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【オバちゃんの読書感想文】 「女教邇言」 津田梅子 著

じ‐げん【邇言】 〘 名詞 〙 身近なことば。 通俗的でわかりやすいことば

コトバンク

本屋は本屋の楽しみ方がある。フラッと入って、ちょっと手に取ることで新しい本と出会えることがある。ネットは知りたいものを探したり、キーワードで素早く絞り込んだりというのが得意。どちらも良い。

この世の中に、本屋とネットの両方の良いところを兼ね備えたサイトも存在する。

本屋みたいな見つけ方ができるネット上の図書館、『青空文庫』というものに大変お世話になっている。私の一番最初の投稿で取り上げた「こころ」は手元に本がなかったのでここで探した。そして、膨大な収録書籍の中から「智恵子抄」も探した。

次に何を読もうかな、と思ってページを見ていたところ、あまり本の作者として認識していない名前を見つけることがあった。その中のひとりが津田梅子。津田塾大学を作った人として有名だが、彼女の書いたものがあるというのは初耳だった。そして、中を覗いて見つけたのが「女教邇言」。『邇言』なんて見たことも聞いたこともない言葉だが、冒頭にこんな言葉が書いてあり、そのまま私は一気に読んでしまった。

女子教育上の意見としては別段に申上ることも御在ませんが、唯だ私が一昨年の春此の女子英學塾を開いてから以來、種々今日の女子即ち女學生に就て經驗した事がありますから、それを少し御話して大方の教を乞はんと欲するので御在ます。

「女教邇言」 津田梅子

今回は一風変わった文章の感想文に取り組んでみる。

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梅子さん、尊敬します。

まず、6歳で官費女子留学生としてアメリカに渡ったということ!6歳って一泊のお泊りでも心細くなっちゃう年頃の少女が、年単位で家に帰ることのできない場所に行くというのは、いつの時代であってもなかなか実行できるものではないはず。行く直前になって「やっぱヤダ〜」と泣いても全然驚かない年頃でしょう。それを立派に成し遂げ、11年もの間アメリカで生活し、学んだ姿勢はあっぱれとしか言いようがない。親の立場で考えても、わずか6歳の愛娘をアメリカに送り出すというのは、今で言うなら火星にでも送り出すような感覚に近いのではないかと考えると、断腸の思いそのものだったはずなのに、それを敢えて断行する強さ。当時の人たちってすごいなぁ。

このアメリカでの経験から培った洞察力、俯瞰力、分析力などがこの短い文章の中に散見される。ご存知の通り、津田梅子は女性に高等教育を提供することに一生を捧げたような人だ。しかし、この文章の中で書かれていることは、どうやって教育を与えるかという、いわゆる『ハウ・ツー』ではなく、女性にどのようになってほしいのかという理想像だ。内容ははっきり言って耳が痛くなる(笑)。当時40にならない年齢の梅子さんは私よりよっぽど大人。梅子さんは主体性を持つこと、自立心を養うこと、自分事として捉えること、判断力を鍛えることなどを唱えている。

また、6歳で渡米し、17歳までアメリカで生活をした津田梅子は帰国時日本語を完全に忘れていたそうである。当然といえば当然であろう。当時は家族との連絡手段も限られていたであろうし、他の日本人留学生との交流もままならなかったはずだ。一緒に渡米した留学生のうち、10年残った他の二人とは生涯にわたって英語で会話をしていたということから、日本人同士であってもアメリカに長くいた留学生とは英語のほうが意思疎通がしやすかったのだと推測する。

つまり、津田梅子にとって日本語は外国語である。私が外国語でこれだけの内容の文章を書いたり、書かなかったとしても口頭で表現することはかなり難易度が高い。今ならGoogle翻訳やChat GPTの使用はもちろん、古い手法として認知されているい辞書をひきひきしながらの翻訳作業ということができる。津田梅子がこの文章を書いた20世紀初頭は英和辞典等はあったものの、どれほどの単語数が収録されていたのかは分からないが、現在には及ばないであろう。また、外国語が一般的でなかった時代にはものの考え方からして英語を使う人の考え方と日本語を使う人の考え方は異なっていたはずなので、翻訳も今以上に難解だったに違いない。さらに言えば翻訳作業は頭の中にある考えを単に単語を置き換えただけでは伝わらないので(この件についても文章の中で述べているが)、きちんと自分自身が伝えたいことを日本語で、日本人の思考スタイルを考えながら表現できているのが彼女の凄さだと感じた。

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