大学に対する期待が低すぎるため、大学での専門教育が中途半端なものになっています。

超低学習歴の日本型(大学と社会の関係)

さて、この中途半端な日本型に拍車をかけるのが、今となっては崩壊しつつある伝統の日本企業です(経団連の伝統企業を想像して下さい)

伝統的日本企業は、大学での学びを評価しません(もちろん留学経験、起業経験などは評価)。そのため、採用も大学入試の結果、入った大学の名前を重視します。世界的にあり得ない現象が起きています。

しかし、皆さま、ご安心下さい。こういった学習歴を見ない、伝統的な日本企業の先は長くないことは、2000年以降の体たらく(低迷)を見れば分かります。「会社が職場での実地訓練(OJT)をやるから、大学で専門教育は必要ない」と喧伝している、会社に未来はありません。

日本の大学生(特に大学院進学率が低い文系)は、人生100年時代において、大学で3年しか学んでいないという、超低学習歴になってしまっています。卒業論文さえ書かないため、論文や書籍を読む体験や習慣さえ、身につかないという、恐ろしいスキル不足が生じています。

多くの日本人は、学んだ内容を存分に活用する就職ではなく、有名企業にひとまず入っておく就社をします。

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一方、アメリカ型は、大学入試の結果であるスクールブランド(ハーバード、スタンフォードなど)は、もちろん重要ですが、大学生活で何を学んだかも当然、重視されます。アメリカでは、就職するためには、プロフェッショナル教育が必要とされます。そのため、学部4年間では、将来に向けてどういったプロフェッショナルになりたいのかを見極めて、絞り込んでいく作業がされます。

私の留学先の大学院でも、大学を卒業して一旦、企業、国際機関、NPOで経験を積んだ人たちが、大学院に入って専門性を身に着けて、ステップアップを図る姿を間近で観察しました。

日米の大学のコスト比較

最近のアメリカは、資本主義の最終形態の様相を呈しています。階層が固定されてしまう、超格差社会です。

アメリカの有名私立大学の授業料は、4年間で2268万円です。生活費を含めると3716万円になります。日本の国立大学の授業料が、244万円ですので、凡そ9倍です。

私も、大学院に留学した際は、同じぐらいの費用がかかりました。

こんな大学に行ける人なんて、ごくわずかの限られた人のみで、最近の日本は、貧しくなり続けているので、もはや日本人がアメリカの大学に行くのは、どんどんハードルが高くなっています。もはや、アメリカに行く価値はあるのか、という疑念さえ生まれるレベルです。

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そんな問題意識を持っていたのが、なんと、ミネルバ大学の創始者のベン・ネルソンさんでした。

「ミネルバ大学って、ただのオンライン大学でしょ!」と勘違いしていましたが、アメリカの既存の大学に対する批判をもとに、真のグローバルな経験、知的思考を深める経験を提供するための大学でした。

私、桐島は、大いなる感銘を受けて、いつかミネルバ大学に入学したいと思うようになりました。

絶望の国の、不幸な大学生たち

いまの日本人は、戦後のキャッチアップ型経済の残り飯で食っています。
そして、そろそろ、釜の飯も残りわずかで、食い尽くそうとしています。

日本は、今だ世界でGDP3位の経済力を誇っていますが、5年後、10年後にはもの凄い勢いで、稼ぎ口が減ってしまいます。

私が、伝統的な日本企業を見ても、Bullshit Jobsが多すぎて、今すぐに一部の部門だけ残して、その他の不要部門を全部切るべきだと思います(業界関係者やコンサルタントから直接聞く話)。

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この文章の通り、トビタテ留学JAPANは、(少し遅かったにせよ)絶好のタイミングで始まったプログラムでした。引き続き、このプログラムに対する期待は大きいです。

さて、そんなトビタテ留学JAPANの今後を考えるにあたって、大学の歴史的経緯を踏まえた、以下の視点は欠かせません。

第一の大学に近づく、第三の大学

ミネルバ大学は、実は、大学の本質を鋭く見抜いていました。

大学にとって真のキャンパス=都市そのもの、ということです。

以下の図の右下の説明を見ていただくと、学寮で学生同士が過ごす、そして、それは色んな都市にある、ということが分かります。

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そうなんです。今のテレワークの人気と同様、大学がキャンパスを持って、そこで学ばなければいけない理由は、無いのです。

