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㉜地球の歩き方アメリカ編、ピッツバーグ、デトロイト旅行記Part3(フォードミュージアム)

前々回から引き続き第3弾です。2017年8月20~22日デトロイトで印象的だった観光地をピックアップします。

ピッツバーグからトレドまでAmtrakという夜行列車で移動しました

まずは、人生初めての夜行Amtrakです。8月20日(日)ピッツバーグ23時59分発でしたので、恐る恐るAmtrakの駅にいった所、人が予想より多い30人程いたので一安心しました。

深夜のピッツバーグ駅、こんなところで車に襲われてもおかしくないのだろうと思ってしまいましたが、ピッツバーグは安全
深夜23時40分にも関わらず、30人程乗客がいました。年配夫婦や若者やら色々
アメリカらしいところは、自転車をかついで電車から降りてくる人が多くいました。自転車+Amtrakの旅も根強い人気があるんでしょうか

そして、アメリカあるあるですが、席に座ったところ、隣に巨体の女性が座って自分の席まで肉がはみ出してきました。

こういう時に日本人で良かったと思います。なるべく身体を触れないように縮こまりながら寝ること5時間。無事にトレドに到着(スペインにもトレドという都市がありますが、何もないアメリカの田舎です)。

朝のトレド駅。朝5時なので人がほとんどいません

そして、なんとそこからバス移動ですが、乗客は私を含めて3人でした。
そして、座席に座って眠りに落ちて目が覚めるとまだ出発していなく、乗客はいっぱいになっていました。結局2時間遅れの7時30分に出発。

デトロイト駅

問題は、バスの到着地点である、デトロイト駅。思い立ったら行動するタイプなので、事前のリサーチ不足でしたが、デトロイトというのは「全米一治安の悪い都市」です。私は、エミナムの8mileという映画が好きですが、まさにあれの舞台になった町なのです。

特にダウンタウンエリアの治安が一番悪く、富裕層は郊外に住んでいるという歪なスプロール現象が起こっている都市です。問題はデトロイト駅が、まさにダウンタウンにあることです。

そして、緊張の9時30分にデトロイト駅に到着。なんとも言えない雰囲気のなか、乗客が半分ぐらい降りて行って私も降り立ちました。

目の前のこじんまりしたデトロイト駅に行き、トイレを済ませて窓口に行くと〝Open”と標識がありますが、誰もいません(アメリカあるあるです)。

Amtrakバスにてデトロイト駅に到着。駅から自分が乗っていたバスを撮影

そこで、一旦駅の外に出て、駅の関係者のような人に「Ford Museum行きたいのだけど、ディアボーン駅にどのように行くのか?」と尋ねると、今降りたばかりのバスがディアボーン駅まで行くとのこと。

ラッキーと思って急いでバスに乗り、そのままバスに乗ること30分で10時に無事にディアボーン駅に着きました。10時間の移動です。東京から広島に夜行バスで移動できる距離です。。。アメリカは広い(し時間通りの運行は期待できない)

フォードミュージアム

近くで朝ごはんを食べた後、歩くこと20分、ようやくフォードミュージアムに到着です。

それにしても、この辺りの自動車販売店の多さには目を見張るものがあります。

リンコルンではなく、リンカーンです。リムジンを作っている会社です。大統領車もリンカーン製
GM社のシボレーです。アメリカ人はシェビーというので、最初shabby(おんぼろ)と聞き間違えましたが、Chevyをシェビーを発音します
ついにフォードミュージアムです

フォードミュージアムで、31ドルを支払い、Museum+Factory Comboというチケットを入手しました。

早速、Factoryへ。20分ごとに出発するバスに揺られること、20分ほどでようやくFactoryに着きました。

フォードの敷地が大きすぎて、実際の生産工場がMuseumから相当離れているため20分かかります。

ついにフォードミュージアム
ここまでミュージアムからバスで20分。もう少し近くに作れなかったのかと思ったら、生産ラインがここにあって、それも見学できるので、仕方ありません。観光客のために生産ラインをミュージアムの近くに作るというのは本末転倒ですね

