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【エッセイ】陰謀・批評・J-POP

このツイートは、おそらく文脈的に私の『水星の魔女』『ウェンズデー』評に言及した物だと考えられる。そして私はこれを褒め言葉だと受け取った。

そう言えば、すぱんくtheはにー氏もこの記事で、要約すると批評≒陰謀論なので気をつけろと述べていたな。

私は今日の「考察」という文化が大嫌いで、これってネタバレの「ネタ」の部分を予想するという物で、どこか作家・作品至上主義的な所がある。それで言うと、ある作品の元ネタだったりモチーフを解説する物も嫌いとまでは言わないが好きでもないな。

つまり、私は「間違い探し」「答え合わせ」みたいな批評・感想に興味がないという事だ。テクスト自体に答えも間違いもない。手法が陰謀論だろうが、コラージュだろうが、MADだろうが、自らの視野を開示する。そういう批評を読みたいし書きたい。暗合/暗号でゴリ押せ。そいつでしてやる星占い(T-Pablow)。

と、前置きが長くなったが、そんな「陰謀批評の書き手」応援ソングを本記事では紹介しようと思う。


マハラージャン『僕のスピな人』

「告ハラ」や「ぬいぐるみペニスショック」などの言葉に代表されるような、「これって脈アリですよね?」(アドリブまさお)と勘違いしてしまう陰キャ男性特有の恋愛観が存在する。これを過剰にすると陰謀論めいてくるという発想から製作されたのがこの曲だろう。

見上げた瞬間 ビルの明かりがついて
何かが起きそうな予感がしていた
あなたを見つけた時 確信に変わる
僕ら会うの 初めてじゃない
1番Aメロ・Bメロ

先述の壱村健太氏は週末批評というサイトにこのような批評を寄稿している。私はコレを読み、おそらく最速で壱村氏のTwitterをフォローし相互フォローになったという訳だ。しかし、実を言うと私はそれ以前から一方的に氏を認知していた。と言うのも、『エンキリ』内で言及されてる、2022すばるクリティーク賞の先行座談会を私は読んでおり、かなり印象に残っていたのだ。まさに「僕ら会うの初めてじゃない」と言った所か。

今、スピってスピってスピって
どうやらこいつはロマンティック
閃光が走って 多分あなたは僕のスピな人
また、スピってスピってスピって
全て一瞬にして 今宇宙の正体がわかった
気がした
1サビ

思うに、「批評」とは部分(テクスト)から全体(世界)を把握しようと試みる営みだ。この歌詞のように私は批評的な思考をしていると「宇宙の正体がわかった」気がする。ラスサビではこの「気がした」という部分が反復される。ここに「批評」を書き上げた刹那に指の隙間から零れ落ちる切なさを読み込めるので「陰謀批評」応援ソングとして選んだ次第だ。

上坂すみれ『快走!ラスプーチン』

この曲は怪僧ラスプーチンの視点で描かれる。

ラスプーチン快走 シェイクアップトゥナイト
ダイナスティ崩壊 予言(い)ってんじゃない
ラスプーチン回想 ゲイズアップトゥナイト
デス兆星トワイライト 乱舞(ま)ってんじゃない
サビ

 死兆星を見上げるラスプーチンのように、私(達)もテクスト群という星座を快走/回想し(陰謀)批評を書いているという個人的な共感から「陰謀批評」応援ソングに選出しました(適当)。

ヤなことそっとミュート『レイライン』

ここまで陰謀論的な感性をポップに歌った2つの楽曲を紹介したが、『レイライン』はその点でずば抜けている。予備知識として、「レイライン(ley line)」とは「古代遺跡を線で結ぶと直線にならね?」という仮説の事を指す。ぶっちゃけオカルト。この陰謀論を肯定的に再解釈して歌ったのがこの曲と言う訳だ。

レイラインの例、例ライン
白い手のひら メモ書きの跡のよう 滲んで
わたしには見えるよ だから君に見せたくって
1番Bメロ

「わたしには見えるよ だから君に見せたくって」

分   か   る

「君に見せた」い程度のあどけない動機で批評を書いている節がある。

夕闇浴びた 窓辺に顔寄せて眺めた
わたしが映るその先に星空のぞんで
2番Bメロ

「わたしが映る」「窓」という個人的な視野から星座を読み取る。

レイライン 散らばった偶然が
ただ重なった それでいい
レイライン いびつなフリーハンド
だけど描いてる
2サビ
レイナイト 散らばった偶然を
キュッと貫いた流れ星
はっと振り向いて見渡せば並んだ足跡
レイライン散らばった偶然を
ぎゅっと抱きしめ ここまで来た
レイライン 綺麗な一筋の光 そのつづき
ラスサビ

「散らばった偶然がただ重なった それでいい」
「散らばった偶然をぎゅっと抱きしめ ここまで来た」

分   か   る

私が批評を読む動機は、好きな作品の好きな理由を探すためでも、嫌いな作品の嫌いな理由を探すためでもなく、ただ作品について考えるためなんですよね。そこにおいてテクスト間の暗合を読み取り並置して論じる面白さに最も魅力を感じている。

「ley line」を「レイライン」とカタカナで表記する事によって「光線」とも捉えられる。私にとって(陰謀)批評とは即ち、他人から見れば「いびつなフリーハンド」でも「一筋の光」だと言い張る事に他ならない。


「陰謀批評の書き手」諸氏は本記事で紹介した3曲をぜひ応援歌としてリピートしてくれたら嬉しい。そして私も「批評」の勉強に励みますので、どうか「お前の批評は陰謀論だ」と「ぶたないで欲しいのだ」(ハム太郎)

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