見出し画像

親になってはダメな毒親21…父は母みたいな人を妻にして実際のところどうだったんだろう?

父はそれなりに家庭を大切にしてたんだと思う。

父と同世代の男性の平均結婚年齢から考えると晩婚中の晩婚だった。

軍国時代の中!青春時代を過ごし、周りの友人は赤紙が届き戦死した人がたくさんいた時代。
将来は弁護士を目指して京都大学を目指したが、文系に進むと優先的に戦地に駆り出され,

戦後の日本復興の為を考え、理系の若者は戦地に赴く事を免除されたため
理系を目指し金沢大学から帝国大学東北大学に進んだ。

いよいよ敗戦色濃くなった終戦まじかに、特攻隊員として父の元に赤紙が届き、戦地へ行く直前に終戦となった。18歳だった!

一人でひたすら勉学に打ち込み、講師の時の母と見合いをして結婚!

母の父親(母方の祖父)は東北大学理学部数学科元教授から東京工業大学教授になったが、東北大学でも影響力あるという事でゆくゆくは祖父の口利きで教授にという計算も働き、
まだ大学を卒業したばかりの11歳年下の娘である母と結婚した。

立身出世の道が開かれ、まだ若い大学教授の娘と結婚して
父としては結婚後の家庭のありようと学問と研究の夢を頭の中で描いていたことだろう!!

そこで、事件が起こった。
母と婚約期間中!父は母の母親(母方の祖母)から誘惑をされた!
祖母から見るとこれから結婚する娘のお婿さんに当たる人に、女の色気をだして言い寄ったらしい!
後でその事実を聞いて驚いたし、信じられなかったが事実のようだ。

父にとって、祖母という女性を不潔でみだらな女性と映ったのは言うまでもない事だろう。
本来はその段階で婚約解消するのが筋というものだが、

父は母と結婚した!!

それくらい、教授になりたいと考えていたのだろう。
父は元々、静岡で生まれ、神戸で育った関西人!
時代の先端を走っていた神戸から見ると、東北は時代が50年も遅れた田舎だ。
東北大学で教授にならなければ、ただただこんな田舎にうずもれるか
もっと田舎の大学に移動になるか・・・
東北大学は研究機関の大学だから何としても
教授になって自由に研究や勉学にいそしむ為にも東北大学に残れるかは死活問題なのだ、

それを実現する為には、せっかく掴んだチャンスをあの祖母の為に
逃したくないと割り切って母との結婚を決断した。

母にたいして女性としても愛情があった訳でなく、
教授として今後の自分の業績を上げるよう支えて欲しい。
家庭を守り、自分の遺伝子を受け継ぐ子供を産み、立派に育てて社会に役立つ人間に育てる!そんな協力者として母に期待したんだろう

夫婦の愛情は、そんな過程の中で育むもので、結婚前の大恋愛というのはナンセンス!!

結婚後、またまた事件があった。
また懲りずに祖母は父に女性の色気で迫って誘惑した!!

一度ならず二度も・・・結婚後というのもあり、さすがに父は祖母にはっきりと「迷惑だ!」自分の気持ちを言った。

祖母はびっくりしたのと、人格否定されたという侮辱を受けた。
父に対して憎しみの気持ちが倍増した。
祖母は父親をずっと目の敵にしてじわりじわりと復讐の目を宿した。

父は、祖母の気持ちなどお構いなしに
なるべく早く教授へと今迄以上に勉学と研究に打ち込んだ。

しかし、結婚してからの生活は自分夢描いたものとは全く違うものだった。

品があって、教養があって仕事の疲れが一変に取れて・・・安らげる家・・・そんな家庭とは程遠かった。
どことなくギスギスした愛嬌のない!それでいて非常に気が強くて闘争心むき出しだが、
気が利かない!
言われた事しかできない!そんな妻にイライラが募ってきた。
それと同時に
妻の母親から言い寄られて事を思い出し、あの親にしてこの娘なのか?
と言う考えが頭を過ったのではと・・・

結婚して4年後の
外国生活は父にとって人生の転機だった。

研究の論文が外国で認められ受賞したのがきっかけで
40代初めで東北大学の教授になった。

子供たちにとっても、外国生活はまたと無い経験になる。
英語圏なのでここで英語が話せるようになったら、将来、子供の人生の選択の幅が広がると思ったので一石二鳥だと思った。

父にとっては人生で一番充実した年月だった。と後に良く思い出話をしていた。

日本では味わえないパーティー三昧、キャンプなど色々楽しんだ。

念願の教授になれたら、妻の両親に気を遣う必要もなくなり
もうあの義母には用はない

しかし、外国生活で娘の学校生活にこんな影響を与えてしまうとは
思いもよらなかった。
母国語である日本語が全く解らないまま来春は小学校へ入学!
落ちこぼれが目に見えて想像できる。

しかし、妻は子供に対しては、無頓着で全く関心がない!
何かというと
あなたが外国では日本語を話すな!と言いましよね。
その通りにしたまでです!
私は知りませんよ!

あの子が落ちこぼれになったはあなたのせいでしょ!に一点張り

これでも一人の子の母親か?と
怒りを通り越してあきれた!

小学校で始めてもらった通信簿はオール1だった。

それ以降、夫婦の意見の対立と
子供の将来の不安と恐怖が大きくなった。

娘の将来の事を考えバイオリンを習わせた。
上達が早く、数年で難しい曲を弾けるようになった。
毎日、娘のバイオリンを聞き、
勉強が出来なくてもバイオリンで身を立てる事を考えた。
 
仕事が忙しくなり子供たちの事のほとんどは妻任せに!
様子などは妻からの話を聞くだけだ。

妻の話では
長女は良くない友だちと遊び惚けて、ほとんど勉強をしないようで
成績も悪い!
私がいくら言っても言う事を聞かなし、勉強を教えても解らないようだ!どうも生まれつき薄弱児なのかとも話していた。生まれつき頭が悪ければ、どんなに勉強を教えても無駄でしょ!

普通学級から特殊学級に移る事を検討したが、
知能や能力は平均値だからそれはできないという事だったが、

肝心の学校の先生は全く頼りにならず、近所も質の悪い噂話ばかりしている田舎者ばかり・・・
挙句にろくろく指導もしないくせに
中学校への調査票には「親に問題あり」と書かれ、俺は問題の親という事か?

娘たちに部屋を与え、良い環境を与えたが成績が悪いまま!
なるべく顔を合わせない様に避けるようになった。
たまにみる娘のだらしない格好と生活態度。
挨拶もろくにせず!母親のしつけはどうなっているんだろう!

真面目に仕事をしてたまに家にいる時は家族で車でドライブに連れて行ってあげても娘は迷惑顔!
一体俺は誰のために仕事をしているんだ?

妻とはいつも口喧嘩だ!

この子の将来が心配で仕方ない。

長女が成人して数年後、クリスチャンになりたい!などと
言いやがった!

いくらなんでも「やそ」なんか・・・
「やそ」なんかになってしまったら、結婚は遠のいてしまう!!

妻の協力によって「やそ」になる事はあきらめたようだ!


それなりに就職して、結婚して子供も生まれそこそこ幸せに暮らしているようだが、
いつ離婚を切り出されるか・・・
それが頭から離れない生涯だったようだ。

父親との関り合いを思い返すと
父の焦りと怒りの気持ちとの葛藤の毎日だったのだと思う













































































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?