まずは、フォードの歴史のPVを見て、移動後にF150という2011年に発売したピックアップトラックの成功秘話のPVを見て、屋上からフォードの工場全体の景色を一望しつつ解説を聞いて、自動車生産ラインに行きました(生産ラインは写真が禁止でした 泣)。

生産ラインに意外に多くに従業員がいて驚きでした。一部に日本の産業ロボットが使用されていましたが、もう少し活用して自動化の余地があると感じました。

屋上から見たフォードの工場
懐かしのフォードの昔の車種
最新のF-150の車とエンジン。日本ではこんな大きなピックアップトラックは貰っても乗りたくありません

GMとは異なり、ピックアップトラックが売れたために経営破綻を免れたフォードですが、さすがにこんなピックアップトラックは日本では誰も買わないなと思いました。

しかし、思い起こせば、ラオスのビエンチャンではフォードやGMのピックアップトラックに乗っている人が多く、こういう所にベトナム戦争時にラオスに巨額の資金協力をしたアメリカの影が見え隠れしたことを思い浮かべました。特別な理由がない限りは、アメリカのピックアップトラックの海外での需要はほとんど皆無です(実際に多くを見たことがありません)。

フォードミュージアムに夕方17時までいて感じたことは、トヨタの強さです。フォードが自動車を世界で最初に普及ベースにのせたにも関わらず、トヨタはアメリカでかなり売れています。

しかも、トヨタの最上位ブランドのレクサスもかなり売れています。アメリカ人は、トヨタとレクサスを別の会社のブランドだと思っているほど、トヨタのマーケティングは成功を収めています。

このトヨタのアメリカ市場に攻略が、フォードミュージアムで気になったため、次回解説をしたいと思います。

モヤモヤ点は以下です。

●なぜトヨタはフォードモーターを上回る世界のToyotaに成長できたのか?

●フォードやホンダや日産でさえ、上位ブランド作りに失敗したのに、トヨタはレクサスに成功したのか?

フォードミュージアムは1日楽しむことができるディズニーランドのようなものです。ディアボーンのアクセスは不便ですが、シカゴ、インディアナポリス、クリーブランドからは比較的アクセスしやすいので、アメリカの自動車産業の現状に興味があればオススメです。

博物館は巨大です。3時間いても飽きません
ケネディ大統領が暗殺された時に乗っていた車です
男根の宣伝ではありません。ホットドッグの宣伝車です
車以外にも列車、飛行機、農業用トラクター等など多くの展示があります


それでは、先ほどのもやもやした質問に対する答えになります。

なぜトヨタはフォードモーターを上回る世界のToyotaに成長できたのか?

実は、この質問は2016年7月にボストンに上陸してタフツ大学の周辺を散策している時から疑問に思っていました。ボストンやメドフォードではトヨタやレクサス車を多く見かけるためです(ホンダも多いです)。

まずは、1つ目の質問に対してですが、『マンガでわかる日本人なら知っておきたい トヨタ自動車の歴史』が参考になります。このマンガは、(日本の一部にしか残存していない)男の夢とロマンがあります。

トヨタの源流は豊田佐吉という1人の発明家に行きつきます。

彼の自動織機の発明が功を奏して、豊田式織機株式会社が設立された1907年になんと、株式市場は暴落して日本は不景気に陥るのですが、研究費を削ることを許さなかった彼が、なんと自分の設立した会社の取締役会で首になってしまいます。そして翌年、活路を見出すために行ったアメリカで、路上にフォードの車が溢れていたのを見て、日本で自動車産業を起こす必要性を感じて日本に帰ってきたのです。

こんなところに、トヨタとフォードの繋がりがあったことには無知でした。

豊田佐吉の言葉

豊田佐吉の言葉に心を揺さぶるものがあります。

「何のために発明するのかって?そりゃ楽しいからに決まってる!自分の発明したモンが人が豊かになり笑顔になる。こんないいこと他にあるか?儲けなどいらん!自分などいらん!世のため国のためにワシの発明はあるんじゃ」

