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おばあちゃんと消えた猫のこと
僕が中1のころの冬、85才でおばあちゃんが亡くなった。
80才を過ぎた頃からすこし認知症気味だったけど、叔母とその家族と母が皆で協力して面倒をみていておかげで、おばあちゃんはかなり最後の頃まで自宅で暮らせていたのだった。
そしておばあちゃんには可愛がっていたモルという三毛の飼い猫がいた。
田舎なので当然のように猫は外飼いで、ご飯は白米に味噌汁をぶっかけたねこまんまをいつもあげていたのを覚えている。モルはおばあちゃんによく懐いていて、おばあちゃんが縁側で日向ぼっこをしている時はその隣で気持ち良さそうに丸くなっていた。
僕たちが当時の住んでいた貸家ではペットが飼えなかったので、おばあちゃんちに来るたびにモルを撫でようといつも追いかけ回していた。でもモルは僕がちょっとでもかまうと、面倒くさそうにばあちゃんの所へ逃げていく。僕が一生懸命煮干しやチーズなどでモルの気をひいても、食べ終わるとばあちゃんの所へ行ってしまう。モルはそんな猫だった。
そしておばあちゃんのお通夜の前日。小学校を休んで両親と母の実家に駆けつけた時には、おばあちゃんは広い床の間の真ん中で、顔に白い布を被せられて横たわっていた。容態があまり良くないと元から聞いていたせいか母は知らせを受けた時はあまり驚いてはいなかったが、さすがに横たわるおばあちゃんを目の当たりにした時には泣いていた。
母と一緒に顔の上の白い布をめくると、おばあちゃんの顔は綺麗に化粧をされていて、生前のおばあちゃんとはまるで別人のような顔をしていた。そのせいかはわからないけれど、当時の僕にはおばあちゃんがもうこの世にはいないということの実感が湧かなかった。もちろん寂しいという気持ちはあったけど涙はまったく出てこなかったことを覚えている。
そういえばお通夜の直前に、おばあちゃんがよく居た縁側辺りをモルがなんとなく所在なさげにうろうろしているのを見かけたので、僕が近づいていくとモルは縁側の窓からふっと外に出て行った。きっとモルも悲しいんだろうなと思い、この日ばかりはモルを追いかけずにその後ろ姿をただ見送った。
お通夜の夜には男性陣が交代でお線香の番をする為、床の間で夜通しビールを飲みながら、それぞれのおばあちゃんとの思い出について話していた。僕もその隣の部屋で本を読みながら朝まで寝ずに頑張ろうと思っていたのだけれど、気づいたらいつの間にか夢の中だった。
次の朝、僕が起きて床の間に顔を出すと、大人達は昨日の真夜中の不思議な出来事について語り合っていた。
母の実家には木の雨戸が家中にあり、冬はそれを全部閉めるのが習慣なのだが、夜中の3時過ぎにその木の雨戸が「カタカタ」と小さく何度か鳴ったので、外に遊びに行っていたモルが帰ってきたのかと思い叔父が雨戸を開けて外に出てみたが、辺りには何もいなかったらしい。ちなみにその日は風もほぼない夜だったそうで、そんなことが夜が明けるまでに2、3回ほどあったとか。
そしてお通夜の次の日以来、猫のモルはいなくなった。1週間立っても1ヵ月がすぎても結局戻ってはこなかった。
その後、叔父はモルが居なくなって寂しがっている僕にこういった。「きっとモルはおばあちゃんのお供をしたんじゃないかな。猫は死後の世界へ旅する魂にお供するって言い伝えがあるんだ。モルはもう帰ってこないかもしれないけど、きっとおばあちゃんと一緒にいるんだよ」
ぼくはそれを聞いて、おばあちゃんが歩く少し先をモルがしっぽをピンと立て、ちょっとだけ得意げに歩いていく様子を思い浮かべた。そうするとその寂しさはちょっとだけ薄らいだ気がした。
そういえば大人になってからそのことを友人に話した時に、フィンランドでも似たような猫に関する言い伝えがあると彼から聞いた。そして「モル」というおばあちゃんがつけた三毛猫の名前の由来を直接聞けなかった事を今でも後悔しているのだが、ひょっとすると「守る」だったのかも、と想像している。
それ以降もおばあちゃんのことを思い出す時には、今もモルは天国のおばあちゃんの膝の上で、喉をゴロゴロと鳴らしながら丸くなっているんだろうか、なんてふと考えたりする。
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