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幻のロッテ野村監督

野村克也氏が亡くなって2ヵ月以上が経ちました。
新型コロナウイルス影響で、プロ野球は開幕が出来ず、ご在命だったらどんなボヤキが出ていたでしょうか。

週刊ベースボールで野村氏のコラム「本物の野球はどこへ行った!」で自身が記載していたので、間違いはないと思いますが、
南海からロッテへ移籍した1978年、金田正一監督の後任として、当時の重光武雄オーナーから監督就任の要請をされたとの事😨
(そういえば金田氏は昨年、重光氏も今年亡くなりました)

歴史の通り、金田氏の後はオリオンズOBの山内一弘氏でしたから、ロッテ野村監督は誕生しませんでした。

もしなっていたら…ヤクルトみたく日本一になっていたかはわかりませんね🤔

金田監督は1973年から1978年の6年間で1974年日本一、1977年は後期優勝も果たし、川崎球場になった1978年を除く5年間は本拠地を持たない劣悪な環境だったにも関わらず、
最下位どころかBクラスも1975年のみと決して弱いチームではありませんでした。
(東北新幹線の無い時代に、仙台を準フランチャイズとして使用してましたっけ)

弱いチームじゃないから監督の言う事を全て聞くとは思えないし、
今よりも個性が強い人(アクが強いと言うべきか)がプロ野球選手でしたから、
お得意のミーティングをしても効果があったかどうかは何とも言えません。
野村氏引退後の週刊朝日の自身の連載で、
「ロッテは試合の勝敗より猛打賞の選手がヒーローになる」
「(金やんから)3割打ったらこれくらいやる」とも言われたらしく、要は個人主義が蔓延していたチームだったので、野村氏が苦い思いをした阪神みたくなっていた可能性が高いですね。

「引き受けなかった事が正解だった」と言うことでしょうが、
ロッテファンとして、偉大な野球人のロッテ監督の姿を見てみたかったですね。

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