今の日本の若者(私を含む)にはなかなか出来ない発想だと思います。私の周りもほとんどが会社におんぶにだっこ人間のような気がする(発明するほど独立心がないという意味で)ので、この言葉にはグッとくるものがありました。

最後に、トヨタの精神を体現している言葉が「まずやってみろ、失敗を恐れるな」です。

この精神がうまく継承されてきたことが、まずは重要ですが、最大の危機は戦後に訪れました。

その箇所を引用します。

■日本初の本格的国産乗用車「クラウン」誕生

 1950(昭和25)年代、経済復興の進展に伴って、タクシー用乗用車の需要が増大し、外国製乗用車の輸入化に対する要望が強まった。国内自動車メーカーの生産制限は、GHQによって解除されていたが、こうした動きに対応して、本格的な乗用車の開発を急ぐ必要があった。

当時、国内の自動車業界では、自動車の生産に関して外国メーカーとの技術提携が相次いで行われた。三菱重工業が米国のカイザー・フレーザー社と提携して乗用車「ヘンリーJ」の組み立て生産を開始したのを皮切りに、日野ディーゼル工業(現・日野自動車)がフランスのルノー公団と乗用車「ルノー4CV」の製造・販売に関する提携、日産自動車がイギリスのオースチン社と乗用車「オースチンA40」に関する技術提携、いすゞ自動車がイギリスのルーツ社と乗用車「ヒルマン・ミンスク」に関する技術提携を結んだ。

このような状況下で、トヨタ自工は純国産技術による開発を表明したのである。ジャーナリズムの評価は、トヨタ自工を時流に乗り遅れた田舎会社をする向きがあった半面、外国技術の導入に走る企業への批判的な見方も存在するなど、国産乗用車の行方が各方面の関心を集めた。

乗用車開発に向けて、トヨタ自工はまず大口顧客であるハイヤー・タクシー業界へ聞き取り調査を行いない、トヨタ自販の市場調査結果なども参考に、トラックの流用ではなく乗用車専用の設計方針を策定した。

夜を徹して開発に取り組み、幾度の試行錯誤を重ね、1955(昭和30)年1月、日本初の本格的国産乗用車「トヨペット・クラウン」は満を持して発売された。当時の自動車雑誌『モーダーファン』は、「新トヨペット 豪華、国際水準のクラウン 実用本位のマスター」のタイトル記事で、次のように伝えている。

「新トヨペットに接し‟流石はトヨタ“であるの感を深めたのは筆者だけではなかったと思う。国産車のためにホッとしたというのは偽りのないわれわれの心境であり、国際水準の構造と機能をもつだけではなく、日本の道路や使用状況に応じた‟懸架装置や制動装置に対する考慮”など大いに感服に値するものがあり、国産車としてわが意を得たものである」

このようにクラウンは日本の国情に配慮した国産車として、高い評価を得た。そして、トヨタ製乗用車の基準となる仕様を確立すると同時に、後の国産乗用車にも大きな影響を及ぼしたのだった。

(『マンガでわかる日本人なら知っておきたい トヨタ自動車の歴史』 第4章 日本初の純国産乗用車・クラウン誕生P115-118)

なぜトヨタはフォードモーターを上回る世界のToyotaに成長できたのか?

に対する回答は、

創業者である豊田佐吉の「まずやってみろ、失敗を恐れるな」というのが脈々と根付いていると共に、最後まで純国産主義を貫いたことが大きいと言えます。

さて、2問目です。

なぜトヨタはフォードモーターを上回る世界のToyotaに成長できたのか?

