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毒親の始まりは習い事から


【自分の親が毒親だと気付いたきっかけ】
はっきりと「うちのお母さんってやばいんだ。普通じゃないのかも。」と気付くきっかけになったのは習い事のスイミングでした。
3歳の頃、母親が何気なく習わせ始めたスイミングスクール。

幼稚園生の頃、スイミングスクールの先生から
一枚の手紙をもらい、母親に見せると大喜び!
「みい!育成選手コースへの
招待の手紙だよ!行くよね!?」
と・・・。

お母さんの喜ぶ姿と、お声がけいただけたことが嬉しくて幼稚園生だった私は深く考えずに
「うん!」と返事をしてしまったのが間違えだったのかな。

それから水泳の回数は
週5→週6→
小学高学年なる頃には週6+朝練がある日も。

過酷な練習よりも何よりも怖かったのが、小学生になった頃、練習中に同世代の子に負けると、帰ってから酔っ払った母に
「何で他の子に負けるの!?まだ本気出せるよね??」
と髪の毛を引っ張られ、蹴っ飛ばされることでした。

みんなはきつい練習の前後はにこにこ送り迎えしてくれる親の姿が見えたけど、うちは学校の後、遊ぶ間も無く公共バスで自力通い。
練習中に私が負けた情報がうちの母親入ると暴れ出される。
行きのバスも帰りのバスも憂鬱でした。

「お母さん、私ディズニーランドに
行ってみたい!」
「友達と放課後遊んでみたい!」
「応援団をやりたいんだ!」
私が言ったこの言葉達は全て却下。

「お前は水泳のことだけ考えてればいいんだよ!!」

学校の後、夕飯は私が準備させられる日も多く、
祖母に「何だこの料理!お前は自分の妹を
栄養失調にしたいのか!?」と怒鳴られ、
もやもやする間も無く
急いで水泳の支度して激しい練習。
帰ってからも激しく怒られる。

心から水泳を好きとは思えなくなってましたが
私が何かミスをすると最後は決まって、
「お前は、水泳やめさせられたいのか!?」
と母に冷たい目で睨まれ、私はここで
やめたいと言ったら、暴力が増すことを
わかっていたから
「やめたくない」と答えてお母さんを
なだめていました。

それは徐々に次女も同じ扱いをうけるようになっていました。
三女だけは何しても怒られない。
ただ週に数回、スイミングスクールに通ってるだけでご褒美のお菓子をもらえる状態。

そして妹2人は私に口を聞かないように母に言われているので、姉妹関係もどんどんおかしな関係になっていきました。

今二児の母である私は、息子達に習い事を無理強いしないように同じことを繰り返さないように、好きなことをやらせてのばしてあげたいと母を反面教師にして、気をつけています。


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Miku Sayson

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