何もしないことの可能性-ミニ読書感想「何もしない」

ジェニー・オデルさん著「何もしない」を読んだ。何かをすることばかりを急き立てられる今日において、非常に重要なエッセイだった。


本書における「何もしないこと」は、注意経済(アテンション・エコノミー)にノーを突き付けることだ。SNSのフィードを見ない。いいね!をしない。リツイートしない。我々の関心や感情を「換金」する経済に絡め取られないようにすることだ。

なぜなら注意経済は、我々を「今」に縛り付けるから。先を急がせるから。市場価値を高めるために、生産性を高めるために、最先端をキャッチアップするために、あなたはもっともっと注意を払わなければならない。もっと効率よく、もっとブランドの立つ個人へ。そんなメッセージは、ひたすらに今、この瞬間を無駄にしないように我々を駆動する。

それは果たして人間的だろうか?というのが本書の問いかけだ。「読みたかった言葉はこれだ」と膝を打った。書店に行くたびに、自己啓発本コーナーが拡大してるように感じて嫌気がさした人にはとくにうってつけの本書である。

本書が素晴らしいのは、かといって「デジタルを捨てよう。ミニマリストになろう」というハウツーではないこと。それもまた形を変えた自己啓発であり、そういう欺瞞をきちんと迂回しているのが本書のいいところ。

そしてさらに、資本主義から距離を置こう!というアジテーションでもない。むしろ本書の第2章では、いくら注意経済から逃げたくても「逃げきれない」ということを、かつてのコミュニズムのムーブメントを引き合いに論じている。これもまた良い。

では本書は何を言っているのかと言えば、世界への「責任」は受け入れつつ、「態度」を修正していこうということ。だから本書は正確には「何もしない」ではなく「何もしないをする」なのだ。この世界に関わり続けるために、あえて注意経済に乗っからない。留保し、回避する。

しかしながら、こうした態度には精神的・経済的な余裕が必要だ。その点についても本書はフェアであり、ちゃんと認めている。

「では何も言ってないに等しいではないか」という批判もある意味正しい。本書を読むことは散歩みたいなもので、読んだからと言って明日からの生活を大きく変えるものではない。少なくとも明確には変わらない。しかし、歩いたという事実は残る。確かな読後感がある。

それこそが、何もしないことの意味だ。即断しない。価値を決めない。枠をはめない。そうして可塑性を許し、変化を楽しむことこそ、本来的であり、人間的であるというのが本書から得られるヒントの一つである。

注意経済をやめてみようという本を読んで、どうしてこうして注意経済の一形態であるnoteに感想を書くのか。それは、やはりこの世界に関わるためだ。注意経済の中にいる我々の1人でも多くに本書を読んでほしいから、「この本は面白いよ」という書き置きを残している。

「何もしない」を読んだ人は結局、何かをせずにはいられない。皮肉であり、面白いことだ。

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