アメリカの自動車市場とレクサスのファクトは以下の通りです。

‟ガラパゴス市場“アメリカで勝つためには

生誕の地であるアメリカでは順調に販売台数を伸ばしてきたが、それ以外のメジャー市場では存在感を高めることができなかったのだ。世界販売台数約65.2万台のうち、アメリカ市場での台数約36.8万台が占める割合は実に56%(2015年実績)。今日、レクサスは65ケ国で販売されているが、事実上アメリカンブランドという立ち位置からほとんど抜け出せていない。

 アメリカは年間1700万台もの新車が売れる巨大市場。自動車メーカーにとって、そのアメリカで成功することは政治家が大票田を確保すうようなもので、とても魅惑的に感じられることだ。しかし、綺麗なバラに棘があるように、アメリカ市場にも落とし穴がある。アメリカ市場を主眼とした商品は、得てして他の市場では不人気になりやすいのだ。

 アメリカの高級車ブランドを考えてみるとわかりやすい。アメリカはヘンリー・フォードが1913年にベルトコンベアを使った流れ作業でクルマを安く、大量に生産する方法を考案して以来、長年にわたって世界の自動車業界をリードしてきた国である。ドイツのカール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーがクルマの生みの親なら、フォードは育ての親といわれるほどだ。

 鉱山王、石油王、金融王などの富豪を多数生んだ国である。当然高級車の需要も古くから世界一高く、それに応えるブランドが次々に生まれた。キャデラック、リンカーン、パッカード、デューセンバーグ、ピアレス等々、多数のアメリカ国産メーカーが、1900年代初頭という自動車黎明期のものであることが信じられないほどに大型、豪華で優雅なサルーンカーの産出を競っていた。

 そのうち、現代までアメリカ生まれの高級車ブランドとして存在し、生き残っているのはキャデラックとリンカーンだけである。その2ブランドにしてもビジネス先はほとんどがアメリカ国内。アメリカ以外では中国でキャデラックが若干買われているくらいで、あとは先進国、新興国、発展途上国を問わずほとんど売れていない。アメリカ市場はある意味、日本よりも‟ガラパゴス“で、世界的な広がりがない。ただ、市場規模があまりに巨大であるために、そのことが目立たないだけなのだ。

『レクサス トヨタは世界的ブランドを打ち出せるのか』 第1章 レクサスはいかにして生まれたかP24-26

私は、レクサスが全世界で売れているブランドだと勘違いしていましたが、そもそもレクサスはアメリカ発のブランドであり、全世界に占めるアメリカシェアが56%に達するということを知りませんでした。

どうりで、アメリカで見るわけです。

何故レクサスはアメリカでヒットしたのか?

それは、「高級車の割にはお買い得ブランド」であるためです。

 RX(レクサスのモデル)は今日、中型高級クロスオーバーSUVのジャンルで販売台数ナンバーワンだが、同カテゴリーのライバルであるBMW「X5」と価格と比較すると、エンジン出力や装備が似たもの同士で概ね1万ドル強、日本円にして約120円もの差がある。4万ドルアンダーで大型高級車が買えるということで人気のESも、同クラスの前輪駆動高級車、アウディ「A6」に対して8000ドル強、約100万円安い。

 こうなった原因は、実は発売時の‟初動“にあった。レクサスが高級車ブランドとして受け入れられるかどうか確信が持てなかったトヨタは、本来なら当時の価格で5万ドル、6万ドル、あるいはそれ以上というのが相場だったフルサイズ高級セダンに相当するLS400を、あろうことか3万5000ドルという破格値で売ったのだ。

『レクサス トヨタは世界的ブランドを打ち出せるのか』 第4章 レクサスのつくり手たちP131

フォードやホンダや日産でさえ、上位ブランド作りに失敗したのに、トヨタはレクサスに成功したのか?


答えは、実はアメリカでレクサスを見るほどに、世界的にはレクサスはブランドになってはいないし、アメリカでも最高級ブランドという地位に向けて現在たゆまぬ努力をしている最中というものです。

フォードミュージアムに行ったことで、以前から気にかかっていた問いの答えを見つけることが出来ました。

愛知県長久手市横道にトヨタ博物館があるので、折角アメリカでフォードミュージアムを見たので、日本に戻ったら絶対に行きたいと思います。

それでは、次回はデトロイトの観光地に関しての記事になります。


See you soon.

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