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スミスの罠とルソーの罠ーミニ読書感想『贈与経済2.0』(荒谷大輔さん)

荒谷大輔さんの『贈与経済2.0』(翔泳社、2024年4月15日初版発行)が面白かったです。資本主義の「次の経済」を構想する本。読みどころはまさに次の経済の形ですが、その前段階を面白く読みました。いま目の前の資本主義にどんな課題があり、代替的な社会構想が毎度つまづくのはなぜなのか。


まず、資本主義の課題。それは、社会分業の中に秘められています。アダム・スミスは、生産性の向上のために生産工程の分業を提唱し、それを社会全体にも拡大すべきだとしました。

しかし、私たちは分業することで、社会全体を構想する余裕や時間を失っている。

各人が脇目も振らず目の前の自分の仕事に注力すること、全体のことに思いを巡らせ社会を「よりよく」しようなどといった「無駄」なことは考えないこと、個々人が限られた視野で自分の欲望だけに突き動かされること、こうした社会分業を徹底することで、社会全体の生産力を飛躍的に高められるというのがスミスの主張だったのです。

『贈与経済2.0』p33

いわば、分業することで分断されているわけです。「目の前のことに一生懸命になれる」との要請に忠実になると、社会全体に目が行かなくなる。むしろ、俯瞰的な思考、そのためらいは、無駄と断罪されかねない。

これは現代社会でも、冷笑的な視点、「一人だけでは社会は変わらない」という発想に結びついている。むしろそれなら「資本主義に乗っかった方がいい」というハック的な思考です。

一方、例えば社会主義、共産主義、あるいはナチスドイツの全体主義は、なぜ資本主義を打倒できなかったのか?それは、資本主義とは別の社会を構想しようとしたルソーにまで遡る陥穽がある。

それは「一般意志」の罠です。ルソーの自由は、資本主義の「金でなんでも解決できる」自由とは異なり、共同体の理想を個人が共有し、その達成のためにコミットすることだと定義づけられました。資本主義的ではない、弱者にも優しく、格差のない社会を掲げ、それに対して個人が貢献する自由。

つまり、一般意志を重視するルソーの自由は資本主義の自由と激しく対立する。

資本主義経済における「自由」が「ほっといてくれ」というものであったことを考えれば、その差異は明らかでしょう。ルソーの「自由」は、他者関係の束縛から人々を解放するものというよりもむしろ、共同体へと自らを積極的にコミットさせることだといわれます。同じ「自由」という言葉が使われながら、その内実は鋭く対立するものであることがわかります。

『贈与経済2.0』p57

つまり、ルソーのオルタナティブは常に対立的だし、「資本主義とは異なる理想を共有する人のパイを増やす」という方法でしか対抗できない。しかも、そのコミュニティでは一般意志が重視され、個人は自由としてその理想へのコミットが求められる。

ルソー的自由は、本質的にファシズムにつながる抑圧をはらんでいる。

では贈与経済は資本主義の代わりになるかというと、、、といった調子で話が続きます。気になる方はぜひ本書をお読みいただければと思います。

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