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「フクイチ」「イチエフ」問題 地元民を捨象した都市民どうしのさや当て

 東日本大震災による原発事故以来、世間では東京電力福島第一原子力発電所の略称としてふた通りの言い方が流通している。「フクイチ」と「イチエフ」だ。
 フクイチを使うのは、以前は原発容認だったり、自分に累が及ばなければ興味も関心もなかったりしたにもかかわらず、事故に直面して生活保守的に原発反対に転じた都市生活者に多いという印象がある。
 イチエフは、もともと地元の原発作業員らが日常的にかわしていた言葉を竜田一人氏がコミックスの『いちえふ』に採録したことによって一般に広まったようだ。竜田氏は、原発の緊急作業・収束作業に従事した経験から〈「フクイチ」って言うやつなんか、現地にはいねえ〉とも発言している。地元民に憑依した、いわゆる「反・反原発」的なスタンスの用語として使われている面がありそうだ。
 私は日常用語としてどちらも使ったことはない。第二原発ができる前はだたの「原発」、第二原発ができてからは「第一原発」と言っていた。
 イチエフという呼び方をはじめて聞いたのは、90年代に入ってからだっただろうか。原発で働いていた身近な人々が語るのを聞き、いまはこう呼ぶのかと思いつつ「1F」という字面を思い浮かべたものだ。他方、事故以前、放射線管理手帳には「福一」「福二」のスタンプも押されていた。会話では「1F」、文字では「福一」として二つの呼称が共存していたわけだ。
 だが、不幸なことに、事故後、フクイチを使うのか、イチエフを使うのかで、“仲間内”の結束を固めたり、他者を批判したりする、一種の党派性・排他性を帯びた用法の言葉と化してしまったかのようにみえる。
 少し前、相双から埼玉に避難していた知り合いが「6号国道」と言うのを聞き、地元の人が国道6号を「6号国道」や「6国(ろっこく)」と倒置して呼んでいたことを思いだした。そのほうが語呂がよかったからなのだろうか。少なくとも国6(こくろく)よりは6国のほうが言いやすいのは確かだ。
 「ふくいち」と「いちえふ」も似たような関係なのだろう。いまさら思うに、フクイチ派とイチエフ派の言葉をめぐるさや当ては、地元の感情や歴史とは切り離された、都市住民どうしの観念的な言葉遊びに過ぎなかったのかもしれない。
(福島民友「みんゆう随想」第2回「『フクイチ』『イチエフ』問題」2019年6月6日付を一部改稿。写真は2018年、大熊町の高台で撮影)

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