第一の大学の起源は、学びたい人が、旅をして、自分たちで、学びの舎を形成したことです。日本の江戸時代の寺子屋も、学びたい人たちを集めて、各地の自主的に形成されました。

ミネルバ大学を含む、第三の大学は、グローバルな課題を解決しなければなりません。いま、SDGsや環境問題が大きな話題になっていますが、先進国の閉じた大学で議論しているよりは、途上国に住んで直接課題と向き合って、課題を解決した方がインパクトが大きく、実践的であると言えます。

第三の大学とは、こんなイメージなのです。
大学が、オンライン化、デジタル化することが重要なのではありません。

大学という組織・形態の本質が、全世界的な課題解決にシフトしていく。そのためには、世界各地に暮らして、目の前の課題を解決しながら、学びを得ることが必要なのです。

私、桐島は、ミネルバ大学を、「単にデジタルを最大限に活用した大学」だとしか思っていなかったため、この書籍に出合って、自分の稚拙な考えを改める経験が出来ました。重要な箇所なので、引用します。

 ミネルバ大学の挑戦が示唆するのは、「オンライン」という新しい教育パラダイムが、既存の少人数対話型授業の遠隔化以上のことを実現可能にすることだ。19世紀、ナポレオン戦争に敗れたドイツの屈辱から立ち上がり、やがて大学の歴史を大転換させていったフンボルト原理は、「研究と教育の一致」を高々と掲げた。その基盤は、文系はゼミナール、理解は実験室で、いずれも学外の俗世間からは切り離された「理想の空間」としてのキャンパスやその教室で、いわば脱社会的に想像される「理想」の知が目指された。
 だが、21世紀の地球社会に求められているのは、そうした「理想の空間」から生まれる知ではない。そもそもここで19世紀の西欧市民社会が掲げた「理想」とは、実のところ国民国家がイデオロギー的に必要とし、帝国主義と植民地収奪、ジェンダー差別によってはじめて可能となっていたものだった。だから1960年代末以降、新しい思想的潮流のなかでこの「理想の空間」の化けの皮が剝がされていった先で、大学は底なしの方向喪失に陥り、ビル・レディングが「廃墟」と読んだ新自由主義的拝金主義の大渦に吞み込まれていった。
 今、必要なのは、改めて大学に<社会>を挿入すること、否、むしろ大学が<社会>の中に染み出し、社会課題の現場のなかで学問知の批判力や想像力を試し続けることである。ミネルバ大学の実践が、もしかしたら当事者の自覚以上に示唆に富むのは、このような大学の再定義にとって、オンラインという技術上の仕組みが有効なことを実施しているからに他ならない。上手に組み立てされたオンライン大学は、学生たちが社会の現場で課題に取り組むことと、教室で教師や他の学生と理論的思考を深めていくことを、まったく同時に可能にする。(P146)

トビタテの今後

最後に、トビタテの今後を考えてみましょう!

日本の大学は、中途半端な第二の大学モデルです。伝統的な経済界(日本企業)は、何も考えていないので、経済界に大学に対する提言は、何の価値も意味もありません。

一方、アメリカの第二の大学も、資本主義の権化みたいになってしまい、均質性が高くなっています(大学院は例外)

そんな中で、トビタテの可能性は大きいと思います。

確かに、人手の足りない保守的な文部科学省の事業であり、日本企業(ただし伝統的では無い、革新的な日本企業も多い)の後援で成立しているため、影響力も大きいのですが、同時に、期待も大です。

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ポイントは、図にも記載の通り、未来の大学(第三の大学)を踏まえて、以下を考えて、実践しなければいけない、ということです。

トビタテが、第二の大学と第三の大学の架け橋になれるのか?
そうであるとすれば、一例として、ミネルバ大学との接続をどう図っていくのか?
超低学習歴の日本の大学生を、第三の大学と接続する際に何が障壁になるのか?

今回、2021年4月18日(日)、5月2日(日)に、トビタテ!留学JAPAN事務局より貴重な機会をいただきました。

そのため、GWの機会に真剣に、トビタテ!の今後を考えることが出来ました。ワクワクする経験でしたし、今後も、事務局の方々・参加者の方々と、議論・交流させていただければと思います。

See you soon. 次回は13限目です♪


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